旭市 でテレビアンテナ工事をお考えの方へ
目次
旭市 でアンテナ工事でお困りの方はお任せ下さい。
当あさひアンテナでは千葉県旭市はじめ、千葉県内での地デジ、BS/CSなど各種アンテナ設置工事について、豊富な経験と実績がございます。旭市にお住まいで、地デジその他アンテナの新規設置、また修理や交換などをお考えの方は、まずはご相談だけでも当あさひアンテナへ、お電話やメールでお気軽にお問い合わせください。
千葉県旭市(あさひし)は、県の北東部に位置し、海匝地域に含まれる市です。市の面積は130.45平方キロメートル。2020年(令和2年)9月1日時点の人口は64,859人。うち男性が32,045人、女性が32,814人になります。また市内にはおよそ26,488世帯が暮らしています。旭市は九十九里浜に面しており、自然が豊富で県内でも農業と漁業が盛んな地域です。県内でもトップクラスの農業生産高を誇る他、海水浴場や景勝地なども多い観光地としても知られ、また映画などで知られる「座頭市」のモデルとなった人物をはじめ、江戸時代の農学者や侠客など、さまざまな人物のゆかりの地でもあります。
東京都隅田区にある東京スカイツリーから旭市までは、およそ62キロから80キロ弱の距離になります。スカイツリーからの電波は、NHK、広域民放が市の西部で受信できるのみですが、市の周辺には銚子中継局、小見川中継局などが存在するため、市のほぼ全域で地デジ電波を受信することが可能です。ただ現場の環境により、受信に関してさまざまな条件や制約が生じるケースもございます。
当あさひアンテナでは、千葉県旭市全域での地デジその他、各種アンテナ設置工事に対応しております。弊社には旭市はじめ県内全域での作業経験が豊富で、地域ごとの地デジ電波の特性を把握し、現場に合わせた最適なアンテナ設置工事をご提案できる腕のいい専門の職人が揃っております。旭市にて地デジ、CS/BSなど各種アンテナ設置や修理、交換などの各種工事をお求めのお客様は、確実な地デジ受信と、丈夫で長持ちするアンテナの設置をお約束する、当あさひアンテナのフリーダイヤル(0120-540-527)か、ホームページからのお問い合わせフォーム(https//asahi-antenna.jp/contact)へとどうぞお気軽にご連絡ください。
「2020年現在の新型コロナウィルス流行に関しまして」
このたびの新型コロナウイルス発生に際しまして、弊社では現場に出向く職人はもちろん、全従業員にマスクと除菌スプレーを配布し、作業車や作業着などの除菌を頻繁かつ丁寧に行う他、従業員各人によるこまめなうがい、手洗いなども徹底しております。また会社としても従業員には業務よりも体調管理を優先し、わずかでも体調に異変がある場合は、安全が確認できるまで休むよう指導しております。
すべては社員の身を守ると同時に、万全を期してお客様をお守りするための、最大限の配慮でございます。現場でのお客様への対応についても、万が一のリスクを避けるため、失礼ながら基本的にマスクを装着したままでご対応させていただいております。申し訳ありませんが、なにとぞご了承ください。
旭市 の方でアンテナ工事に関するよくある質問
- Q
旭市に適した地デジアンテナの機種はどのようなものですか?
- A
現在、ご家庭で用いられる主な地デジアンテナの機種は、八木式アンテナとデザインアンテナです。
八木式アンテナはよく屋根の上などに見られる魚の骨のような形状の地デジアンテナです。日本ではテレビ放送の黎明期から使われている昔ながらのアンテナで、素材や耐久力などは時代につれて進化し続けていますが、基本設計は開発当時から変わっていません。それほど設計の完成度が高く、現在でも地デジ電波の高い受信能力を誇る機種です。ただ基本的に屋外に設置される八木式アンテナは風雨など自然環境の影響を受けやすく、歳月につれて確実に老朽化が進行する弱点もございます。現在の八木式アンテナの寿命は平均10年程度ですが、この年数は海沿いや豪雪地帯など、設置現場の環境によっても大きく変わってきます。
デザインアンテナは家屋の外壁などに設置する、平面で軽量薄型の地デジアンテナです。家屋の外観を損なわない、自然環境の影響を受けにくく経年劣化を軽減できる、修理やメンテナンスも簡単など多くのメリットがあり、現在では人気ナンバーワンの地デジアンテナになります。また現在のデザインアンテナは基本モデルが20素子相当であり、八木式アンテナと比べても受信性能にほとんど差はごさいません。ただデザインアンテナは八木式アンテナよりも設置位置が低い分、受信感度もやや低くなる傾向がございます。またアンテナ本体価格や設置工事費も、八木式アンテナに比べてやや割高になります。
旭市は千葉県の北東部で、県の最東端に近く、南側を九十九里浜(太平洋)に面する市で、市域にはなだらかな丘陵地である台地が広がっています。東京スカイツリーから見て旭市はほぼ真東の方向に位置しますが、およそ62キロから80キロ弱と遠距離になります。そのためスカイツリーからの地デジ電波は、NHK、広域民放が市内の西部で受信できるのみです。
ただ市の東側に隣接する銚子市にあり、NHK、広域民放および、千葉県の地方局である千葉テレビ(CTC)を送信する銚子中継局からの地デジ電波は、市の北西部を除くほぼ全域で受信可能です。スカイツリーからの地デジ電波が届く地域と重ね合わせると、市内のほぼ全域をカバーしていることになります。
また飛地を含む市の北端中央部の一部には、双方の電波が届きにくい地域もございますが。その地域では、市の北側にある香取郡東庄町にあり、銚子中継局と同じ電波を発信する、小見川中継局からの地デジ電波を受信可能です。そのため旭市内の大半の地域では、CTCを含む地デジ電波を受信し、快適に地デジ放送を視聴することが可能です。
旭市では、基本的に八木式アンテナ、デザインアンテナのどちらを用いても、受信に支障が出ることは特にございません。ただ高層建築の近隣など現場の条件によっては、適切なアンテナの機種や、設置できる位置などにさまざまな条件、制約が生じるケースもございます。また前述の通り、市内の地域によって、受信可能な地デジの放送局がやや入り組んでいるため、放送局から離れた地域などでも、アンテナ機種や設置方法などに制約が生じる可能性や、CTCの受信が難しくなるケースなども考えられます。
当あさひアンテナでは、八木式アンテナ、デザインアンテナとも、国産DXアンテナ社製の最新モデルをご用意し、八木式アンテナは軽量で耐水性と対風速性が高く、長寿命が望める機種を用い、アンテナ本体価格を含む基本工事価格15000円からで設置をお引き受けしております。
デザインアンテナは20素子相当、業界最小クラスの厚さ4.9cm、大きさ9cm×22cmの超薄型モデルをご用意し、アンテナ本体価格を含む基本工事価格20000円からで設置をお引き受けいたします。さらにこれら標準機種で受信が安定しない場合は、別途に高性能アンテナや、アンテナブースター、アッテネーター設置の用意もございますので、どのような現場にも対応可能です。
弊社では地デジアンテナの設置に際し、高性能の電波測定器による現場調査を実施しており、現場においてもっとも適切なアンテナの種類や設置位置など、できる限りお客様のご要望に応じた方法をご提案いたします。もしご希望の条件でどうしても受信に問題が出る場合は、弊社の豊富な工事経験に基づき、できるだけご要望に近い代案をご提示いたします。
弊社のアンテナ職人は、豊富な経験と高度な技術を駆使して、現場の電波状態だけでなく、自然環境の影響を受けにくく、アンテナの長寿命が望める設置位置や工法など、あらゆる条件を踏まえて、お客様にとって総合的にもっともお得となるアンテナ設置をご提案いたしております。旭市で地デジアンテナの新規設置や交換をお考えの方は、アンテナ機種のご希望やご相談も含め、当あさひアンテナのフリーダイヤル(0120-540-527)へと、どうぞお気軽にお問い合わせください。
- Q
旭市で地デジアンテナを設置できるのは屋根の上や壁面だけですか?
- A
一般的に八木式アンテナは屋根の上、デザインアンテナは外壁に設置するというイメージがございます。しかし現在ではアンテナの性能向上や施工技術の進歩によって、確実な受信性能を維持しつつ、外観の重視や、アンテナの故障、経年劣化などを抑えるため、家屋のさまざまな位置に設置する工法もございます。
八木式アンテナやBS/CS110度アンテナでは、例えば壁面やベランダの外、内側など風雨を受けにくい位置に設置することで、アンテナ本体への負担を軽減する工法がございます。ベランダ内側への設置では空間を少し消費いたしますが、その分、経年劣化や故障のリスクを抑えられ、メンテナンスも簡単になります。ただどちらのアンテナも電波の方向に向けることが必須となるため、ご自宅の位置や角度などの条件により、アンテナを設置できる場所に制約が生じます。その点はどうかご承知おきください。
また旭市は南側を九十九里浜に面しています。このような海沿いの地域で特に八木式アンテナをお使いの場合、潮風によって通常より錆びが進行し、アンテナの寿命低下や故障の原因となる塩害が生じるケースがございます。他にも雪が多い地域では、アンテナへの積雪により故障や耐用年数の低下を招く雪害。また台風や強風の多い地域では、やはり風雨によるダメージの蓄積など、自然環境によるアンテナへの影響が生じることもございます。
これら自然環境への対策では、塩害ではアンテナ本体や固定具、ケーブルなども含めて錆びに強い抗錆び、対塩害仕様のものを使用する。雪害では通常より取付金具の強度(耐荷重)が高く、表面に雪が付着しにくい加工がなされた雪害対策用のアンテナを用いるなどの方法がございます。さらにアンテナや接続部全体を覆う「レドーム」と呼ばれるカバーを装着することで、さまざまな自然環境や経年劣化への対策に高い効果が得られます。
弊社の職人は、通常のアンテナ設置においても、高い技術を用いてアンテナケーブルや各部に防水テープを隙間なく巻きつけ、接続部からの浸水や塩分による腐食を阻止する緻密な施工を行っており、潮風や強風、積雪などの影響を受けやすい地域でも、通常の八木式アンテナと代わらない強度と寿命をお約束いたします。山地などで地デジ受信のため、より高所にアンテナを設置する必要のある現場では、ポールの先端に各種アンテナを設置することで、受信感度を高めるなどの工法もございます。
これら各種工法において特別な技術や別途機材を用いる場合は、相応の追加工費が必要となりますが、通常の設置とほとんど変わらない場合は、八木式アンテナ、BS/CS110度アンテナとも基本工事費用の15000円からでお引き受けしております。
壁面に設置するデザインアンテナは、基本的に風雨など自然環境への抵抗力が高くなっておりますが、弊社では基本設置工事で、壁に取り付ける際のネジ穴に防水用シリコンを埋め込み、穴からの浸水などによる腐食を防止する施工を行っております。
またデザインアンテナでは、ご自宅の外観にまったく影響を与えず、潮風や降雪など自然環境の影響も受けず、経年劣化も最小限に抑える工法として、屋根裏(天井裏)の空間に設置する工法もございます。弊社では屋根裏にデザインアンテナを設置する工事も、追加工費不要の基本工事価格20000円でお引き受けいたします。また屋根裏へのアンテナ設置も、弊社のモットー「見えないところも綺麗に」に基づき、見栄えのいい施工を実施しております。このモットーには、配線などを整理したシンプルで無駄のない施工によって、故障のリスクを軽減し、メンテナンスも簡単になるというメリットもございます。
ただ屋根裏へのデザインアンテナ設置は、屋根という外壁を隔てるため、どうしても屋外よりは電波状態が低下します。ご自宅の屋根裏空間の形状や断熱材の素材など、条件によっては電波が受信できず設置不可能なケースや、別料金で高性能アンテナやアンテナブースターの設置が必要となるケースもございます。その点は何とぞご了承ください。
- Q
旭市で地デジアンテナが故障したときはすぐ修理してもらえますか?
- A
その点はどうかご安心ください。弊社では他業者が設置したどのようなテレビアンテナでも、弊社フリーダイヤル(0120-540-527)にご一報いただければ、最短即日で職人が現場に出向き、修理対応させていただきます。
特に弊社が設置したテレビアンテナの場合は、業界最長クラスとなる、施工日から10年間のアフターフォロー体制をご用意しております。これは弊社がアンテナ設置技術に高い自信をもつ証でもあります。もし保障期間中、弊社が施工した各種アンテナにトラブルが発生したときは、すぐ弊社のフリーダイヤルにご一報ください。弊社職人が即座に現場へと駆けつけ、補償範囲内のトラブルであれば完全無料で復旧するようご対応させていただきます。
弊社ではアンテナ設置工事が完了した際、工事を担当した職人の自筆サイン入り保証書をお客様にお渡ししております。もしトラブルなどでお客様が対応をお求めの際は、まずこの保証書をご用意ください。ただ、なにぶん10年間の長期保証となるため、お客様が保証書を紛失された場合を想定して、弊社でも施工から10年間は、あらゆる工事の現場写真や保証書などを社内でデータベース化して保存しております。
アンテナ修理をご依頼される際、もし弊社の保証書が見つからない場合は、お電話でその旨をお伝えください。そしてお手数ですが、お客様のお名前やお電話番号、当時の工事内容や施工時期などを、お分かりの範囲内でお教えください。弊社側のデータベースで確認でき次第、あらゆる保証について、保証書をご提示いただいた場合とまったく同じ対応をさせていただきます。
余談ですが、風雨や雷、雪、雹、隕石、また外部からの落下物など、自然災害によりアンテナが損壊した場合は、火災保険の「風災保証」によって修理費が補償されるケースがございます。補償される内容は保険会社との約款によって異なりますが、当あさひアンテナでは、アンテナ修理だけではなく、修理費用に火災保険を適用なさりたいお客様のご相談にも対応しております。
弊社にアンテナ修理をお求めになる際、火災保険のご相談もいただければ、保険会社に提出する必要がある修理報告書、見積書、施工前後の写真など、補償請求書類をすべて弊社でご用意いたします。また保険会社との交渉も、弊社の専門スタッフが全力でサポートいたします。旭市にて突然のアンテナトラブルによってお困りの際は、アンテナ本体の修理から保険会社への対応まで完全にお引き受けする、当あさひアンテナにすべてお任せください。
旭市 にお住まいで画面にE201、E202、E203の文字が出ている方
テレビ画面に"E201、E202、E203"と表示され番組が視聴できない
アンテナトラブルの形式として、突然、ご自宅のテレビで地デジのテレビ番組がまったく映らなくなり、画面に「e201」「e202」「e203」などの記号が表示されることがございます。これはテレビやアンテナにトラブルが発生し、テレビが自己診断機能を働かせてエラーコードで原因を示している状態です。最近のテレビはコードと同時にトラブルの原因を文章で表示するものもありますが、電波受信に関するトラブルの場合は、主に前述の三種類のコードが表示されます。なおエラーコードの種類は、トラブルの原因によって他にも数々のものがございます。
「e201」は、テレビ本体に届く電波のレベルが低下しているというエラーコードです。これは主にBS、CS放送で、豪雨や大雪など、悪天候の場合に表示されることが多くなります。BS、CS放送は衛星放送のため、悪天候では、波の乱反射によって電波状態が悪化するという弱点がございます。BSでは悪天候の際に電波を切り替え、画質、音質を落とすことで受信できるようにした「降雨対応放送」に切り替わる場合もあります。悪天候による受信不良は、天候の回復と同時に自然と復旧いたします。地デジ放送では、このコードが表示されることは少ないのですが、周辺の電波状態の悪化やアンテナ機器のトラブルなどにより、ときに表示されることもございます。
「e202」は、テレビ本体ににまったく電波が届いていないというエラーコードです。原因は大風や地震などによるアンテナ角度のずれや倒れるといったトラブル。またアンテナ本体、アンテナ線、ブースター(増幅器)、分配器など、どこかに故障が発生したことも考えられます。また単純にテレビとアンテナ線との接触不良という場合もありますので、このコードが表示されたときは、まずテレビやレコーダーなどの機器と、アンテナ線との接続部分をチェックしてください。
「e203」は、該当する放送局が放送休止しているというエラーコードです。基本的に放送局が、メンテナンスやトラブルなどによって放送を休止していることから発生する不具合です。このコードが表示されたときは、その他のチャンネルを確認して、正しく映っているなら放送局側に原因があると判断できます。ただアンテナ関係の故障でも、このコードが表示される場合がありますのでご注意ください。
これらのエラーコードが表示されたときは、ブロックノイズの際と同じく、まずテレビのリセットや、テレビとアンテナ線の接続部を確認するなどしてください。それでも回復しない場合は、アンテナ関係にトラブルが起こっていると考えられます。
その場合も、やはり当あさひアンテナのフリーダイヤル(0120-540-527)にご相談ください。まずお電話口にて、コードの種類やご自宅のアンテナ環境などとお伺いして、ご自宅で可能な対策をご説明いたします。もしお電話で問題が解決しないときは、ご用命いただければ、弊社の職人が最短即日でご自宅へ出向き、現場調査で原因を特定いたします。
当あさひアンテナでは、どのようなご相談であっても、出張費、見積もり費、キャンセル費はすべて無料で対応させていただきます。またトラブルの原因を特定した後は、弊社の職人からお客様に、修理に必要な工事のご説明と見積もり価格を提示いたします。その内容にお客様が納得され、正式にご契約なされた時点ではじめて工事にかからせていただきます。それまでは決して無断で工事を進めることはなく、料金も一切発生いたしません。
さらにアンテナ工事後の保証など、アフターフォローの体制も万全のものを用意してございます。テレビ映りに不具合が発生して、エラーコードからアンテナトラブルだと思われる場合は、まずは当あさひアンテナのフリーダイヤルへとお気軽にお電話ください。
旭市 についてもっと知りたい
これからお引越しを考えている方
旭市 てどんなところ??
千葉県旭市は、県の北東部に位置し、海匝地域にあたる市です。千葉県の北東の端に近く、県を象った千葉のマスコットキャラクター、チーバくんでいえば耳の付け根の下部に位置しています。市域は九十九里平野の北端にあたり、県の南側は九十九里浜の最北端で、太平洋に面しています。また北部には下総台地が広がっています。
現在の旭市域周辺には、古代には椿海と呼ばれる湖が広がっていました。戦国時代には、戦国武将の木曾義昌がこの地を治め、善政によって領民に慕われました。義昌は「旭(朝日)将軍」と呼ばれた平安時代末の武将、木曾義仲の19代目の子孫ともいわれています。江戸時代後期、木曾氏末裔を称する芦原検校(木曾義長)が東漸寺にて営んだ「木曾義昌公250回忌」に訪れた京都の国学者、野々口隆正が「信濃より いづる旭をしたひ来て 東の国に跡とどめけむ」という追悼歌を詠んでいます。
このとき寄せられた追悼歌400首を収めた「慕香和歌集」は市の指定文化財になっています。ちなみに現在の市名(当初は町名)である「旭」は、この隆正の歌に由来しています。この市(町)名には、将来、旭日昇天のような勢いをもって地域が発展することを願ったという意味が込められているという資料も残されています。
江戸時代になってから椿海を干拓するため、現在の市域のやや西寄りを東西に流れ、各方向へと枝分かれしている新川を掘削し、湖底を干潟としました。江戸期の市域は農村、漁村などが並ぶ地域でしたが、幕末には農政学者である大原幽学が長部村を訪れ、当地を本拠として農村を再興させます。村名主で国学者の宮負定賢、宮負定雄の父子も村の和合や農業改良に努めています。また「天保水滸伝」で知られる当地の侠客、飯岡助五郎は、十手を預かり当地の治安維持に尽力する一方、イワシ(鰯)漁など漁業の発展にも力を尽くしています。
明治以降は、政府の畑作奨励策もあり、市域内でラッカセイ(落花生)栽培が普及し、その加工工場も多く造られます。昭和初期からはスイカ(西瓜)、カボチャ(南瓜)、サツマイモ(甘藷)などの生産が盛んとなります。
現在の旭市にいたる歴史としては、まず1889年(明治22年)の町村制施行に伴い、海上郡網戸村、成田村、十日市場村と匝瑳郡太田村が合併して、海上郡旭町が発足します。1954年(昭和29年)には市制が施行され、初代の旭市が誕生します。
さらに2005年(平成17年)に、旧・旭市と香取郡干潟町、海上郡海上町、飯岡町が対等合併して、現在に至る新たな旭市となりました。
旭市では九十九里浜に面しており、自然が豊かで海水浴場や景勝地もあり観光地としても人気が高い他、農業や水産業も盛んです。特に農業では基幹産業として近郊農業が盛んで、県内では第1位、全国でも第5位の農業産出額を誇っています。中でも野菜と畜産が県内1位、米は県内2位の産出額です。
農産物で旭市が指定しているふるさと産品、特産品には、安定した品質の食肉や卵。地域の産物を使ったアイスクリームなど乳製品その他、新たな畜産加工品。江戸時代から引き継がれる生産量日本一の地場産業で、健康食品としても注目される丸干しイワシ。水揚げされたものを塩で炊き上げ、天日干ししたシラウオ(白魚)。全国第1位の産出額を記録するマッシュルーム。飯岡貴味メロン(いいおかたかみめろん)のブランドをもつタカミメロン。市内に直売所が多いナシ(梨)。市内に観光農園が多いイチゴ(苺)。味彩トマト(あじさいとまと)のブランドをもち、生産額は日本有数のトマト。市を代表する野菜のひとつであるキュウリ(胡瓜)などがあります。
また農林水産省による野菜生産出荷安定法および、同法により旭市が指定された野菜には、春キャベツと冬キャベツ。春冬キュウリ。春ダイコン(大根)と秋冬ダイコン。夏秋トマトと冬春トマト。春ネギ(葱)と秋冬ネギ。冬レタスがあります。
市内の漁港には第1種漁港である飯岡漁港があり、水揚げ量は千葉県内2位となり、前述の丸干しイワシの他、カタクチイワシ(片口鰯)の水揚げ量は全国2位になります。
工業では市内に幾つか企業の事業所、工場などが見られます。商業においても市内に多くの商業施設を持ち、かつては千葉県内の太平洋沿い地域で茂原市、銚子市に次ぐ3番目の商業都市であり、旭商圏を形成する商業中心都市、準商業中心都市でした。ただ近年では隣接する自治体にロードサイド店舗が多くなり、商圏が縮小し、衰退傾向にあります。
市内の観光スポットでは、やはり九十九里浜が有名です。九十九里浜とは、旭市の刑部岬(ぎょうぶみさき)を東端に、いすみ市の太東岬(たいとうみさき)までに及ぶ日本最大の砂浜海岸です。九十九里浜は全長およそ66キロメートルに至る砂浜で、地名の由来は、石橋山の戦いに敗れて房総に落ち延びた源頼朝が、家臣に命じて太東岬から1里ごとに矢を立て、99本目で行部岬に達したという伝承によるものです。九十九里浜の中央とされる山武市蓮沼には箭挿神社があり、その故事に因んで「矢指ヶ浦」という別名でも呼ばれます。
刑部岬は、屏風ヶ浦南端で突出している岬で、県立九十九里自然公園の一角として上永井自然公園が整備されています。岬からの眺望は日本夜景遺産、日本の夜景100選、日本の夕陽・朝日百選、関東の富士見百景に選定されています。岬には飯岡灯台や、飯岡刑部岬展望館~光と風~などの施設があり、デッキや展望台などから、条件によっては富士山も望める眺望が楽しめます。また漫画家のちばてつやさんが一時、市内に住んでいた縁から、港の周辺には名作漫画「あしたのジョー」キャラクターの石像があります。
前述の椿海には、木曾義昌が水葬されたという伝承もあり、江戸時代初期に干拓され、現在は干潟八万石と呼ばれる地になっています。
市内の蛇園出清水(へびぞのでしみず)地区は、その名の通り清水が湧く自然豊かな地域で、市指定天然記念物であるゲンジボタル(源氏蛍)やシラン(紫蘭)、食虫植物、コスモス、ナノハナ(菜の花)、河津桜などが見られます。また丘の上に風力発電の大きな風車が並ぶ光景は、飯岡風車群と呼ばれています。
市内の海水浴場には、矢指ヶ浦海水浴場、サーフィンや釣り楽しめる飯岡海水浴場などがあり、また矢指ヶ浦温泉、旭九十九里温泉、八福温泉、飯岡温泉などの温泉も豊富です。
市内の寺社には、干潟八万石の総鎮守で、神事「鎌数の神楽」が県指定無形民俗文化財である鎌数伊勢大神宮。本殿、拝殿、狛犬が県指定有形文化財の玉崎神社。神事「熊野神社の神楽」が県指定無形民俗文化財の熊野神社。太田のエンヤーホー(つく舞)が県指定無形民俗文化財の八坂神社。20年目毎に神輿の露払いとして舞われる「倉橋の弥勒三番叟」が県無形民俗文化財の雷神社(らいじんじゃ)。毎年11月に相撲が奉納される太田神社。縁結びや安産の神様として知られる櫻井子安神社。佛瀧山 龍福寺。岩井の滝不動(不動堂)などと称され、境内の森が県指定天然記念物の金剛山 長禪寺。寺で飼われていたネコ(猫)とその兄弟ネコが大ネズミ(鼠)を退治した伝承がある成田山 真福寺。また浦賀神社、水神社、殿玉山 西德院 東漸寺、北陸山 金剛院 東榮寺などがあります。
史跡には、前述の大原幽学ゆかりの農家、旧林家住宅を復元し、のちに周辺を整備した国の史跡、大原幽学遺跡史跡公園があります。
ちなみに大原幽学とは、独自の実践道徳「性学(生理学、性理道)」を編み出し、下総国香取郡長部村(現在の旭市長部)を拠点に教導所「改心楼」を開き、農業から生活までを指導した農民指導者であり、1838年(天保9年)には先祖株組合という世界初の農業協同組合を創設しています。ただ反対派が騒いだことから勘定奉行の取調べを受け、改心楼の棄却や先祖株組合の解散を命じられ、作り上げた村の荒廃を嘆いて、墓地で切腹するという最期を遂げています。現在でも長部には「大原幽学記念館」があり、また幽学が伝えたとされる、うるち米を米状のまま、しんこもちを造る「性学もち」という郷土料理も千葉県東部に残っています。
他にも市内には御前鬼塚古墳や、太平洋戦争中の香取航空基地跡地などの史跡が見られます。
市内の祭礼、イベントには、前述の八坂神社、太田のエンヤーホーの他、県指定無形民俗文化財である水神社永代大御神楽。2月に行われる飯岡しおさいマラソン大会。4月の袋公園桜まつり。7月の飯岡海浜花火大会、ミスあさひコンテスト、サマーフェスタin矢指ケ浦、あさひ砂の彫刻美術展、いいおかYOU・遊フェスティバル。8月の旭市七夕市民まつり。11月の旭市産業まつり、菊花大会。春と秋に行われる袋公園 春・秋の釣り大会、長熊釣堀センター 春・秋のへら鮒釣り大会。夏の旭市民音楽祭。秋の旭市文化祭などがあります。
旭市を題材にしたフィクションでは「天保水滸伝」がよく知られています。この作品は、元は江戸時代後期、現在の旭市飯岡を拠点にした博徒、侠客の親分である飯岡助五郎と、隣接する香取郡東庄町の侠客、笹川繁蔵との抗争を題材にした浪曲であり、その後、演劇、映画などさまざまな作品となって、派生作品も多く誕生しています。
飯岡助五郎は、現在の神奈川県横須賀市の農民の出で、腕力が強かったことから力士となるも廃業。その後、九十九里浜で漁師となり、現地で博徒として台頭し、ついには飯岡一帯の大親分となった人物です。講談などでは武家の出身とされることもありますが、これは晩年の助五郎が吹聴した作り話だと考えられています。
なお、当時の博徒、侠客はヤクザとも称されますが、江戸時代、江戸以外の村々では役人による警察機構が整備されておらず、治安の維持などは村民の自治、自衛に任せされていました。その中で地元の警護などを担う実力者として博徒の親分などが台頭したという背景があります。博徒の親分は博打により資金を稼ぐことで、多くの子分を養う一方、共同体の一員として治安維持だけでなく、産業の振興など地域のために貢献したという一面もあり、必ずしも現代の反社会勢力と同一視はできません。
助五郎より十数歳若く、隣接する東庄町の笹川地域周辺を縄張りとする親分だった繁蔵との関係は、当初は良好だったといわれます。ただ助五郎が幕府役人から十手取縄を許され岡っ引きとなったことや、繁蔵の勢力拡大による縄張り争いなどから、両者の抗争が勃発します。
ついには役人より助五郎に対して繁蔵を捕らえるよう命が下り、助五郎は手勢を率いて繁蔵の逮捕に向かうも、事前に情報を得ていた繁蔵側の逆襲により多くの配下を失い、繁蔵を逃がしてしまいます。これが世にいう「大利根河原の決闘」です。
その後、しばらく逃走の旅に出ていた繁蔵ですが、数年後、故郷に戻ったところを助五郎配下の闇討ちに遭って命を落とし、笹川一家は徐々に飯岡川に追い詰められ、崩壊することになります。
浪曲「天保水滸伝」では、助五郎がいわゆる「お上の手先」の十手持ちであること、大勢力である助五郎に対し、少数の繁蔵が一時は勝利するなど善戦したこと、繁蔵が闇討ちによって倒されたことなどから、判官贔屓の心理によって、助五郎は十手を嵩に着た悪親分、繁蔵は悪親分に立ち向かった悲劇の若親分という図式が出来上がっています。
しかし実際の助五郎は、飯岡の治安の担い手として地元の庶民からは支持されており、また漁師としての事業も成功させ、故郷の三浦半島から漁師を移住させて労働人口を増やす、漁港の護岸整備などの工事にも取り組むなど、飯岡のために力を尽くしています。晩年は近所の子供たちから慕われる好々爺として過ごし、侠客としては珍しく畳の上でその生涯を閉じました。
ただ一方で、前述の大原幽学は性学の一環として博打の禁止を唱えたため、助五郎や繁蔵などの博徒と対立することとなり、助五郎の関与は不明ながら、その兄弟分が改心楼に嫌がらせをするなどの事件を起こして勘定奉行の介入に至ったため、幽学を死に追いやったのは助五郎であるなどの悪評が残されることにもなっています。
そしてこの「天保水滸伝」を題材にした作品で、現代でもっとも有名なものが、名優、勝新太郎さんが演じた居合の達人で盲目の侠客を主人公とする時代劇「座頭市」シリーズです。
「座頭市」とはもともと、作家の子母澤寛さんによる随筆集「ふところ手帖」に収録された「座頭市物語」という掌編の人物です。
この掌編は昭和のはじめ、子母澤さんが飯岡助五郎についての取材で千葉県佐原市(現在の香取市の一部)を訪れた際、土地の古老から実在した侠客、座頭市の話を聞かされ、それを記したものです。この話における座頭市は、やはり盲目ながら居合の達人で、飯岡一家の中でも一目も二目も置かれる人物でしたか、役人と手を結んでのし上がる助五郎に嫌気がさし、助五郎の元を去ったとされます。
この掌編を原案として1962年(昭和37年)に勝新太郎さん主演で公開されたのが、映画「座頭市物語」です。
映画の座頭市は、原作から「盲目で居合の達人、渡世の筋目を重んじる性格」を受け継ぎつつ、飯岡に定住する妻帯者で、長脇差を差した話の中の座頭市から、仕込み杖を使う独身の流れ者になるなど、演じた勝さんをはじめ、三隅研次監督や脚本の犬塚稔さんなどの映画人による独自の肉付けがなされています。
映画の第1作では、飯岡の用心棒となった座頭市と、敵対する笹川方の用心棒で「天保水滸伝」の人気キャラクターでもある平手造酒との静かなる友情が描かれます。ちなみに平手を演じたのは昭和の名優、天知茂さんです。本作のヒットにより次々と続編が製作され、座頭市は勝さんの代名詞かつライフワークともいえる作品となり、劇場版全26作、テレビシリーズ全100話が製作されています。
その後も2003年(平成15年)には、北野武監督により独自のアレンジがなされたリメイク版「座頭市」が公開され、北野映画では最大のヒット作となった他、舞台では哀川翔さん、勝さんの愛弟子でもあった松平健さん、市川海老蔵さんらが市を演じるなど、勝さん亡き後も「座頭市」はさまざまな形で現在も生き続けています。
元は1993年(平成5年)の岩井俊二監督によるテレビドラマ作品で、そのクオリティの高さから再編集版が劇場公開もされた「打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?」は、刑部岬や飯岡灯台をはじめ、2005年に合併する前の旭町の各地と、隣接する銚子市でロケが行われています。2017年(平成29年)に新房昭之監督が同作をアニメとしてリメイクした劇場版でも、旭市の各地が舞台のモデルとなっています。また映画監督の山崎貴さんも本作のファンであり、同監督の映画「ジュブナイル」でも旭市がロケ地に選ばれています。
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旭市 の場所
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千葉県旭市は、県の北東部、海匝地域に位置する市です。県の北東の端に近く、九十九里浜の最東端にあたり、南側を太平洋に面しています。市の東側を県の最東端となる銚子市に、北側を香取郡東庄町に、北西側を香取市に、西側を匝瑳市に接しています。
旭市は海沿いで豊かな自然に恵まれているため、農業や水産業が発展しており、千葉県内および日本全国でもトップクラスの農業算出額を誇っています。また九十九里浜に面しているため景勝地、海水浴場としても人気が高い市です。旭市の市域は江戸時代から農村、漁村として栄えており、浪曲「天保水滸伝」で知られる侠客の飯岡助五郎や、その客分であり実在の人物だったといわれる異色の時代劇ヒーロー、座頭市が暮らした地としても知られ、史跡や文化も豊富で、住環境のいい地域です。
旭市の市章は、緑色の卵型の周囲を、尻尾の先がつながった濃い青色のオタマジャクシ(御玉杓子)2匹が囲んでいるようなデザインで、全体像はアルファベットの「A」を逆さにしたようにも見えます。これは合併により新たな旭市が発足した2005年に、新・旭市の将来都市像である「ひとが輝き海とみどりがつくる健康都市“旭”」をイメージして、市の頭文字「a」をモチーフに、青は海を、緑は豊かな自然を、そして全体の形から、自然と大地の恵みの中で、健康で元気はつらつに躍動する旭市民、および未来へ飛躍する活力ある市の姿を表現したものです。
旭市の花はツバキ(椿、海柘榴)、市の木はクロマツ(黒松)です。この木と花も2005年の新設合併時に制定されました。
ツバキはツバキ科ツバキ属の常緑樹で、一般的なツバキは植物学上ではヤブツバキ(藪椿)や、近種であるユキツバキ(雪椿)と、そこから作り出された各種の園芸品種を指します。ツバキは照葉樹林の代表的な樹木であり、通常は5メートルから10メートル程度の高木になります。ヤブツバキなどは主に2月から3月にかけ、5枚の花弁を持つ紅色の花を咲かせます。果実も赤い球形になります。園芸品種では色は白や赤、桃色を中心に斑や絞りなど。形は一重咲きや八重咲きなど、さまざまな花があります。まや花全体がそのまま落花する特徴があり、落馬や首が落ちる様をイメージさせることからやや縁起が悪く、病人のお見舞いなどには向かないとされる花です。
葉は厚みがありつやのある濃緑の長い楕円形で、先端は尖り縁には細かい鋸歯が並びます。ツバキの和名の由来には諸説あり、葉のつやから「津葉木」や、厚さから「厚葉木」が転じたなどの説があり、いずれにせよ葉の特徴が由来と考えられています。
ツバキは花だけでなく葉や木、実も鑑賞の対象になる他、防音樹として植栽する。椿油を採取する。花や葉、実が薬用になるなどの利用法があります。材木や木炭、木灰などもさまざまに利用されますが、現在では入手が難しくなっています。日本ではツバキは古くから和歌の題材や茶道に用いられるなど文化との関わりが深く、文学では山本周五郎さんの「五瓣の椿」、映画では黒澤明監督「椿三十郎」などの作品で重要な役割も果たしています。旭市の大穀倉地帯、干潟八万石は、かつて「椿の海(椿海)」と呼ばれ、市民にも花の名が親しみ深いことから市の花に制定されました。
クロマツはマツ科マツ属の一種です。岩や砂ばかりの荒地でもよく育つことから、砂浜や海岸、日本庭園に植樹されて絶景を作り出し、防風林、防潮林として利用される他、街路樹や庭木にもよく用いられます。また盆栽としても人気があります。樹高は40メートルに達することもありますが、自然のものでそこまで成長することは珍しくなります。名前は同じマツ属のアカマツ(赤松)と比べて黒っぽい樹皮であることに由来し、針葉もアカマツより硬く、枝振りも太いことから、別名「雄松(オマツ)」とも呼ばれます。一方のアカマツは「雌松(メマツ)」と呼ばれています。白砂青松と謳われる九十九里浜を代表する木であり、旭市内にも多く見られ、潮風に対する防風林になるなど、力強く頼りがいのある姿が市民に親しまれています。
旭市と姉妹都市提携を結んでいる自治体には、日本の屋根と呼ばれる地域に位置する高原都市で、それぞれ海の市、山の市である長野県茅野市。また長年、互いの地域の児童による交流・体験学習事業を行ってきた沖縄県中城村があります。
旭氏には、市のイメージアップキャラクターである「あさピー」がいます。
あさピーは旭市とその周辺の人々による公募作品の中から2012年(平成24年)に誕生した、元気なヒヨコの男の子のキャラクターです。市の主要産業である農業、漁業、畜産業をイメージしたキャラクターで、頭には卵の殻にも見えるトマトの帽子をかぶり、羽は野菜を思わせる緑色で、尻尾はイワシの尾びれになっており、お腹には丸の中に「旭」の文字が入っています。
自然豊かな旭市をいつも走り回っている、あさピーの誕生日は7月1日で、性格は好奇心旺盛で人好き、元気でおしゃれです。好物は旭市産の野菜、肉、魚。旭市役所に勤務しており、あさピーアール部所属で「日本一住みよいまちは旭市かもしれない」ことを全国にPRしていくのが仕事です。シークレットアイテムは、あさピーポケット。特技は、あさピーサンバです。
あさピーの秘話としては、実は晴れ男ならぬ晴れ鳥(?)で、イベントに現れる日は天候が雨でも、あさピーの出番には不思議と雨がやんでいるといいます。そんなあさピーは、さまざまなグッズ化や着ぐるみで、今日も旭市の魅力をPRしています。
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旭市 の鉄道路線
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東日本旅客鉄道(JR東日本)
総武本線
・干潟駅
・旭駅
・飯岡駅
・倉橋駅
旭市のバス
路線バス
・旭市コミュニティバス(千葉交通)
・千葉交通
高速バス
・犬吠号:旭ルート(千葉交通、京成バス)
・銚子‐千葉・幕張線(千葉交通)
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旭市 の主要道路
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一般国道
・国道126号
主要地方道
・千葉県道28号旭小見川線
・千葉県道30号飯岡一宮線(九十九里ビーチライン)
・千葉県道35号旭停車場線
・千葉県道56号佐原椿海線
・千葉県道74号多古笹本線
・千葉県道70号大栄栗源干潟線1
・千葉県道71号銚子旭線
・千葉県道73号銚子海上線
都道府県道
・千葉県道104号八日市場井戸野旭線
・千葉県道105号干潟停車場豊畑線
・千葉県道114号八日市場山田線
・千葉県道122号飯岡片貝線
・千葉県道149号八日市場府馬線
・千葉県道210号飯岡停車場線
・千葉県道211号飯岡猿田停車場線
・千葉県道216号飯岡松岸停車場線
・千葉県道265号小見川海上線
・千葉県道266号旭笹川線
自転車道
・千葉県道408号飯岡九十九里自転車道線
広域農道
・東総広域農道
道の駅
・道の駅季楽里あさひ
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旭市 出身の芸能人
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千葉県旭市出身の著名人には、必殺シリーズ第1作「必殺仕掛人」第1話に登場する侠客の親分、大岩をはじめ、多くの時代劇、刑事ドラマの名悪役として知られ、1984年(昭和59年)の映画「麻雀放浪記」では主人公に麻雀の技を伝授する老人「出目徳」役で第58回キネマ旬報賞、第39回毎日映画コンクール、第27回ブルーリボン賞、第9回報知映画賞、第8回日本アカデミー賞など多くの最優秀助演男優賞を受賞した俳優の高品格さん。同じく俳優で、実写映画「ドカベン」の岩鬼正美役や、特撮テレビ番組「大鉄人17」の岩山鉄五郎などを演じ、主にテレビドラマの悪役として活躍する高品剛さん。テレビアニメ「バキ」にて愚地独歩の声などを演じた他、洋画吹き替えやナレーター、実写作品でも活躍する声優、俳優の菅生隆之さん。テレビ番組「テラスハウス」やドラマ「下町ロケット」などに出演した俳優、タレントの菅谷哲也さん。「丹後なみだ駅」などの曲がある演歌歌手で、旭市観光大使でもある椎名佐千子さん。イタリアのカラーリオ国際ピアノコンクール第1位、聴衆賞など、多くの受賞暦を持ち国際的に活躍するピアニストの實川風さん。落語芸術協会に所属する落語家で、2020年現在は二つ目。旭市観光大使も務める桂竹千代さん。お笑いコンビ「空気階段」の一員である鈴木もぐらさん。フリーアナウンサーの中條現子さんなどがいます。
文化人などその他の分野では、漫画家に「ぎゅわんぶらあ自己中心派」などの作品で麻雀漫画の第一人者として知られ、自身も雀荘を経営している片山まさゆきさん。「メランコリア」「あやめとあまね」などの作品があり、アンソロジーや成人向け作品などでも活躍する道満晴明さん。「花まいらせず」などの著作があり、受賞暦も豊富な詩人の高橋順子さん。日本美術院院友である日本画家の椎名保さん。無線七宝という手法を用いた絵画的表現を特色とする七宝焼の工芸家で、並河靖之さんと共に「二人のナミカワ」と評された濤川惣助さん。資生堂PR誌「花椿」のアートディレクターや千葉県のロゴ「ちば」などを手がけ、女子美術大学客員教授でもあるグラフィックデザイナーの仲條正義さん。元旭中央病院長で旭市名誉市民の医師、諸橋芳夫さんなどが旭市の出身者です。
スポーツ界の旭市出身者には、元含むプロ野球選手に、中日ドラゴンズを経て2020年現在、琉球ブルーオーシャンズ所属の捕手、杉山翔大選手。福岡ダイエーホークスに所属した元選手で、引退後はオリックス・ブルーウェーブ監督、野球解説者などを務めた石毛宏典さん。ヤクルトスワローズ、千葉ロッテマリーンズなどの元選手である高木晃次さん。横浜大洋ホエールズの元投手で、引退後は阪神タイガースのコーチを務めた高橋重行さん。中日ドラゴンズ、ロッテオリオンズの元投手である土屋正勝さん。中日ドラゴンズ、近鉄バファローズで内野手を務めた元選手の尾上旭さん。阪神タイガースの元投手である遠藤伸久さん。また車椅子陸上のパラリンピック選手で、アトランタ、シドニー、アテネの3大会連続でパラリンピックに出場し、金メダル2個、銀メダル2個、銅メダル1個を獲得し、千葉県県民栄誉賞を受賞した荒井のり子選手。オートバイレーサーでロードレース世界選手権にも参戦した富沢祥也選手。日本の自転車フレームビルダー、メカニシャンで、多くの自転車競技、競輪選手の自転車を手がけている長澤義明さんなどがいます。
政財界では、化学技術者、実業家で、東洋高圧工業(現三井化学)社長や三井化学工業社長を務めた石毛郁治さん。元キッコーマン社長で同社の中興の祖と呼ばれ、旭市名誉市民でもある茂木啓三郎さん。日本人初の国際連合事務次長で、チリ駐箚特命全権大使などを務めた外交官の赤谷源一さん。明治から大正の衆議院議員で弁護士でもあった加瀬禧逸さん。昭和期の衆議院議員であった寺島隆太郎さん。戦後の千葉市長で現在の千葉市の基礎を築き、千葉市名誉市民第1号にもなった宮内三朗さんなどが現在の旭市の出身者です。
旭市 町域別対応エリア
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ア行
- 秋田(アキタ)、足川(アシカワ)、イ(イ)、飯岡(イイオカ)、幾世(イクヨ)、泉川(イズミガワ)、井戸野(イドノ)、入野(イリノ)、岩井(イワイ)、岩崎(イワサキ)、後草(ウシログサ)、江ケ崎(エガサキ)、大塚原(オオツカハラ)、大間手(オオマテ)
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カ行
- 鏑木(カブラキ)、鎌数(カマカズ)、上永井(カミナガイ)、川口(カワグチ)、清滝(キヨタキ)、行内(ギョウジ)、倉橋(クラハシ)、琴田(コトダ)、駒込(コマゴメ)、権田沼新田(ゴンダヌマシンデン)
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サ行
- 櫻井(サクライ)、さくら台(サクラダイ)、三川(サンガワ)、椎名内(シイナウチ)、下永井(シモナガイ)、新町(シンマチ)、神宮寺(ジングウジ)、清和乙(セイワオツ)、清和甲(セイワコウ)、関戸(セキド)
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タ行
- 高生(タカオイ)
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ナ行
- 中谷里(ナカヤリ)、長尾(ナガオ)、長部(ナガベ)、ニ(ニ)、西足洗(ニシアシアライ)、仁玉(ニツタマ)、野中(ノナカ)
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ハ行
- ハ(ハ)、萩園(ハギゾノ)、塙(ハナワ)、東足洗(ヒガシアシアライ)、平松(ヒラマツ)、舟戸(フナド)、蛇園(ヘビソノ)
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マ行
- 松ケ谷(マツガヤ)、萬歳(マンザイ)、萬力(マンリキ)、溝原(ミゾワラ)、南堀之内(ミナミホリノウチ)、見広(ミヒロ)、狢野(ムジナノ)
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ヤ行
- 八木(ヤギ)、横根(ヨコネ)、米込(ヨネゴメ)
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ラ行
- ロ(ロ)