龍ケ崎市 でテレビアンテナ工事をお考えの方へ
目次
龍ケ崎市 でアンテナ工事でお困りの方はお任せ下さい。
当あさひアンテナでは茨城県龍ケ崎市はじめ、茨城県内での地デジ、BS/CSなど各種アンテナ設置工事について、豊富な経験と実績がございます。龍ケ崎市にお住まいで、地デジその他アンテナの新規設置、また修理や交換などをお考えの方は、まずはご相談だけでも当あさひアンテナへ、お電話やメールでお気軽にお問い合わせください。
茨城県龍ケ崎市(りゅうがさきし)は県南地域に属し、県南部、南端近くのほぼ中央に位置する市です。市の総面積は78.59平方キロメートル。2021年(令和3年)2月1日時点での総人口(住宅基本台帳人口)は76,573人。うち男性が38,096人、女性が38,477人になります。また市内にはおよそ34,384世帯が暮らしています。龍ケ崎市は現在、ベッドタウンとしての発展が進んでいる一方、古くからの史跡や伝統文化、また牛久沼などの自然環境にも恵まれた市です。
東京都隅田区にある東京スカイツリーから龍ケ崎市までは、およそ34.5キロから47.5キロの距離になります。スカイツリーからの地デジ電波は、NHK、広域民放であれば市内の全域で受信可能です。ただ現場の環境により、地デジ受信に関してさまざまな条件や制約が生じるケースもございます。
当あさひアンテナでは、茨城県龍ケ崎市全域での地デジその他、各種アンテナ設置工事に対応しております。弊社には龍ケ崎市はじめ県内全域での作業経験が豊富で、地域ごとの地デジ電波の特性を把握し、現場に合わせた最適なアンテナ設置工事をご提案できる腕のいい専門の職人が揃っております。龍ケ崎市にて地デジ、CS/BSなど各種アンテナ設置や修理、交換などの各種工事をお求めのお客様は、確実な地デジ受信と、丈夫で長持ちするアンテナの設置をお約束する、当あさひアンテナのフリーダイヤル(0120-540-527)か、ホームページからのお問い合わせフォーム(https//asahi-antenna.jp/contact)へとご連絡ください。
「2020年現在の新型コロナウィルス流行に関しまして」
このたびの新型コロナウイルス発生に際しまして、弊社では現場に出向く職人はもちろん、全従業員にマスクと除菌スプレーを配布し、作業車や作業着などの除菌を頻繁かつ丁寧に行う他、従業員各人によるこまめなうがい、手洗いなども徹底しております。また会社としても従業員には業務よりも体調管理を優先し、わずかでも体調に異変がある場合は、安全が確認できるまで休むよう指導しております。
すべては社員の身を守ると同時に、万全を期してお客様をお守りするための、最大限の配慮でございます。現場でのお客様への対応についても、万が一のリスクを避けるため、失礼ながら基本的にマスクを装着したままでご対応させていただいております。申し訳ありませんが、なにとぞご了承ください。
龍ケ崎市 の方でアンテナ工事に関するよくある質問
- Q
龍ケ崎市に適した地デジアンテナの機種はどのようなものですか?
- A
現在、ご家庭で用いられる主な地デジアンテナの機種は、八木式アンテナとデザインアンテナになります。
八木式アンテナは屋根の上などに多く見られる、魚の骨のような形状の地デジアンテナです。日本ではテレビ放送の黎明期から使われている昔ながらのアンテナで、素材や耐久力などは時代につれて進化し続けていますが、基本設計は開発当時から変わっていません。それほど設計の完成度が高く、現在でも地デジ電波の高い受信能力を誇る機種です。ただ基本的に屋外に設置される八木式アンテナは風雨など自然環境の影響を受けやすく、歳月につれて確実に老朽化が進行する弱点もございます。現在の八木式アンテナの寿命は平均10年程度ですが、この年数は海沿いや豪雪地帯など、設置現場の環境によっても大きく変わってきます。
デザインアンテナは家屋の外壁などに設置する、平面で軽量薄型の地デジアンテナです。家屋の外観を損なわない、自然環境の影響を受けにくく経年劣化を軽減できる、修理やメンテナンスも簡単など多くのメリットがあり、現在では人気ナンバーワンの地デジアンテナになります。また現在のデザインアンテナは基本モデルが20素子相当であり、八木式アンテナと比べても受信性能にほとんど差はごさいません。ただデザインアンテナは八木式アンテナよりも設置位置が低い分、受信感度もやや低くなる傾向がございます。またアンテナ本体価格や設置工事費も、八木式アンテナに比べるとやや割高になります。
龍ケ崎市は茨城県の県南地域に属し、県の南端に近い地域、東西ではほぼ中央に位置する市です。市域は主に台地や丘陵地と河川沿いの平野から成り立っています。東京スカイツリーは市域の南西方向に位置し、約34.5キロから47.5キロ程度の距離になります。スカイツリーからの地デジ電波は、NHK、広域民放であれば市内の全域で完全に受信可能です。
他にも龍ケ崎市の北側、筑波山に位置し、NHK水戸(総合)を送信する筑波中継局の地デジ電波も、市内の全域で受信できます。
県外の中継局では、市の南西側ながらスカイツリーよりは東より、千葉県の船橋市に位置し、千葉県の地方局、千葉テレビ(ちばテレ、CTC)を送信する千葉局の地デジ電波も市内全域で受信できます。
総じて龍ケ崎市は地デジ電波の受信環境に恵まれている地域といえます。そのため市内では基本的に八木式アンテナ、デザインアンテナのどちらを使用しても、地デジ受信について大きな違いが生じることはほとんどございません。
ただ市内でも高層建築の近隣など現場の条件によっては、適切なアンテナの機種や設置位置、アンテナの方向などに条件や制約が生じるケースもございます。
当あさひアンテナでは、八木式アンテナ、デザインアンテナとも、国産DXアンテナ社製の最新モデルをご用意し、八木式アンテナは軽量で耐水性と対風速性が高く、長寿命が望める機種を用い、アンテナ本体価格を含む基本工事価格15000円からで設置をお引き受けしております。
デザインアンテナは20素子相当、業界最小クラスの厚さ4.9cm、大きさ9cm×22cmの超薄型モデルをご用意し、アンテナ本体価格を含む基本工事価格20000円からで設置をお引き受けいたします。さらにこれら標準機種で受信が安定しない場合は、別途に高性能アンテナや、アンテナブースター、アッテネーター設置の用意もございますので、どのような現場にも対応可能です。
弊社では地デジアンテナの設置に際し、高性能の電波測定器による現場調査を実施しており、現場においてもっとも適切なアンテナの種類や設置位置など、できる限りお客様のご要望に応じた方法をご提案いたします。もしご希望の条件でどうしても受信に問題が出る場合は、弊社の豊富な工事経験に基づき、できるだけご要望に近い代案をご提示いたします。
また弊社ではアンテナ設置のご相談および、ご自宅を訪問しての地デジ電波調査、アンテナ設置工事費のお見積もりまですべて無料で行っております。弊社のアンテナ職人は豊富な経験と高度な技術を駆使して、現場の電波状態から、もっともリーズナブルでありながら、自然環境の影響を受けにくく、故障のリスクを避けアンテナの長寿命が望めるなど、お客様にとって総合的にもっともお得となる設置方法をご提案いたしております。
龍ケ崎市において地デジアンテナの新規設置や交換をお考えの方は、電波状態の確認やお見積りから、アンテナ機種のご希望、その他のご相談も含め、当あさひアンテナのフリーダイヤル(0120-540-527)へと、どうぞお気軽にお問い合わせください。
- Q
龍ケ崎市では東京MXやその他の地方局を視聴できますか?
- A
東京MXは基本的に東京都内が対象の地方局(地方チャンネル)であり、NHKや広域民放と同じく、東京スカイツリーから電波を発信しています。青梅や奥多摩など都内でも電波が届きにくい地域には、東京MXの電波を含む中継局が設置されています。
ただスカイツリーからの地デジ電波は、NHK、広域民放の出力が10kwで関東の広範囲をカバーしているのに対し、地方局であるMXの出力は3kwになり、東京MXの電波が届くのは東京都内とその近隣地域の範囲になります。しかもスカイツリーの北側および東側は東京MXの電波の届く範囲が短くなっております。
龍ケ崎市は茨城県の南端に近い地域、東西ではほぼ中央に位置し、県内でも東京都心に近い地域のひとつです。ただ市域からスカイツリーまでは約34.5キロから47.5キロ程度の距離であり、市内で東京MXの電波を受信することは難しくなります。
また龍ケ崎市は県の南端部に接する千葉県にも近く、千葉県内の地方局には、千葉テレビ放送(CTC、ちばテレ)が存在します。CTCも千葉県内の各地に中継局が設置されており、龍ケ崎市では船橋市に位置する千葉局からのCTCの地デジ電波を、市内全域で受信可能です。他にも地方局ではありませんが、NHK水戸(総合)を送信する筑波中継局の地デジ電波も、市内の北よりの地域で受信できます。なお茨城県は2021年現在、全国の都道府県で唯一、県内の地方局が存在しない県です。
ただ地デジアンテナは基本的に、電波塔が位置する方向に向ける必要がございます。龍ケ崎市から見てスカイツリーは南西側、千葉局も同じ南西側ながらスカイツリーよりは東より、筑波中継局は市のほぼ北側に位置しています。
そのため龍ケ崎市内では、スカイツリーおよび千葉局のCTCの地デジ電波であればほとんどの場合は一台の地デジアンテナで双方の地デジ電波を受信可能です。ただ現場の一夜条件によっては、双方の地デジ電波の受信に問題が生じるケースもございます。
またスカイツリー、千葉局とほぼ反対方向に位置する筑波中継局の地デジ電波を受信することは難しく、どうしても筑波中継局から受信なさりたい場合は、北側に向けたもう一台の地デジアンテナが必要となります。龍ケ崎市内でも現場によっては、地デジ電波が高層ビルなどに反射した「反射波」を受信することで、異なる方向からの複数の地デジ電波を一台の地デジアンテナで受信できる場合もございますが、どのような現場でも必ず可能とは申せません。
龍ケ崎市でCTCなどの地方局を受信するために工事費がかさむ、また東京MXなど受信できない地域の地方局をご視聴なさりたい場合は、ケーブルテレビをご利用される方法もございます。当あさひアンテナでは地デジアンテナの設置にこだわらず、お客様のご要望を最優先に、もっとも確実かつリーズナブルな方法をご提案いたします。
龍ケ崎市で他地域の地方局をご覧になりたいお客様は、受信の可否や工事費などについて、まずは当あさひアンテナのフリーダイヤル(0120-540-527)へとお気軽にお問い合わせください
- Q
結城市で地デジアンテナが故障したときはすぐ修理してもらえますか?
- A
その点はどうかご安心ください。弊社では他業者が設置したどのようなテレビアンテナでも、弊社フリーダイヤル(0120-540-527)にご一報いただければ、最短即日で職人が現場に出向き、修理対応させていただきます。
特に弊社が設置したテレビアンテナの場合は、業界最長クラスとなる、施工日から10年間のアフターフォロー体制をご用意しております。これは弊社がアンテナ設置技術に高い自信をもつ証でもあります。もし保障期間中、弊社が施工した各種アンテナにトラブルが発生したときは、すぐ弊社のフリーダイヤルにご一報ください。弊社職人が即座に現場へと駆けつけ、補償範囲内のトラブルであれば完全無料で復旧するようご対応させていただきます。
弊社ではアンテナ設置工事が完了した際、工事を担当した職人の自筆サイン入り保証書をお客様にお渡ししております。もしトラブルなどでお客様が対応をお求めの際は、まずこの保証書をご用意ください。ただ、なにぶん10年間の長期保証となるため、お客様が保証書を紛失された場合を想定して、弊社でも施工から10年間は、あらゆる工事の現場写真や保証書などを社内でデータベース化して保存しております。
アンテナ修理をご依頼される際、もし弊社の保証書が見つからない場合は、お電話でその旨をお伝えください。そしてお手数ですが、お客様のお名前やお電話番号、当時の工事内容や施工時期などを、お分かりの範囲内でお教えください。弊社側のデータベースで確認でき次第、あらゆる保証について、保証書をご提示いただいた場合とまったく同じ対応をさせていただきます。
余談ですが、風雨や雷、雪、雹、隕石、また外部からの落下物など、自然災害によりアンテナが損壊した場合は、火災保険の「風災保証」によって修理費が補償されるケースがございます。補償される内容は保険会社との約款によって異なりますが、当あさひアンテナでは、アンテナ修理だけではなく、修理費用に火災保険を適用なさりたいお客様のご相談にも対応しております。
弊社にアンテナ修理をお求めになる際、火災保険のご相談もいただければ、保険会社に提出する必要がある修理報告書、見積書、施工前後の写真など、補償請求書類をすべて弊社でご用意いたします。また保険会社との交渉も、弊社の専門スタッフが全力でサポートいたします。結城市にて突然のアンテナトラブルによってお困りの際は、アンテナ本体の修理から保険会社への対応まで完全にお引き受けする、当あさひアンテナにすべてお任せください。
龍ケ崎市 にお住まいで画面にE201、E202、E203の文字が出ている方
テレビ画面に"E201、E202、E203"と表示され番組が視聴できない
アンテナトラブルの形式として、突然、ご自宅のテレビで地デジのテレビ番組がまったく映らなくなり、画面に「e201」「e202」「e203」などの記号が表示されることがございます。これはテレビやアンテナにトラブルが発生し、テレビが自己診断機能を働かせてエラーコードで原因を示している状態です。最近のテレビはコードと同時にトラブルの原因を文章で表示するものもありますが、電波受信に関するトラブルの場合は、主に前述の三種類のコードが表示されます。なおエラーコードの種類は、トラブルの原因によって他にも数々のものがございます。
「e201」は、テレビ本体に届く電波のレベルが低下しているというエラーコードです。これは主にBS、CS放送で、豪雨や大雪など、悪天候の場合に表示されることが多くなります。BS、CS放送は衛星放送のため、悪天候では、波の乱反射によって電波状態が悪化するという弱点がございます。BSでは悪天候の際に電波を切り替え、画質、音質を落とすことで受信できるようにした「降雨対応放送」に切り替わる場合もあります。悪天候による受信不良は、天候の回復と同時に自然と復旧いたします。地デジ放送では、このコードが表示されることは少ないのですが、周辺の電波状態の悪化やアンテナ機器のトラブルなどにより、ときに表示されることもございます。
「e202」は、テレビ本体ににまったく電波が届いていないというエラーコードです。原因は大風や地震などによるアンテナ角度のずれや倒れるといったトラブル。またアンテナ本体、アンテナ線、ブースター(増幅器)、分配器など、どこかに故障が発生したことも考えられます。また単純にテレビとアンテナ線との接触不良という場合もありますので、このコードが表示されたときは、まずテレビやレコーダーなどの機器と、アンテナ線との接続部分をチェックしてください。
「e203」は、該当する放送局が放送休止しているというエラーコードです。基本的に放送局が、メンテナンスやトラブルなどによって放送を休止していることから発生する不具合です。このコードが表示されたときは、その他のチャンネルを確認して、正しく映っているなら放送局側に原因があると判断できます。ただアンテナ関係の故障でも、このコードが表示される場合がありますのでご注意ください。
これらのエラーコードが表示されたときは、ブロックノイズの際と同じく、まずテレビのリセットや、テレビとアンテナ線の接続部を確認するなどしてください。それでも回復しない場合は、アンテナ関係にトラブルが起こっていると考えられます。
その場合も、やはり当あさひアンテナのフリーダイヤル(0120-540-527)にご相談ください。まずお電話口にて、コードの種類やご自宅のアンテナ環境などとお伺いして、ご自宅で可能な対策をご説明いたします。もしお電話で問題が解決しないときは、ご用命いただければ、弊社の職人が最短即日でご自宅へ出向き、現場調査で原因を特定いたします。
当あさひアンテナでは、どのようなご相談であっても、出張費、見積もり費、キャンセル費はすべて無料で対応させていただきます。またトラブルの原因を特定した後は、弊社の職人からお客様に、修理に必要な工事のご説明と見積もり価格を提示いたします。その内容にお客様が納得され、正式にご契約なされた時点ではじめて工事にかからせていただきます。それまでは決して無断で工事を進めることはなく、料金も一切発生いたしません。
さらにアンテナ工事後の保証など、アフターフォローの体制も万全のものを用意してございます。テレビ映りに不具合が発生して、エラーコードからアンテナトラブルだと思われる場合は、まずは当あさひアンテナのフリーダイヤル(0120-540-527)へとお気軽にお電話ください。
龍ケ崎市 についてもっと知りたい
これからお引越しを考えている方
龍ケ崎市 てどんなところ??
茨城県龍ケ崎市は県内の南部で、県南地域に位置する市です。東西では県および県南地域のほぼ中央にあたり、南側は北相馬郡利根町などをへだてて県の南端部に近い市です。市域の北西部には牛久沼が位置し、沼からさらに北西に伸びる谷田川、西谷田川の流域も市域に含まれます。谷田川は牛久沼の南東側からも流れ、ほぼ市域の南西部の境界を流れる小貝川に合流します。市の北側の境界には小野川が流れ、市域の東部には破竹川、大正堀川が、南部には江川が流れています。湖沼には南西部に旧小貝川である三日月湖がある他、中沼、蛇沼、板橋池、破竹川調整池などが存在します。
市域の北部は関東ローム層が堆積する稲敷台地であり、南部は利根川と小貝川にはさまれた沖積平野で、豊かな水田地帯となっています。
市の気候は、冬場は寒さが厳しくなることもありますが、全体的には寒暖の差が比較的、少なく、年平均気温も平均14度程度と気候に恵まれています。年間降水量は1,000ミリメートル程度。降雪は年平均1回から3回ほどと少なく、積雪15センチを超えることは稀です。
今日の龍ケ崎市にいたる歴史としては、1889年(明治22年)4月1日の町村制施行により、河内郡龍ケ崎町が設置されます。1896年(明治29年)3月29日には河内郡、信太郡の一部が合併して稲敷郡になり、龍ケ崎町は同郡に属することになります。1954年(昭和29年)3月20日に龍ケ崎町が稲敷郡馴柴村、大宮村、八原村、長戸村、北相馬郡川原代村、北文間村を編入しれ市制施行。龍ケ崎市となります。さらに1955年(昭和30年)2月21日には北相馬郡高須村の一部である高須と大留の一部を編入し、現在の市域にいたっています。
「龍ケ崎」の地名の由来は、平安時代末期、当地の地頭に任ぜられた武将、御家人である下河辺政義が、鎌倉時代になって、源義経の姻戚であったことから領地を没収された後、氏を龍崎と称したことが由来という説があります。
ただ一方で千葉県の言い伝えとして、その昔、旱魃に苦しむ民衆を救うため、小龍が大龍の許しを得ずに雨を降らせたことから、大龍の怒りを買って身体を三つに引き裂かれ、天から降ってきた。その龍を手厚く弔うため、頭部が落ちた地には千葉県印旛郡栄町の竜角寺が、胴体が落ちた地に印西市の竜腹寺が、尾が落ちた地には匝瑳市の竜尾寺が建てられたというものがあり、龍が降ってきた場所ののすぐ先の地域として「龍ケ崎」となった、という説もあります。
他にも当地に竜巻の発生が多かったことや、当時の地形が龍に似ていたことが由来であり、下河辺氏は地名からとって龍崎を名乗ったとする説もあります。余談ですが下河辺政義の子孫は長谷川氏として続き、江戸時代中期には一族より池波正太郎さんの時代小説「鬼平犯科帳」で知られる江戸幕府の旗本で、火付盗賊改役を務めた長谷川平蔵宣以が出ています。
なお市名の表記は正式には、旧漢字の「龍」と大きいカタカナの「ケ」で「龍ケ崎市」になります。これは1954年の市制施行時、官報に載った表記であり、市の公文書では今日にいたるまで長年「龍」で統一されています。ただ茨城県では、公文書には常用漢字を使うという規定があるため、県の施設名は「竜ケ崎」で統一されています。また市内の民間企業や施設などでは双方の表記が混在する他、小さい「ヶ」の使用や「竜崎」などの表記も見られます。
現在の龍ケ崎市は、平坦な台地の地形と首都圏50キロメートル圏内という条件から、特に北部において龍ケ崎ニュータウンや、つくばの里工業団地などが開発され、ベッドタウンや商業地、企業の工場などが集まる都市化が進んでいます。南部の水田地帯は県南における穀倉地帯の中核であり、西部の牛久沼は、白鳥が集まる豊かな自然環境を保持しています。
旧龍ケ崎町の中心市街地は、江戸時代以前から地域の商業都市として栄え、現在でも古い寺社や商家の建物などが見られます。古くは東海道が龍ケ崎付近を通っていました。江戸幕府が制定した水戸街道は、龍ケ崎から西の取手宿、藤代宿、若柴宿、牛久宿を抜けるルートになり、龍ケ崎は街道筋から外れます。しかし藤代宿と若柴宿の間の脇街道から、龍ケ崎を経て現在の千葉県成田に至っていました。また小貝川や利根川、江戸川の水運により、交通の要衝、物資の集積地であることは変わりませんでした。
若柴宿は現在の龍ケ崎市に含まれ、江戸期の建物は幾度もの火災によって焼失したものの、現在でも明治期の建物がいくつか見られ、町並みにはかつての宿場町の雰囲気が感じられます。
市内の名物には、鰻丼(うな丼)があります。これは江戸時代後半、現在の常陸太田市にあたる地出身の商人で、のちに水戸藩の勝手方として取り立てられる大久保今助という人物が、江戸から水戸へ向かう途中、牛久沼の湖畔にある茶店で渡船を待ちながら丼飯と鰻の蒲焼を注文しました。しかし料理が出されたのと、渡船が出発するタイミングが重なってしまい、今助は店の食器を借り、丼の上に蒲焼の皿を逆さに乗せて船に乗り、対岸に到着してから食べたところ、ご飯によって蒸された蒲焼と、タレの染みたご飯が合わさり、これまで食べたことのない美味になっていました。
その後、茶店に食器を返す際、今助がこの話をしたことから、茶店や周辺の店が鰻丼を出すようになり、水戸街道の名物となったとも、江戸に戻った今助が自身の芝居小屋で、お弁当の重詰めの代わりに鰻重を出すようになり、江戸に広まったともいわれています。この逸話から牛久沼の周辺では現在でも鰻丼をはじめウナギ(鰻)料理を出す店が多く「うなき海道」として知られています。
現代の市の名産品では、エコファームの認定を受けた農家が栽培する、甘さと酸味が調和した美味の「龍ケ崎トマト(ファーストトマト)」。特別栽培米の龍ケ崎産コシヒカリ「龍のまごごろ」などがあります。
「龍ケ崎コロッケ」は、龍ケ崎の商工会女性部を中心にはじまったコロッケ作りが元であり、現在では地元のソウルフードとして知られています。主に龍ケ崎市の周辺や茨城県産の食材を使う以外、材料や料理法などに決まりはなく、ローズポークの豚肉やサツマイモ(薩摩芋)の紅あずま、レンコン(蓮根)などを用い、懐かしい家庭の味から、高級感のある洋食まで、市内の店舗ごとにさまざまな味が楽しめます。近年では年に一度、市内で全国から名物のコロッケが集まる「全国コロッケフェスティバル」も開催されています。
また工芸品では、市内のガラス工芸会社、カガミクリスタルのガラス工芸品が、宮内庁御用達になっています。
市内の名所、旧跡や観光スポットでは、旧龍ケ崎町の市街地にある江戸時代の豪商、小野瀬家の店舗、兼、住宅が、国の登録有形文化財になっています。馴馬城(なれうまじょう)は南北朝時代の初期に、南朝の拠点として築城された城で、現在は空堀や曲輪、土塁などの遺構が残り、茨城県指定史跡になっています。
龍ケ崎城は戦国時代に当地を治めた土岐氏の居城で、現在の竜ヶ崎第二高校の一帯に築かれていました。現在でも高校の西側に鹿島神社があり、グラウンドの北側に空堀と土塁のような地形が残されています。
般若院のしだれ桜は、樹齢およそ400年といわれ、茨城県の天然記念物に指定されており、花の季節には花見客で賑わいます。来迎院多宝塔は室町時代の建立と見られ、国指定の文化財に指定されています。
前述の旧水戸街道若柴宿も名所である他、牛久沼は景勝地としても知られ、沼の周辺を含む全域が龍ケ崎市に含まれます。冬場にはハクチョウ(白鳥)が飛来し、その優雅な姿を観ることができます。沼の名前の由来は付近の金竜寺に残る「牛になった小坊主」の伝説からといわれます。また古くから河童の伝説も伝えられ、沼沿いの遊歩道は「牛久沼かっぱの小径」と名づけられています。
市内にはゴルフ場として、龍ケ崎カントリークラブも存在します。
龍ケ崎市の祭礼、イベントでは、国選択および茨城県の無形民俗文化財に指定されている、撞舞(つくまい)が有名です。
龍ケ崎の撞舞は、囃子に合わせ、舞男が高さ約14メートルの撞柱に上ります。白い布で覆った頂上の円座にて、舞男は東西南北に弓を引いて矢を放ちます。さらに逆立ちや仰向け、柱に張った網の上での滑空や大車輪などの技を披露するものです。
撞舞は、奈良時代に中国より伝わった、軽業や記述などに音楽を合わせた芸能の散楽が神前に奉納するものとなり、徐々に地方へと広まって庶民も生活と密着し変化したものだと考えらています。龍ケ崎は水田地帯であったため、雨乞いや五穀豊穣などの願が付け加えられ、現在の形になったとみられています。
龍ケ崎の撞舞の舞男は、緑色の唐草模様の筒袖襦袢(つつそでじゅばん)と裁着袴(たっつけばかま)を身に着け、アマガエル(雨蛙)の面を頭にかぶり、顔の前に赤い布を垂らし、頭の後ろにはさまざまな色の紙を張り付け、鱗に見立てた白い布を乗せます。
アマガエルの面は、龍ケ崎に伝わる、洪水のときには水を飲み込み、日照りのときには水を吐き出して農民を助けたといわれる巨大なカエル「雨蛙のフク伝説」に関わりがあると見られ、撞舞は龍の背中をカエルが這い上がる様子を表し、雨乞いをするともいわれています。
現在では、毎年7月下旬に3日間に渡って行われる八坂神社祇園祭、最終日の夕刻に、根町の撞舞通りで行われ、2人の舞男が妙技を見せてくれます。この八坂神社祇園祭も市内の大きな夏祭りです。
他にも毎年の勤労感謝の日には、本町商店街大通りにて、薬師市龍ケ崎商業まつり「いがっぺ市」が行なわれます。
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龍ケ崎市 の場所
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茨城県龍ケ崎市は県南部、東西ではほぼ中央の南端に近い地域にあたる市です。県内では県南地域に含まれ、市域の北側を牛久市に、東側を稲敷市に、南東側を稲敷郡河内町に、南側を北相馬郡利根町に、西側を取手市に、北西の端のうち、北よりをつくば市に、南よりをつくばみらい市に面しています。
龍ケ崎市は茨城県の南端近くに位置し、首都圏50キロ県内に含まれることからベッドタウンとして市街地が発展しています。また鎌倉時代から戦国時代には市内に馴馬城や龍ケ崎城などが存在し、江戸時代には街道に近く商業地や物資の集積地として発展するなどし、現在でも史跡や名所、伝統文化などが数多く残っています。また牛久沼や谷田川などの自然の景勝地も豊富であり、総じて利便性と文化、自然環境を兼ね備えた、非常に暮らしやすい都市といえます。
龍ケ崎市の市章は、太い線で描かれた円の上部と下部の左右に三角の切れ目が入り、円の中で正三角形の頂点のような形となっているものです。これは市名にちなんで、龍が3本の爪で玉をつかんでいる様子を意匠化したもので、天に昇る龍から、発展する龍ケ崎市をイメージしています。この市章は1927年(昭和2年)6月15日、旧龍ケ崎町の町章として制定されたものを、市制施行後も引き継いだものです。
龍ケ崎市の花はキキョウ(桔梗)、市の木はマツ(松)、市の鳥はハクチョウです。これらの市のシンボルは、1974年(昭和49年)7月15日に制定されました。
キキョウはキキョウ科の多年生草本植物です。日本各地の山野で、日当たりの良い場所に自生するキキョウは秋の季語でもあり、秋の七草にも数えられていることから、秋の花のイメージが強いですが、実際は6月中旬から9月頃まで、星型で紫色の花を咲かせます。戦国武将である美濃の山県氏、土岐氏一族の一族は「桔梗紋」を家紋にしており、2020年(平成2年)のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」で長谷川博己さんが演じた主人公、明智光秀の紋としても知られています。室町時代後期の武将で、文武に長けた名将、太田道灌(資長)の家紋は「丸に細桔梗紋」です。まや陰陽師として知られる安倍晴明が使用した五芒星を「桔梗印」と呼び、晴明神社の神紋とされています。往年のテレビ時代劇「三匹の侍」では、平幹二朗さんが演じたニヒルな色男の浪人が桔梗鋭之介といいました。市内に存在した龍ケ崎城の城主も土岐氏であり、家紋はキキョウでした。花も清楚で美しいことから市の花に選ばれました。
マツはマツ科のマツ属(タイプ属)の木です。木の高さは種類によって10メートルから50メートル近くになるものもあり、樹形もクリスマスツリー型や扇形など、環境によって変わってきます。種類によっては岩や砂ばかりの荒地でもよく育つことから、砂浜や海岸、日本庭園に植樹されて絶景を作り出したり、街路樹や庭木にもよく用いられたりします。また盆栽としても人気があります。マツはかつて龍ケ崎城主の土岐氏が治水のため並木通りに植えた木であり、縁起のよさや、市の気候、風土に適していることから、市の木に選ばれました。
ハクチョウはカモ科ハクチョウ属のコブハクチョウ、コクチョウ、クロエリハクチョウ、オオハクチョウ、ナキハクチョウ、コハクチョウおよび、カモハクチョウ属のカモハクチョウの7種の水鳥の総称です。シベリアやオホーツク海の沿岸で繁殖し、冬季は温暖な日本などへの渡りをおこない越冬する大型の渡り鳥として知られ、現生する空を飛ぶ鳥では最大級の重量を有しています。日本にはオオハクチョウとコハクチョウが冬期に渡ってきて、北海道や本州の湖沼、河川などで過ごします。
日本では「くぐい(鵠)」の古称をもつハクチョウは、その優雅な姿から、伝説、神話をはじめ、和歌や俳句、童話、バレエや歌曲、また特急列車の名称など、さまざまな作品のモチーフや名称にも用いられています。またハクチョウといえば文字通り白い鳥というイメージですが、ハクチョウ属のコクチョウ(黒鳥)は、名前通り全身の羽毛がほぼ黒いハクチョウになります。牛久沼は冬にはハクチョウが訪れることで知られ、優雅でまばゆい純白の姿が、暖かな市民の心を象徴していることから市の鳥に選ばれされました。
龍ケ崎市のキャラクターには、市のマスコットキャラクターで龍ケ崎ふるさと大使でもある「まいりゅう」がいます。まいりゅうは、龍をモチーフに、頭と尻尾は龍ながら、身体は人間風で、市の伝統行事、撞舞の舞男の衣装を着たキャラクターです。名前は「撞舞」と市名でもある「龍」をかけたもので、鼻は地域のふれあいの暖かさを表すハート型になっています。
まいりゅうは撞舞の舞男にあこがれる龍の男の子で、年齢は450歳ぐらいながら、永遠の子供だそうです。好きな食べ物は龍ケ崎コロッケで、趣味は竜鉄(関東鉄道竜ヶ崎線)に乗ること。特技はハート形の鼻から,しあわせフェロモンを放出できるそうです。
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龍ケ崎市 の鉄道路線
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東日本旅客鉄道(JR東日本)
常磐線
・龍ケ崎市駅
関東鉄道
竜ヶ崎線(全線市内)
・佐貫駅
・入地駅
・竜ヶ崎駅
龍ケ崎市のバス
一般路線バス
・関東鉄道(竜ヶ崎営業所・江戸崎車庫・つくば中央営業所)
・大利根交通自動車
・JRバス関東(土浦支店)深夜バス「土浦リレー号」
中距離バス
・成田空港直通バス(NATT'S)(関東鉄道・千葉交通・成田空港交通)
・急行わかば号「竜ヶ崎駅‐茨城県運転免許センター」(関鉄観光バス)
コミュニティバス
・龍ケ崎市コミュニティバス「龍・ゆうバス」「龍ぐうバス」(関東鉄道、平成観光自動車)
・河内町コミュニティバス
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龍ケ崎市 の主要道路
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・国道6号(水戸街道)
・千葉県道・茨城県道4号千葉竜ヶ崎線
・茨城県道5号竜ヶ崎潮来線
・茨城県道34号竜ヶ崎阿見線
・茨城県道48号土浦竜ヶ崎線
龍ケ崎市の空港
・龍ヶ崎飛行場
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龍ケ崎市 出身の芸能人
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茨城県龍ケ崎市出身の著名人には、ファッションモデル、タレントとしてさまざまなテレビ番組などで活躍する鈴木奈々さん。お笑いトリオ「四千頭身」のボケ役を務める芸人の都築拓紀さん。元名古屋テレビ放送(メ~テレ、NBN)アナウンサーで、現在はフリーアナウンサー、ニュースキャスター、気象予報士の岡山裕子さん。気象予報士、防災士、健康気象アドバイザーとしてニュース番組などに出演する菊池真以さん。外務省カリブ室長、駐コンゴ民主共和国兼コンゴ共和国特命全権大使などを務めた外交官の北澤寛治さんなどがいます。
スポーツ界では、千葉ロッテマリーンズで投手を務めるプロ野球選手の原嵩選手。阪神タイガースで投手を務めた元プロ野球選手の清原大貴さん。江戸時代のの大相撲力士で「大物喰い」と呼ばれた一力長五郎関。昭和中期の大相撲力士で「曲者」と評された海乃山勇関。兵庫県芦屋市出生で、幼少期に龍ケ崎市へ転居。中学時代には牛久市に転居するも、実際にはほぼ龍ケ崎市で少年時代を過ごした元大相撲力士で第72代横綱である稀勢の里寛関(現在は年寄、荒磯親方)。数々の世界的な大会で活躍するフリークライマーの野口啓代さん。KAIENTAI-DOJOに所属し、プロレスのレフェリーを務めるトミー茨城さん。第4代修斗世界ミドル級元王者で、野生のカリスマの異名を持つ総合格闘家であり、柔道整復師、鍼灸師、龍ケ崎市議会議員でもある桜井“マッハ”速人選手。プロスノーボーダーである時田敬司選手。1964年東京オリンピック柔道男子中量級金メダリストの柔道家であり、現在は指導者として活動する岡野功さんなどが、龍ケ崎市の出身者です。
龍ケ崎市 町域別対応エリア
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ア行
- 東町(アズママチ)、愛戸町(アタドマチ)、泉町(イズミマチ)、板橋町(イタバシマチ)、稲荷新田町(イナリシンデンマチ)、入地町(イレチマチ)、薄倉町(ウスクラマチ)、大塚町(オオツカマチ)、大留町(オオドメマチ)
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カ行
- 貝原塚町(カイハラツカマチ)、門倉新田町カドクラシンデンマチ)、上大徳新町(カミダイトクシンマチ)、上町(カミマチ)、川崎町(カワサキマチ)、川余郷(カワヨゴウ)、川原代町(カワラシロマチ)、北方町(キタカタマチ)、久保台1(クボダイ1)、久保台2(クボダイ2)、久保台3(クボダイ3)、久保台4(クボダイ4)、下地内(ゲジウチ)、高作町(コウサマチ)、光順田(コウジュンタ)、向陽台1(コウヨウダイ1)、向陽台2(コウヨウダイ2)、向陽台3(コウヨウダイ3)、向陽台4(コウヨウダイ4)、向陽台5(コウヨウダイ5)、向陽台6(コウヨウダイ6)、小柴1(コシバ1)、小柴2(コシバ2)、小柴3(コシバ3)、小柴4(コシバ4)、小柴5(コシバ5)、古城(コジョウ)、小通幸谷町(コドオリコウヤマチ)、米町(コメマチ)
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サ行
- 栄町(サカエマチ)、佐貫町(サヌキマチ)、佐貫1(サヌキ1)、佐貫2(サヌキ2)、佐貫3(サヌキ3)、佐貫4(サヌキ4)、佐沼町(サヌママチ)、下町(シモマチ)、庄兵衛新田町(ショウベエシンデンマチ)、白羽1(シラハネ1)、白羽2(シラハネ2)、白羽3(シラハネ3)、白羽4(シラハネ4)、城下(シロシタ)、新町(シンマチ)、城ノ内1(ジョウノウチ1)、城ノ内2(ジョウノウチ2)、城ノ内3(ジョウノウチ3)、城ノ内4(ジョウノウチ4)、城ノ内5(ジョウノウチ5)、直鮒(スウブナ)、須藤堀町(ストウホリマチ)、砂町(スナマチ)
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タ行
- 高砂(タカスナ)、高須町(タカスマチ)、田町(タマチ)、大徳町(ダイトクマチ)、出し山(ダシヤマ)、出し山町(ダシヤママチ)、寺後(テラゴ)、豊田町(トヨダマチ)
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ナ行
- 中里1(ナカザト1)、中里2(ナカザト2)、中里3(ナカザト3)、中根台1(ナカネダイ1)、中根台2(ナカネダイ2)、中根台3(ナカネダイ3)、中根台4(ナカネダイ4)、中根台5(ナカネダイ5)、長沖新田町(ナガオキシンデンマチ)、長沖町(ナガオキマチ)、長峰町(ナガミネマチ)、長山1(ナガヤマ1)、長山2(ナガヤマ2)、長山3(ナガヤマ3)、長山4(ナガヤマ4)、長山5(ナガヤマ5)、長山6(ナガヤマ6)、長山7(ナガヤマ7)、長山8(ナガヤマ8)、奈戸岡(ナドオカ)、馴馬町(ナレウママチ)、馴柴町(ナレシバマチ)、塗戸町(ヌルトマチ)、根町(ネマチ)
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ハ行
- 羽黒町(ハグロマチ)、羽原町(ハバラマチ)、半田町(ハンダマチ)、稗柄町(ヒエガラマチ)、姫宮(ヒメミヤ)、姫宮町(ヒメミヤマチ)、平台1(ヒラダイ1)、平台2(ヒラダイ2)、平台3(ヒラダイ3)、平台4(ヒラダイ4)、平台5(ヒラダイ5)、平畑(ヒラハタ)、藤ケ丘1(フジガオカ1)、藤ケ丘2(フジガオカ2)、藤ケ丘3(フジガオカ3)、藤ケ丘4(フジガオカ4)、藤ケ丘5(フジガオカ5)、藤ケ丘6(フジガオカ6)、藤ケ丘7(フジガオカ7)、別所町(ベッショマチ)
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マ行
- 松ケ丘1(マツガオカ1)、松ケ丘2(マツガオカ2)、松ケ丘3(マツガオカ3)、松ケ丘4(マツガオカ4)、松葉1(マツバ1)、松葉2(マツバ2)、松葉3(マツバ3)、松葉4(マツバ4)、松葉5(マツバ5)、松葉6(マツバ6)、水門(ミズモン)、緑町(ミドリチョウ)、南が丘1(ミナミガオカ1)、南が丘2(ミナミガオカ2)、南が丘3(ミナミガオカ3)、南が丘4(ミナミガオカ4)、南が丘5(ミナミガオカ5)、南が丘6(ミナミガオカ6)、南中島町(ミナミナカジママチ)、宮渕町(ミヤブチマチ)
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ヤ行
- 八代町(ヤシロマチ)、野原町(ヤワラマチ)、横町(ヨコマチ)
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ラ行
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八代町(ヤシロマチ)、野原町(ヤワラマチ)、横町(ヨコマチ)
龍ケ崎市(リュウガサキシ)、六斗蒔(ロクトウマキ)
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ワ行
- 若柴町(ワカシバマチ)