笠間市 でテレビアンテナ工事をお考えの方へ
目次
笠間市 でアンテナ工事でお困りの方はお任せ下さい。
当あさひアンテナでは茨城県笠間市はじめ、茨城県内での地デジ、BS/CSなど各種アンテナ設置工事について、豊富な経験と実績がございます。笠間市にお住まいで、地デジその他アンテナの新規設置、また修理や交換などをお考えの方は、まずはご相談だけでも当あさひアンテナへ、お電話やメールでお気軽にお問い合わせください。
茨城県笠間市(かさまし)は、県の中央西部に位置し、県央地域に属する市です。市の総面積は240.40平方キロメートル。2020年(令和2年)11月1日時点での人口は73,603人で、うち男性が36,014人、女性が37,589人になります。また市内にはおよそ29,444世帯が暮らしています。笠間市は古くから笠間藩や笠間稲荷神社などを中心に栄えていた地域で、市内には伝統文化やさまざまな偉人に関する史跡、自然などの観光名所が非常に豊富であり、見どころの多い市になっています。
東京都隅田区にある東京スカイツリーから笠間市までは、およそ73キロから92キロの遠距離になります。そのためスカイツリーからの電波はまったく届かない地域になります。笠間市では、主に水戸市に位置する水戸局からの地デジ電波を受信することになります。ただ現場の環境によっては、地デジ受信に関してさまざまな条件や制約が生じるケースもございます。
当あさひアンテナでは、茨城県笠間市全域での地デジその他、各種アンテナ設置工事に対応しております。弊社には笠間市はじめ県内全域での作業経験が豊富で、地域ごとの地デジ電波の特性を把握し、現場に合わせた最適なアンテナ設置工事をご提案できる腕のいい専門の職人が揃っております。笠間市にて地デジ、CS/BSなど各種アンテナ設置や修理、交換などの各種工事をお求めのお客様は、確実な地デジ受信と、丈夫で長持ちするアンテナの設置をお約束する、当あさひフリーダイヤル(0120-540-527)か、ホームページからのお問い合わせフォーム(https//asahi-antenna.jp/contact)へとご連絡ください。
「2020年現在の新型コロナウィルス流行に関しまして」
このたびの新型コロナウイルス発生に際しまして、弊社では現場に出向く職人はもちろん、全従業員にマスクと除菌スプレーを配布し、作業車や作業着などの除菌を頻繁かつ丁寧に行う他、従業員各人によるこまめなうがい、手洗いなども徹底しております。また会社としても従業員には業務よりも体調管理を優先し、わずかでも体調に異変がある場合は、安全が確認できるまで休むよう指導しております。
すべては社員の身を守ると同時に、万全を期してお客様をお守りするための、最大限の配慮でございます。現場でのお客様への対応についても、万が一のリスクを避けるため、失礼ながら基本的にマスクを装着したままでご対応させていただいております。申し訳ありませんが、なにとぞご了承ください。
笠間市 の方でアンテナ工事に関するよくある質問
- Q
笠間市に適した地デジアンテナの機種はどのようなものですか?
- A
現在、ご家庭で用いられる主な地デジアンテナの機種は、八木式アンテナとデザインアンテナになります。
八木式アンテナはよく屋根の上などに見られる、魚の骨のような形状の地デジアンテナです。日本ではテレビ放送の黎明期から使われている昔ながらのアンテナで、素材や耐久力などは時代につれて進化し続けていますが、基本設計は開発当時から変わっていません。それほど設計の完成度が高く、現在でも地デジ電波の高い受信能力を誇る機種です。ただ基本的に屋外に設置される八木式アンテナは風雨など自然環境の影響を受けやすく、歳月につれて確実に老朽化が進行する弱点もございます。現在の八木式アンテナの寿命は平均10年程度ですが、この年数は海沿いや豪雪地帯など、設置現場の環境によっても大きく変わってきます。
デザインアンテナは家屋の外壁などに設置する、平面で軽量薄型の地デジアンテナです。家屋の外観を損なわない、自然環境の影響を受けにくく経年劣化を軽減できる、修理やメンテナンスも簡単など多くのメリットがあり、現在では人気ナンバーワンの地デジアンテナになります。また現在のデザインアンテナは基本モデルが20素子相当であり、八木式アンテナと比べても受信性能にほとんど差はごさいません。ただデザインアンテナは八木式アンテナよりも設置位置が低い分、受信感度もやや低くなる傾向がございます。またアンテナ本体価格や設置工事費も、八木式アンテナに比べるとやや割高になります。
笠間市は茨城県の県央地域に位置し、県内の市町村では5番目の広さがあり、県の中央部から西よりにかけて広がり、栃木県に接している市です。東京スカイツリーからは、およそ73キロから92キロ強の遠距離にあたるため。スカイツリーからの地デジ電波はまったく届かない地域になります。
笠間市内では市の北東側に位置し、NHK水戸と広域民放を県内に広く送信する水戸局からの地デジ電波を、市域内の西端部を除くほとんどの地域で受信できます。ただ市域の西側は丘陵地にあたるため、西端部、特に北西と南西の地域には、水戸局からの電波も届かない地域が存在します。
市域の西側においては、中央部では笠間中継局、南西部では笠間上郷中継局、石岡真家中継局からの地デジ電波を受信できる地域もございます。どの中継局も水戸局と同じNHK水戸と広域民放を送信しておりますが。笠間市の西端部を完全にカバーしているわけではございまぜん。
笠間市でも市街地化が進んだ中心部であれば、ほぼ全域において一台の地デジアンテナで、地デジ電波を問題なく受信できます。またほとんどの現場において、八木式アンテナ、デザインアンテナのどちらを使用しても、受信について大きな違いが生じることはございません。ただ市内でも丘陵地や高層建築の近隣や、その他さまざまな環境や条件によっては、より高所に設置しやすい八木式アンテナの方が受信に有利となるなど、適切なアンテナの機種や設置できる位置、アンテナの方向などに条件や制約が生じるケースもございます。
当あさひアンテナでは、八木式アンテナ、デザインアンテナとも、国産DXアンテナ社製の最新モデルをご用意し、八木式アンテナは軽量で耐水性と対風速性が高く、長寿命が望める機種を用い、アンテナ本体価格を含む基本工事価格15000円からで設置をお引き受けしております。
デザインアンテナは20素子相当、業界最小クラスの厚さ4.9cm、大きさ9cm×22cmの超薄型モデルをご用意し、アンテナ本体価格を含む基本工事価格20000円からで設置をお引き受けいたします。さらにこれら標準機種で受信が安定しない場合は、別途に高性能アンテナや、アンテナブースター、アッテネーター設置の用意もございますので、どのような現場にも対応可能です。
弊社では地デジアンテナの設置に際し、高性能の電波測定器による現場調査を実施しており、現場においてもっとも適切なアンテナの種類や設置位置など、できる限りお客様のご要望に応じた方法をご提案いたします。もしご希望の条件でどうしても受信に問題が出る場合は、弊社の豊富な工事経験に基づき、できるだけご要望に近い代案をご提示いたします。
また弊社ではアンテナ設置のご相談および、ご自宅を訪問しての地デジ電波調査、アンテナ設置工事費のお見積もりまですべて無料で行っております。弊社のアンテナ職人は豊富な経験と高度な技術を駆使して、現場の電波状態から、もっともリーズナブルでありながら、自然環境の影響を受けにくく、故障のリスクを避けアンテナの長寿命が望めるなど、お客様にとって総合的にもっともお得となる設置方法をご提案いたしております。
笠間市において地デジアンテナの新規設置や交換などをお考えの方は、電波状態の確認やお見積りから、アンテナ機種のご希望、その他のご相談も含め、当あさひフリーダイヤル(0120-540-527)へと、どうぞお気軽にお問い合わせください。
- Q
自宅で購入した地デジアンテナの設置のみをお願いできますか?
- A
当あさひアンテナでは、地デジアンテナ設置その他、あらゆる工事においてお客様のご要望を最優先にする施工を心がけております。もちろんお客様が他店でご購入された各種アンテナの設置にもご対応いたします。
この令和2年7月には、記録的な豪雨によって全国各地でさまざまな災害が発生いたしました。被災された方々には衷心よりお見舞いを申し上げますと同時に、弊社からも微力ながら、可能な限りのご支援を行ってゆきたく存じます。遺憾ながらこの日本各地においては、たとえ大規模なものではなくとも、突然の台風や地震などさまざまな災害によって、家屋に思いがけない被害が生じる可能性は常にございます。
ただ残念ながらアンテナ工事業者にもそのような災害などに乗じ、公式サイトや流しの営業による説明では格安を謳いながら、アンテナ本体を別料金に設定し、安価で品質の低い地デジアンテナに高値をつける、またお客様に無断で不必要な機材や追加工事を加算するといった手口で、不当な高額料金を請求する悪質な業者も存在します。お客様におかれましても、設置工費は安価に思えても、使用するアンテナ機種、型番や、工事ごとの料金体系などが不明瞭な業者にはご注意いただきたく思います。
当あさひアンテナでは、まずお客様に信頼していただけるよう、弊社サイトにて基本設置工事費、各オプション工事ごとの料金体系をすべて明示し、ご提供する地デジおよびBS/CS110度アンテナの機種や型番も明記しております。もちろんお客様へのご相談なく、独断で追加機材や工事を加算することも決してございません。
弊社の地デジアンテナは前述の通り、八木式アンテナ、デザインアンテナとも、国産一流メーカーのDXアンテナ社製、高性能最新モデルをご用意し、アンテナ本体価格を含む標準工事費でご提供しております。アンテナ本体込みの標準工事費は、八木式アンテナで15000円、デザインアンテナは20000円からになっております。またCS/BS110度アンテナも、同社製2K4K8K対応型の最新モデルを用い、アンテナ本体価格込み標準設置費15000円からでお引き受けしております。
弊社では常に業界最安値に挑んでおりますが、もし他業者でより安い見積もりが出た場合は、その見積書をメールなどでご提示ください。まったく同じ工事内容で、さらに安くお見積もりいたします。もちろん値下げしてもアンテナ本体や部材の品質を落とすことは決してございません。弊社が国産高性能アンテナを、設置工事費込みの業界最安値でご提供できる秘密は、大量仕入れを前提にメーカーと直接交渉しての部材コスト削減。他業種と提携しての広告費削減。完全自社施工による中間マージン削減。弊社と直接契約した専門の職人が効率的に担当区域を動くことによる人件費削減などで総合的なコストカットに努める、業者だからこそ可能な企業努力にございます。
また弊社では地デジアンテナ設置に際し、高性能の電波測定器を用いて各現場の電波状態を確認することで。電波強度や経年劣化の阻止、外観性などあらゆる条件を織り込み、もっとも有利となるアンテナ機種と設置方法をご提案いたしております。
また地デジ受信の確実性や、受信したい放送局などの条件によっては、ケーブルテレビをご利用されるという選択肢もございます。当あさひアンテナでは、地デジアンテナの設置にこだわらず、お客様のご要望を最優先に、もっとも確実かつリーズナブルな方法をご提案いたします。
笠間市は茨城県内の県央地域にあたり、県の中心から西側に広がっており、主に水戸市に位置する水戸局からのNHK水戸および広域民放が、市内の大半の地域で受信可能です。ただ市域の西側の境界付近は山地にあたることもあり、一部に水戸局からではなく、周辺の中継局からの地デジ電波を受信する地域や、地デジ電波の受信ができない地域もございいます。市内の市街地でも、現場の地形や電波状態、また高層建築の近隣などの条件などによっては、現場ごとに適切なアンテナ機種や、設置できる位置、アンテナの方向などについて、さまざまな条件や制約が生じてまいります。
したがってお客様がご自身で購入された地デジアンテナでは、弊社の同タイプ国産アンテナより品質や性能が低い、現場の電波状態や設置位置に不向きなどの理由で、十分な地デジ受信性能を得られないことも考えられます。またたとえアンテナ本体価格は安価でも、本体価格と設置費用の総額が、弊社のアンテナ価格込み設置工事費より割高になることも十分に考えられます。
弊社ではアンテナ設置のご相談および、ご自宅を訪問して、現場でもっとも適切となる地デジ電波の調査、アンテナ設置工事費のお見積もりまですべて無料で行っております。
笠間市にて新しい地デジアンテナの設置や交換をお考えのお客様は、ご自身でアンテナを購入される前に、まずは弊社のフリーダイヤル(0120-540-527)へ、設置なさりたいアンテナ機種や視聴なさりたいテレビ局、また工事費用の目安など、ご納得いただけるまで、どのようなことでもご相談いただければ幸いです。
- Q
笠間市で地デジアンテナが故障したときはすぐ修理してもらえますか?
- A
その点はどうかご安心ください。弊社では他業者が設置したどのようなテレビアンテナでも、弊社フリーダイヤル(0120-540-527)にご一報いただければ、最短即日で職人が現場に出向き、修理対応させていただきます。
特に弊社が設置したテレビアンテナの場合は、業界最長クラスとなる、施工日から10年間のアフターフォロー体制をご用意しております。これは弊社がアンテナ設置技術に高い自信をもつ証でもあります。もし保障期間中、弊社が施工した各種アンテナにトラブルが発生したときは、すぐ弊社のフリーダイヤルにご一報ください。弊社職人が即座に現場へと駆けつけ、補償範囲内のトラブルであれば完全無料で復旧するようご対応させていただきます。
弊社ではアンテナ設置工事が完了した際、工事を担当した職人の自筆サイン入り保証書をお客様にお渡ししております。もしトラブルなどでお客様が対応をお求めの際は、まずこの保証書をご用意ください。ただ、なにぶん10年間の長期保証となるため、お客様が保証書を紛失された場合を想定して、弊社でも施工から10年間は、あらゆる工事の現場写真や保証書などを社内でデータベース化して保存しております。
アンテナ修理をご依頼される際、もし弊社の保証書が見つからない場合は、お電話でその旨をお伝えください。そしてお手数ですが、お客様のお名前やお電話番号、当時の工事内容や施工時期などを、お分かりの範囲内でお教えください。弊社側のデータベースで確認でき次第、あらゆる保証について、保証書をご提示いただいた場合とまったく同じ対応をさせていただきます。
余談ですが、風雨や雷、雪、雹、隕石、また外部からの落下物など、自然災害によりアンテナが損壊した場合は、火災保険の「風災保証」によって修理費が補償されるケースがございます。補償される内容は保険会社との約款によって異なりますが、当あさひアンテナでは、アンテナ修理だけではなく、修理費用に火災保険を適用なさりたいお客様のご相談にも対応しております。
弊社にアンテナ修理をお求めになる際、火災保険のご相談もいただければ、保険会社に提出する必要がある修理報告書、見積書、施工前後の写真など、補償請求書類をすべて弊社でご用意いたします。また保険会社との交渉も、弊社の専門スタッフが全力でサポートいたします。笠間市にて突然のアンテナトラブルによってお困りの際は、アンテナ本体の修理から保険会社への対応まで完全にお引き受けする、当あさひアンテナにすべてお任せください。
笠間市 にお住まいで画面にE201、E202、E203の文字が出ている方
テレビ画面に"E201、E202、E203"と表示され番組が視聴できない
アンテナトラブルの形式として、突然、ご自宅のテレビで地デジのテレビ番組がまったく映らなくなり、画面に「e201」「e202」「e203」などの記号が表示されることがございます。これはテレビやアンテナにトラブルが発生し、テレビが自己診断機能を働かせてエラーコードで原因を示している状態です。最近のテレビはコードと同時にトラブルの原因を文章で表示するものもありますが、電波受信に関するトラブルの場合は、主に前述の三種類のコードが表示されます。なおエラーコードの種類は、トラブルの原因によって他にも数々のものがございます。
「e201」は、テレビ本体に届く電波のレベルが低下しているというエラーコードです。これは主にBS、CS放送で、豪雨や大雪など、悪天候の場合に表示されることが多くなります。BS、CS放送は衛星放送のため、悪天候では、波の乱反射によって電波状態が悪化するという弱点がございます。BSでは悪天候の際に電波を切り替え、画質、音質を落とすことで受信できるようにした「降雨対応放送」に切り替わる場合もあります。悪天候による受信不良は、天候の回復と同時に自然と復旧いたします。地デジ放送では、このコードが表示されることは少ないのですが、周辺の電波状態の悪化やアンテナ機器のトラブルなどにより、ときに表示されることもございます。
「e202」は、テレビ本体ににまったく電波が届いていないというエラーコードです。原因は大風や地震などによるアンテナ角度のずれや倒れるといったトラブル。またアンテナ本体、アンテナ線、ブースター(増幅器)、分配器など、どこかに故障が発生したことも考えられます。また単純にテレビとアンテナ線との接触不良という場合もありますので、このコードが表示されたときは、まずテレビやレコーダーなどの機器と、アンテナ線との接続部分をチェックしてください。
「e203」は、該当する放送局が放送休止しているというエラーコードです。基本的に放送局が、メンテナンスやトラブルなどによって放送を休止していることから発生する不具合です。このコードが表示されたときは、その他のチャンネルを確認して、正しく映っているなら放送局側に原因があると判断できます。ただアンテナ関係の故障でも、このコードが表示される場合がありますのでご注意ください。
これらのエラーコードが表示されたときは、ブロックノイズの際と同じく、まずテレビのリセットや、テレビとアンテナ線の接続部を確認するなどしてください。それでも回復しない場合は、アンテナ関係にトラブルが起こっていると考えられます。
その場合も、やはり当あさひアンテナのフリーダイヤル(0120-540-527)にご相談ください。まずお電話口にて、コードの種類やご自宅のアンテナ環境などとお伺いして、ご自宅で可能な対策をご説明いたします。もしお電話で問題が解決しないときは、ご用命いただければ、弊社の職人が最短即日でご自宅へ出向き、現場調査で原因を特定いたします。
当あさひアンテナでは、どのようなご相談であっても、出張費、見積もり費、キャンセル費はすべて無料で対応させていただきます。またトラブルの原因を特定した後は、弊社の職人からお客様に、修理に必要な工事のご説明と見積もり価格を提示いたします。その内容にお客様が納得され、正式にご契約なされた時点ではじめて工事にかからせていただきます。それまでは決して無断で工事を進めることはなく、料金も一切発生いたしません。
さらにアンテナ工事後の保証など、アフターフォローの体制も万全のものを用意してございます。テレビ映りに不具合が発生して、エラーコードからアンテナトラブルだと思われる場合は、まずは当あさひアンテナのフリーダイヤル(0120-540-527)へとお気軽にお電話ください。
笠間市 についてもっと知りたい
これからお引越しを考えている方
笠間市 てどんなところ??
茨城県笠間市は県央地域に属し、県全体および県央地域では中央部の西よりに位置しており、栃木県に接している市です。北西部は八溝山系(やみぞさんけい)が穏やかに連なる丘陵地帯になっており、西部には吾国山(わがくにさん)が、南西部には愛宕山(あたごやま、あたごさん、おたぎさん)が位置します。北西部から東南部にはおおむね平坦な台地が広がっており、その中央を涸沼川(ひぬまがわ)が北西部から東部にかけて流れています。
笠間市では、石山神遺跡や寺平遺跡、行人(ぎょうや)遺跡など、1万年前から1万5000年前、縄文時代前期の遺跡が多く発見されています。縄文時代の後期から晩期にかけての遺跡からは、石斧、石鏃(やじり)、石棒なども数多く見つかっています。弥生時代には徐々に稲作が伝わり、人々が定住をはじめたとみられています。
古墳時代には豪族による統治がはじまり、村単位の集落が発展し、のちに国や郡が成立しています。大和朝廷の支配力は笠間にも及び、旧笠間市は常陸国新治郡、旧友部町は常陸国那珂郡及び茨城郡、旧岩間町は茨城郡に属したと考えられています。
江戸時代には旧笠間市の地域が笠間藩の領地となり、城下町の建設や整備により山内郷(やまうちごう)の中心地として、また水戸・結城街道の中継地として発展し、江戸中期よりは商業と手工業が盛んとなった他、金鉱石の採掘、酒造業、和紙生産などが行われていました。現在にも伝わる笠間焼は、江戸時代の後半に、箱田村の久野半右衛門道延などがはじめたのが発祥です。また旧友部町域では、1602年(慶長7年)に宍戸藩が成立し、のちに水戸藩の支藩となります。旧岩間町域では宍戸藩の他にも土浦藩、中根氏、丸毛氏、小菅氏などが分割して治めていました。ただ両町の地域は、幕末には水戸天狗党の乱によって、動乱の渦にも巻きこまれています。
明治維新以降、現在の笠間市にいたるまでの歴史は、まず1889年(明治22年)4月1日の町村制施行に伴い、旧笠間市の市域に西茨城郡笠間町、大池田村、北山内村、南山内村、西山内村が、旧友部町の町域に西茨城郡宍戸町、北川根村、大原村と、東茨城郡鯉淵村が、旧岩間町の町域に西茨城郡岩間村、南川根村が成立します。
1923年(大正12年)3月1日に岩間村が町制施行して岩間町に、1954年(昭和29年)8月15日に西山内村が町制施行、改称して稲田町になり、同年11月23日には岩間町と南川根村が合併して新たな岩間町が発足しています。
1955年(昭和30年)の1月15日には宍戸町、大原村、北川根村が合併して西茨城郡友部町が発足。2月11日には西茨城郡大池田村、北山内村、南山内村と合併して新たな笠間町となります。笠間町は同年2月15日に西茨城郡稲田町を、3月31日には鯉淵村の一部(鯉淵と五平の一部)を編入し、8月1日に市制を施行して(旧)笠間市となります。
そして2006年(平成18年)3月19日に、旧笠間市、友部町、岩間町が合併して、現在の新制、笠間市が発足しました。
現在の笠間市は、茨城県のほぼ中央に位置し、首都圏からは約100キロの距離にあたります。県庁所在地である県都、水戸市に隣接しており、県内の市町村では5番目に広い自治体になります。市内の気候は、夏は気温や湿度が高く、冬は乾燥した晴天の日が多くなる、太平洋型の気候になっています。
市内は市街地化が進んでおり、企業の本社や支社、工場なども多く見られる他、大型商業施設なども多く商業も盛んです。
笠間市の特産品としては、農作物ではクリ(栗)の栽培が盛んで、耕地面積、収穫量ともに全国一のクリの産地になっています。他にはキク(菊)、ウメ(梅)などの栽培が盛んに行われています。
前述の笠間焼は、江戸時代中期に箱田村の名主、久野半右衛門道延がはじめた「箱田焼」と、山口勘兵衛が始めた「宍戸焼」が源流といわれています。のちに笠間藩藩主は窯業を重要視し、御用窯「仕法窯」が指定され、幕末から明治には江戸、東京に近いことから大量生産されることになります。関東地方では、笠間は益子と並ぶ大きな窯業産地として知られ、1992年(平成4年)には経済産業省より「伝統的工芸品産業の振興に関する法律」に基づく経済産業大臣の指定を受けた工芸品に指定されています。
笠間焼は関東ローム層から出土する、花崗岩(御影石)が風化堆積して生じた粘り強く成形しやすい笠間粘土によって作られ、鉄を含むため焼成後に有色となる特徴があります。現在では安価な日常品から芸術的なオブジェまで、さまざなな品が作られています。
稲田地区には日本でも最大規模の御影石の採掘場があり、明治時代から「稲田石」の産地として知られています。稲田石が用いられた建造物には、最高裁判所、日本銀行本館、日本橋、東京駅、靖国神社、明治神宮、三井本館、第一生命館、原爆死没者慰霊碑などがあります。
笠間町の歴史的な出来事としては、明治から昭和の武道家で、また合気道の開祖である植芝盛平師が、後半生を旧岩間町で暮らし、合気神社を開いたことから、岩間地区には現在も岩間神信合氣修練会があり、合気道の町として知られています。
鎌倉時代の僧侶で、浄土真宗の開祖である親鸞は、稲田の西念寺にあたる地に滞在中「教行信証」の制作をはじめ、草稿本を撰述したと伝えられていることから、同寺は「別格本山」として浄土真宗立教開宗の聖地となっています。「忠臣蔵」の元となった元禄赤穂事件で知られる浅野氏は、赤穂藩の前には笠間藩主であったため、。赤穂四十七士でも高齢者には笠間出身者が多く含まれています。
主に薩摩藩(現在の鹿児島)とその支藩にのみ伝わり、藩外への伝授を厳しく禁じられていた、剛剣で知られる古流剣術、示現流の流派に「笠間示現流」が存在し、現在でも笠間市にその形が伝わっています。これは薩摩藩の支藩である佐土原藩を経由して延岡藩に伝わり、延岡藩主の牧野家が笠間に転封になり、幕末まで移動しなかったことから根付いたものと見られます。ちなみに示現流の源流のひとつ、天真正自顕流は、笠間の郷士、十瀬与三衛門長宗が当地で開いたものだと伝えられています。
笠間市のご当地グルメには、笠間いなり寿司があります。この笠間いなり寿司は、笠間稲荷神社の門前町として栄えていた昔から、市民や参詣客に親しまれてきました。笠間いなり寿司の特徴は、ソバ(蕎麦)、クルミ(胡桃)、マイタケ(舞茸)などのさまざまな素材を使った、変り種のいなり寿司である点で、笠間市や茨城県で育った季節ごとの農作物も一緒に味わうことができます。
笠間市の主な観光名所は、笠間稲荷神社の門前町で、笠間焼の生産地として古くから発展していた旧笠間市の地域に多く見られます。
笠間稲荷神社は、別名を胡桃下稲荷(くるみがしたいなり)、紋三郎稲荷といい、日本三大稲荷のひとつとされており、「笠間稲荷と佐白山」として茨城百景にも選ばれています。
笠間稲荷は五穀豊穣、商売繁盛の神として古来より信仰を集め、全国から年間300万人を超える参拝客が訪れます。また初詣には80万人以上が訪れ、茨城県の初詣の参拝者数では堂々の1位を誇っています。また古地名の「笠間」の由来は、詳細は不明ながら、稲荷神として祀られることの多い大宮咩命(おおみやのめのみこと、大宮売神)に関わりがあるという説もあります。1860年(万延元年)に建立された外陣(本殿)、内陣(旧拝殿)からなる複合社殿の本殿は国の重要文化財になっています。
常陸国出雲大社(出雲大社常陸分社)は、島根県の出雲大社と、長野県の諏訪大社を結んだ直線の延長上に位置しています。これは古来、日が沈み休まる「日隅宮(ひすみのみや)」と呼ばれた出雲大社と、大国主大神の息子である建御名方神が鎮座する諏訪大社を、「日が生まれる国」と呼ばれた常陸国の中で直線上に位置した地点に建立したためです。また常陸分社の本殿も出雲大社本殿と同じ大社造になっています。
稻田神社には手摩乳神社、脚摩乳神社、八雲神社などの境内社があり、水戸黄門として知られる徳川光圀が奉納した、青竜(東)、白虎(西)、朱雀(南)、玄武(北)の四神獣を表す四神旗4旒が、茨城県指定有形文化財に指定されています。八坂神社(牛頭天王社)は、笠間八坂神社祇園祭で中心的役割を担っています。
稻田山西念寺(稲田御坊)は、前述の通り親鸞が結んだ「稲田の草庵」を元としており、現在は浄土真宗別格本山になっています。
佐白山正福寺(さしろざんしょうふくじ)は佐白山上にある普門宗(真言宗系単立)の寺院で、ご本尊の千手千眼十一面観世音菩薩(木造佐白観音坐像)が茨城県指定文化財であり、坂東三十三箇所の23番札所でもあります。
鎌倉幕府の有力御家人で笠間市の始祖である笠間時朝(かさまときとも)は仏教を重んじ、笠間の地に6体の仏像を作らせ安置したといわれ、これを笠間六体仏といいます。現在はそのうち石寺弥勒堂(弥勒教会)の木造弥勒菩薩立像。醫王山護命院岩谷寺の薬師如来立像。笠間時歴代の菩提寺である佛頂山楞厳寺の千手観音立像の3体が残っています。
幕末、天狗党の乱の鎮圧に失敗したことで廃藩となった宍戸藩の藩庁、宍戸陣屋の表門は移築され、茨城県の文化財になっています。石切山脈は自然の山ではなく、採石場跡に溜まった湧水が山脈と湖に見えるため観光地となったスポットです。笹目宗兵衛商店は、笠間稲荷神社の御神酒である銘酒「松緑」をはじめ、さまざまな銘酒を造っている酒蔵です。
佐白山にある笠間城址は、江戸時代には笠間藩の藩庁が置かれた城址です。現在は佐白山麓公園として整備され公開されています。本丸にあった八幡台櫓は真浄寺に移築されており「笠間城櫓」として茨城県の文化財に指定されています。また薬医門形式の城門2棟が、市内の民家に移築されて現存しています。
笠間日動美術館は日本を代表する画商の系列美術館であり、数多い貴重なコレクションを所蔵している他、芸術の村にある分館、春風萬里荘には、陶芸や料理、書、絵画、篆刻など多才を発揮した北大路魯山人(きたおおじろざんじん)の住居であった茅葺き屋根の民家を移築しています。また市内の公園には、笠間工芸の丘や茨城県陶芸美術館がある笠間芸術の森公園。つつじ公園などがあります。
旧笠間市にゆかりのある昭和のスター歌手、坂本九さんに関する名所としては、幼少期を過ごした母方の実家である、九ちゃんの家。笠間稲荷参拝の際、坂本さんが定宿としていましたが、東日本大震災に被災して廃業した老舗旅館をリノベーションした、かさま歴史交流館井筒屋などがあります。
旧友部町の名所には、北山公園や、筑波海軍航空隊基地の旧司令部庁舎を利用し、国内で唯一残るアブロ504K陸上練習機などが展示されている筑波海軍航空隊記念館などがあります。また2007年(平成19年)3月4日より、友部駅の発車メロディは、前述の坂本九さんの名曲「上を向いて歩こう」「明日があるさ」などが使用されています。
旧岩間町の愛宕山(岩間山)には古くから天狗伝説があり、現在でも「十三天狗の祠」などが残されています。山頂には愛宕神社が鎮座しており、愛宕山から吾国山にかけての山塊は吾国愛宕県立自然公園であり、吾国山愛宕山ハイキングコースは茨城百景に選定されています。山腹には市営「あたご天狗の森公園」や「あたご天狗の森スカイロッジ」があります。また後半生を旧町内で暮らした前述の植芝盛平師が創建した合気(合氣)神社も町内に存在します。
その他にも、市内にはスズラン(鈴蘭)の群生地帯があり、標高100メートル程度の平地での自生の南限地と考えられています。西日本に多く生息するヒメハルゼミ(姫春蝉)生息の北限地でもあり、その生息地帯は国の天然記念物に指定されています。
2010年(平成20年)6月1日には、特定非営利活動法人、地域活性化支援センターが主催する「恋人の聖地プロジェクト」にて、茨城県では初、全国では100番目の「恋人の聖地」として「陶芸の里かさま」が選定されました。
市内の祭礼、イベントには、旧笠間市では、笠間稲荷神社、出雲大社常陸分社の初詣。つつじ公園でツツジの季節である4月から5月に行われる、つつじまつり。笠間芸術の森公園で5月に行われる笠間焼の祭り、陶炎祭。8月の八坂神社祇園祭と、市内中心部で行われる笠間のまつり。10月から11月、笠間稲荷神社で行われる笠間菊祭り。11月に笠間芸術の森公園で行われる匠のまつり・ストーンフェスティバルなどがあります。
旧岩間町の祭りには、桜の季節に愛宕山に行われる桜まつり(あたご山桜まつり)。12月に愛宕神社と境内社、飯綱神社で行われる、天狗に扮した者たちが愛宕山中の祠を巡って供物を捧げる最中、参詣者らが天狗に罵声を浴びせる。ときには声援が出ることもあり、祠の供物は御利益があるため参詣者間で奪い合う他、愛宕神社の境内で天狗から餅や菓子のばらまきも行われ、参詣者の野次と奪い合いで盛り上がる、日本三大奇祭のひとつといわれる悪態祭りなどがあります。
笠間市に関連するフィクションには、世界的な人気を誇るアウトロー時代劇「座頭市」があります。
「座頭市」はもともと、作家の子母澤寛さんが、江戸時代後期、現在の千葉県旭市にあたる飯岡を縄張りとした侠客の親分、飯岡助五郎の食客で、実在したといわれる盲目の侠客、座頭市について、土地の古老の話を元に記した掌編「座頭市物語」が元になっています、この作品は随筆集「ふところ手帖」に収録されています。
この掌編を原案に、1962年(昭和37年)に稀代の名優、勝新太郎さん主演で公開されたのが、映画「座頭市物語」です。勝さんによる座頭市は、原作の「盲目で居合の達人、渡世の筋目を重んじる性格」を踏まえつつ、仕込杖を使い、不自由な目を補う感覚の鋭さで圧倒的な強さを発揮し、普段はやくざ渡世の筋目を守って堅気の庶民に遠慮しつつも、庶民を苦しめる悪は仕込杖の居合で容赦なく叩き斬るという独自の肉付けがなされています。本作のヒットにより「座頭市」はシリーズとして次々と続編が製作され、勝さんの作品では、最終的に劇場版全26作、テレビシリーズ全100話が製作された、勝さんの代名詞ともいえる作品になっています。
またシリーズを重ねるごとに、座頭市の人物像にもより深い肉付けがなされてゆき、映画版では当時の笠間宿が座頭市の故郷という設定になりました。1973年(昭和48年)に公開された「新座頭市物語 笠間の血祭り」は、旅からはじめて故郷の笠間へ帰った座頭市が、民を苦しめる現地のヤクザと悪代官を相手に大暴れをする物語になっています。この作品を最後に、座頭市はしばらくスクリーンを離れ、テレビに活躍の場を移すことになります。この映画では当時の笠間市がロケ地に使われています。
今日では座頭市といえば、勝さんの他にも、2003年(平成15年)に北野武さんの監督、主演で公開されたリメイク映画「座頭市」がよく知られていますが、本作でも笠間市で多くのロケが行われました。
また2012年(平成24年)に放送されたテレビアニメ「ガールズ&パンツァー」は、戦車戦を競技化した架空の武道「戦車道」の全国大会優勝を目指す女子高生たちの物語です。本作は同じ茨城県の東茨城郡大洗町を主な舞台にしており、ファンによる「聖地巡礼」や、大洗町との積極的なコラボにより、アニメによる地域おこしの成功例として高い経済効果を及ぼしたことでもよく知られています。
この作中では、ウサギさんチーム(1年生チーム)にて37mm砲の砲手を務める大野あやが、笠間市の出身という設定になっています。
ちなみに大野あやは声優の秋奈さんが声を演じており、ストラップ集めが趣味。髪形はツインテールで眼鏡をかけており、やや口が悪く「ぶっ殺せー!」が口ぐせながら、底抜けに明るいムードメーカー。「あやや」のハンドルネームにてインターネットで情報収集を行っています。またトレードマークの丸眼鏡は、搭乗車が撃破されるたびに破損するというキャラクターになっています。
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笠間市 の場所
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茨城県笠間市は、県央地域に属し、県の中央部から西側に広がっている市です。区域は、東西に約19キロメートル、南北に約20キロメートルの幅を持っています、市の北側を東茨城郡城里町に、東側、北よりの多くを水戸市に、南よりの一部を東茨城郡茨城町に、南側、東よりの端を小美玉市に、それ以外の南側の多くを石岡市に、西側の南よりを桜川市に、北よりを栃木県芳賀郡茂木町に接しています。
現在の笠間市は茨城県の市町村でも5番目の広さを誇り、県内でも中心的な都市のひとつです。隣接する水戸市をはじめ、県内外の主要地域へのアクセスもよく、市内は市街地化が進んでおり利便性も高い一方、西部の山地をはじめ自然も豊かで、環境がよく暮らしやすい街になっています。また古くから笠間藩の城下町、笠間稲荷神社の門前町として栄えた歴史を持ち、伝統工芸では笠間焼、剣術流派の示現流、人物では浄土真宗の親鸞、いわゆる「忠臣蔵」事件の赤穂浪士、合気道の開祖であり、武を通して人格の練磨を追及した上芝盛平師、昭和のスター歌手である坂本九さん、架空の人物では世界的な時代劇ヒーロー、座頭市など、さまざまな偉人とも関連があり、その精神が市内の各地にいまでも息づいている、文化的な見どころも多い地域になっています。
現在の笠間市の市章は、新たな市となった2006年3月12日に制定されたもので、表が青、裏が緑である帯状の輪が3つ、複雑につながりあって、市の頭文字「K」を象っているものです。このデザインは、3市町の合併を意味する強い団結の輪と、人も緑も水もいきいきと輝く姿、また列車や自動車道等の交通の要衡としての利便性を表現して「住みよいまち、訪れてよいまち、笠間市」をイメージしています。
笠間市は、鎌倉時代に笠間城を築いた笠間時朝と、当時の矢板城主、塩谷朝業が親子であったことから栃木県矢板市と、また「忠臣蔵」の元禄赤穂事件で知られる浅野氏が、赤穂に転封される前は笠間藩主であり、赤穂四十七士にも笠間出身者がいることから、兵庫県赤穂市と姉妹都市提携を結んでいます。
また後半生を笠間市(旧岩間町)で過ごし、合気神社を創建した合気道の開祖、植芝盛平師の縁として、植芝師の出身地である和歌山県田辺市、若き日に開拓団として暮らした北海道オホーツク総合振興局管内紋別郡遠軽町、その人生観に大きな影響を与えた出口王仁三郎氏との出会いの地である京都府綾部市とそれぞれ友好都市提携を結んでいます。
海外ではドイツ連邦共和国の南部に位置する、中世の城壁に囲まれた都市、ラール市と、ドイツ国内で唯一「菊まつり」を開催している縁から交流がはじまり、2018年(平成30年)5月13日に友好都市協定書を取り交わし、友好都市となっています。
笠間市の市の花はキク(菊)、市の木はサクラ(桜)、市の鳥はウグイス(鶯)です。これら市のシンボルは2007年(平成19年)1月1日に制定されました。
キクはキク科キク属の植物で、狭義にはイエギク(家菊)、栽培ギク(栽培菊)を示します。キクは観賞用としても古くから愛されている花です。日本で観賞用の多年草植物として園芸で発展してきた品種を和菊、西ヨーロッパで育種されて生まれた品種群を洋菊と呼びます。日本では奈良時代の末か平安時代の初めに中国から導入されたと考えられており、平安時代に入ってから「古今和歌集」などで歌にも詠まれるようになりました。鎌倉時代のはじめには後鳥羽上皇が菊の花の意匠を好み「菊紋」を皇室の家紋としたことから、日本の秋の花として広まりました。また江戸時代には園芸植物として品種改良も進んでいます。笠間市では菊まつりや菊人形が有名で、またキクの栽培が盛んに行われており、キクに関する伝統があります。またキクは、旧笠間市と旧友部町の花もあり、市民に親しまれていることから、市のシンボルとして選ばれました。
サクラはバラ科モモ亜科スモモ属、またはサクラ属の落葉樹の総称です。サクラは有史以前の地質時代、日本列島が形成された時期に、自然に芽生えたものだとされています。その点は化石の発見からも立証されています。古くからサクラは日本を象徴する花とされ、日本最古の歌集「万葉集」にもサクラを詠んだ歌が43首も集録されています。また「古事記」「日本書紀」に登場する木花咲耶姫(このはなさくやひめ)はサクラの化身といわれています。そして現在でも、サクラは春の行事である花見などで、日本人に愛されている花です。またサクラの果実はサクランボ、桜桃、チェリーなどと呼ばれ、食用にされています。日本では、塩や梅酢に漬けた花も、桜餅の素材などになっています。笠間市には愛宕山、北山公園、佐白山などサクラの名所が数多く、春には市内のほぼ全域で咲き誇って、各所で桜まつりが行われます。またサクラは旧岩間町の木でもあり、市民にとって極めて身近な樹木であることから、市のシンボルに選ばれました、
ウグイスは、スズメ目ウグイス科ウグイス属の鳥です。オオルリ(大瑠璃)、コマドリ(駒鳥)と並ぶ日本三鳴鳥のひとつでもあるウグイスは、体長はスズメ(雀)と同じ程度で、背中がいわゆる「鶯色」と呼ばれるオリーブがかった褐色、腹面は白色の鳥です。春になると聞かれる「ホーホケキョ」という特徴的な鳴き声から「春告鳥」としても知られ、日本では古来より親しまれている鳥です。
ウグイスは笠間市の全域に生息しており、春を感じさせる美しい鳴き声で、自然に恵まれた笠間市をイメージできます。またウグイスは旧友部町の鳥でもあり、市民に親しまれている鳥であることから、市のシンボルに選ばれました。
笠間市のキャラクターには、笠間いなり寿司推進キャラクターで、笠間特別観光大使でもある「笠間のいな吉(かさまのいなきち)」がいます。いな吉は、江戸時代の職人風の法被を着たキツネ(狐)のキャラクターで、手にはお皿に乗せた大きな笠間いなり寿司をもっています。いな吉の生年月日は、2008年(平成20年)11月17日で、住所は笠間稲荷神社付近。デビューおよび笠間市特別住民に登録されたのは2010年(平成22年)10月25日、第5回笠間いなり寿司コンテストの日です。好きなものは、いなり寿司、地酒、笠間焼、お祭りで、職業は、いなり寿司屋の看板きつねです。特技は、いなり寿司のレシピ研究と、みんなを笑顔にするおまじないだそうです。
いな吉は笠間の素晴らしさや笠間いなり寿司をPRするため、日々、邁進中です。
また筑波海軍航空隊記念会館の公式キャラクターには、飛行士の姿をした案内役の「友部空(ともべそら)」がいます。名前は1934年(昭和9年)に霞ケ浦海軍航空隊友部分遣隊が開設された際の、施設の略称「友部空(ともべくう)」に由来しています。
他にも「友部学」推進キャラクターとして、当時、友部高校2年の小野里宏美さんが考案した作品で、クリをモチーフにした4体のキャラクターで「共援」「共創」「共感」「共生」のイメージを表し、弾けるイメージと、葉で友部町を表現しているキャラクター。地域交流センターともべ「Tomoa(トモア)」の公式キャラクターで、Tの字をモチーフに、クリのペンダントをつけた、犬を思わせる不思議な動物のキャラクターなどがいます。
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笠間市 の鉄道路線
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東日本旅客鉄道(JR東日本)
常磐線
・岩間駅
・友部駅
水戸線
・福原駅
・稲田駅
・笠間駅
・宍戸駅
・友部駅
笠間市のバス
コミュニティバス
・かさま観光周遊バス
高速バス
・茨城交通高速バス
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笠間市 の主要道路
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高速道路
・常磐自動車道(岩間IC、友部JCT)
北関東自動車道(笠間西IC‐笠間PA‐友部IC‐友部JCT)
一般国道
・国道50号
・国道355号(石岡岩間バイパス)
県道
主要地方道
・栃木県道・茨城県道1号宇都宮笠間線
・茨城県道16号大洗友部線
・茨城県道30号水戸岩間線
・茨城県道39号笠間緒川線
・茨城県道42号笠間つくば線
・茨城県道43号茨城岩間線
・茨城県道52号石岡城里線
・茨城県道61号日立笠間線
・茨城県道64号土浦笠間線
一般県道
・茨城県道105号友部内原線
・茨城県道109号稲田友部線
・茨城県道113号真端水戸線
・茨城県道145号上吉影岩間線
・茨城県道193号杉崎友部線
・茨城県道225号鶏足山線
・茨城県道280号南指原岩間停車場線
・茨城県道281号平友部停車場線
・茨城県道289号富谷稲田線
・茨城県道311号笠間停車場線
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笠間市 出身の芸能人
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茨城県笠間市出身の著名人には、テレビアニメ「アクエリオンロゴス」の剣嵜総の声などを務め、俳優、声優、歌手として幅広く活躍し、いばらき大使、茨城新聞親善大使、笠間特別観光大使なども務める安達勇人さん。ヒット曲「別れの一本杉」で知られるも病により若くして亡くなった作詞家で、その生涯は映画化もされた高野公男さん。実業家、政治家で、笠間市芸術村を開村した長谷川好三さん。大正から昭和にかけての浄土宗の大僧正で、宗教理念に基づく教育者、社会事業家としても活動し、淑徳大学創設者、初代学長でもある長谷川良信さん。江戸時代、幕末には笠間藩のお抱えで苗字帯刀を得た鉄砲師であり、明治維新後は自営の製銃所を創業し、文明開化により新たな技術を習得し、さまざまな機械の製作に挑戦。やがて宮田製銃所、のちの宮田製造所(現:モリタ宮田工業)創業者となった宮田栄助さんなどがいます。
芸術分野では、帝政ロシアに留学してイコン(キリスト教の宗教画)を学び、明治から大正にかけて日本で数々のイコンを描いた日本人最初のイコン画家、山下りんさん。明治から昭和初期の日本画家で、「高倉帝厳島行幸」「配所の月」などの作品があり、岡倉覚三(天心)さんの元で日本画の近代化に努めた人物のひとりである木村武山さん。国の重要無形文化財「練上手(ねりあげ)」保持者、いわゆる人間国宝であった陶芸家で、月崇寺の住職も務めていた松井康成さん。松井康成さんに師事し「練上手」の技法を継承した陶芸家で、詩画作家、エッセイスト、浄土宗僧侶、ツボ・整体療法士でもある柴田宋休さんなどが笠間市の出身です。
スポーツ界の笠間市出身者には、鹿島アントラーズやヴィッセル神戸などを経て、現在はFC TIAMO枚方に所属するプロサッカー選手で、元サッカー日本代表でもある野沢拓也さん。アテネオリンピック、北京オリンピック、ロンドンオリンピックなどで女子20km競歩代表を務めた競歩選手で、現在は老舗旅館の女将でもある川崎真裕美選手。スワントーンボムなどを得意技とするプロレスラーのナカタ・ユウタ選手。世界ランク最高位は3位である女子プロゴルファーの畑岡奈紗プロなどがいます。
現在の笠間市出身になる歴史上の人物では、笠間藩士で剣の達人であり、笠間の双璧と呼ばれた村上亘と山本鉄之丞がいます。
村上亘は諱を義知、後に義衛といい、示現流剣術、神発流砲術を習得して笠間藩の示現流剣術指南、水戸藩および笠間藩の砲術師範を務め、また文、武、医学に分かれていた笠間藩の藩校を統合し、新たな時習館の初代学頭に就任した人物です。明治維新後も存命し、撃剣興行なども行いました。
山本鉄之丞は諱は久安、後に久軌、良軌といい、唯心一刀流剣術、島村流水術を習得して、剣術では藩校の師範代、水術では島村流師範となっています。またしばしば水戸藩に出向いて試合や剣術指導も行い、試合では水戸藩の剣士全員に勝つなどして、水戸藩主、徳川斉昭からは「鬼鉄」の名や太刀を贈られています。
また当時、水戸藩の剣術家が、村上亘と山本鉄之丞に試合を挑むことが何度もありましたが、一度も勝てなかったといいます。
島男也(しまおなり)も元は江戸時代後期の笠間藩士で、本名は石井龍雄といい、示現流や北辰一刀流剣術を学び、鹿島流を開いた他、槍術、薙刀術、居合などさまざまな武術を修行しました。のちに脱藩して島男也を名乗り、尊皇攘夷運動に参加しますが、桜田門外の変の首謀者の一人、高橋多一郎を匿ったために捕えられ、獄死しています。
新撰組隊士であり、箱館戦争にて新選組が降伏した際、戦死した土方歳三に代わって隊長として署名したため、新選組最後の隊長、局長ともいわれる相馬主殿(主計)も、元は笠間藩士で笠間出身になります。長州藩の藩校、明倫館の教授を務め、明治維新以降は教部省に入省、退官後も教育に情熱を燃やした加藤桜老も、元は笠間藩士の儒学者でした。幕末から明治にかけての数学者、海軍軍人、財務官僚であり、江戸幕府や明治政府に仕えた小野友五郎広胖も笠間藩の出身です。示現流の源流である天真正自顕流の創始者、十瀬与三衛門長宗も、笠間の郷士だったといわれています。
また元禄赤穂事件、いわゆる「忠臣蔵」で知られる赤穂藩主、浅野内匠頭長矩の祖父、浅野長直が元は常陸国笠間藩主であったことから、事件に参加した赤穂四十七士の中にも、大石内蔵助良雄の参謀を務めたといわれる吉田忠左衛門兼亮、やはり参謀といわれる小野寺十内秀和、四十七士の最年長者である堀部弥兵衛金丸、間喜兵衛光延など、高齢の者には笠間の出身者がいます。
また出身者ではありませんが、笠間市にゆかりの深い人物としては、合気道の創始者で「開祖」とよばれ、数々の伝説的な武勇伝をもち、また人生そのものも波乱万丈であった植芝盛平師がいます。植芝師は1883年(明治16年)12月14日、和歌山県西牟婁郡西ノ谷村(現在の田辺市)生まれですが、後半生を岩間町(現在の笠間市)で暮らし、現地に合気神社を創建しています。植芝師は厳しい鍛錬で己を鍛え続ける一方、宗教にも傾倒し、やがて「天地人和合の道」すなわち身体を鍛え、技を磨くことによって気と心を練り、平和と愛の力、すなわち真の和を求めようとする合気の精神にいたります。合気道は、相手と相和して切磋琢磨をはかり、自己の人格完成を目指す武道だと植芝師は述べています。現在、植芝師は田辺市名誉市民、旧岩間町名誉町民でもあります。また盛平師から直々の稽古を、もっとも長期になる23年間、受けた人物であり、合気会合気道9段、合気会師範であり、盛平師が亡くなられた後は合気神社を守り続けた斉藤守弘師も旧岩間町の出身者です。
「上を向いて歩こう」「見上げてごらん夜の星を」「明日があるさ」など多くの名曲で知られる坂本九さんは、神奈川県川崎市川崎区出身ですが、幼少期にあたる戦時中は母親の実家がある笠間市に疎開していました。また母が幼い坂本さんを連れて笠間市へ向かう途中、間一髪で大事故から免れたことを長じてから聞かされて以来、笠間稲荷神社を信仰しており、生涯そのペンダントを身に着けていたそうです。
笠間ゆかりの歴史上の人物では、鎌倉時代の仏教家、僧侶で、浄土真宗の宗祖とされる親鸞が、笠間郡稲田郷(現在の笠間市)の領主、稲田頼重に招かれ、吹雪谷という地に「稲田の草庵(現在の西念寺)」を結び、布教活動を行っています。また鎌倉時代の常陸国の武将で、笠間氏の祖である笠間時朝も、仏教の庇護者として多くの神社に仏像を寄進するなどの文化的業績を残しています。
笠間市 町域別対応エリア
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ア行
- 赤坂(アカサカ)、安居(アゴ)、旭町(アサヒマチ)、飯合(イイゴウ)、飯田(イイダ)、池野辺(イケノベ)、石井(イシイ)、石寺(イシデラ)、泉(イズミ)、泉市野谷入会地(イズミイチノヤイリアイチ)、市野谷(イチノヤ)、稲田(イナダ)、大郷戸(オオゴト)、大古山(オオゴヤマ)、大田町(オオタマチ)、大橋(オオハシ)、大渕(オオブチ)、押辺(オシノベ)、小原(オバラ)
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カ行
- 笠間(カサマ)、柏井(カシワイ)、片庭(カタニワ)、金井(カナイ)、上市原(カミイチバラ)、上加賀田(カミカガダ)、上郷(カミゴウ)、北吉原(キタヨシハラ)、来栖(クルス)、鯉淵(コイブチ)、鴻巣(コウノス)、五平(ゴヘイ)
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サ行
- 下市毛(シモイチゲ)、下市原(シモイチバラ)、下加賀田(シモカガダ)、下郷(シモゴウ)、住吉(スミヨシ)
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タ行
- 平町(タイラマチ)、中央1(チュウオウ1)、中央2(チュウオウ2)、中央3(チュウオウ3)、中央4(チュウオウ4)、手越(テゴシ)、寺崎(テラザキ)、友部駅前(トモベエキマエ)
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ナ行
- 中市原(ナカイチバラ)、長兎路(ナガトロ)、長兎路仁古田入会地(ナガトロニコダイリアイチ)、随分附(ナムサンヅケ)、仁古田(ニコダ)
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ハ行
- 箱田(ハコダ)、橋爪(ハシヅメ)、土師(ハジ)、東平1(ヒガシダイラ1)、東平2(ヒガシダイラ2)、東平3(ヒガシダイラ3)、東平4(ヒガシダイラ4)、日草場(ヒクサバ)、日沢(ヒザワ)、福島(フクシマ)、福田(フクダ)、福原(フクハラ)
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マ行
- 南小泉(ミナミコイズミ)、南友部(ミナミトモベ)、南吉原(ミナミヨシハラ)、美原1(ミハラ1)、美原2(ミハラ2)、美原3(ミハラ3)、美原4(ミハラ4)、本戸(モトド)
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ヤ行
- 八雲1(ヤクモ1)、八雲2(ヤクモ2)、矢野下(ヤノシタ)、湯崎(ユザキ)、吉岡(ヨシオカ)