桜井市 でテレビアンテナ工事をお考えの方へ
目次
桜井市 でアンテナ工事でお困りの方はお任せ下さい。
奈良県桜井市(さくらいし)は、県の北半分でほぼ中央部にあたる市です。市の総面積は98.91平方キロメートルで、奈良県にある12市と15町12村の39自治体では11番目に広い自治体になります。また奈良県全体の面積、3,690.94平方キロメートルのうち、約1.68パーセントを占めています。2022年(令和4年)4月末日時点での市の人口は55,673人。うち男性が26,417人、女性が29,256人になります。また市内にはおよそ25,287世帯が暮らしています。
当あさひアンテナでは、桜井市の全域における地デジアンテナ設置をはじめ、各種アンテナ工事に完全対応しております。弊社のアンテナ職人は桜井市においても、豊富な経験から現場ごとに異なる地デジなどの受信環境と、地形などの周辺環境を総合的に判断し、高い施工技術によって安定した受信性能をはじめ、風雨などの影響による経年劣化や故障リスクも抑える、頑丈で長寿命なアンテナ設置工事を、業界最安に挑み続ける低価格でご提案いたしております。
また弊社では2022年現在の新型コロナウイルスへの感染対策として、
・職人はじめ全従業員にマスクや除菌スプレー、使い捨て手袋やスリッパ。目、鼻、のどを消毒洗浄する医薬品などを配布。
・現場作業の前後など、各従業員が適切なタイミングで作業車や作業着の除菌、また手洗いやうがい、消毒などを頻繁、丁寧に実践。
・弊社の事務所や機材の倉庫などには24時間除菌装置の設置や、こまめな除菌スプレーの散布などを実践。
さらに会社における従業員の体調管理体制として、
・全従業員に「出社前」「昼」「夜」の、日に3度の検温を実施し、そのデータを全従業員で共有する。
・現場に向かった各作業員の1日の行動を分析し、感染リスクの有無を綿密に確認する。
・従業員に37.5度以上の発熱をはじめ、体調に異変が出た場合、また感染リスクが生じる濃厚接触者となった場合は、当該従業員だけではなく、その従業員の濃厚接触者にあたる従業員も含めて、安全が確認できるまで休むよう指導。
など、業務よりも従業員の体調管理、感染対策を最優先とする厳密な体制をとっており、お客様の安全に万全を期することはもちろん、弊社の従業員をも守るべく、あらゆる対策を徹底的に実践しております。そのためお客様へのご対応についても、担当する職人全員、一貫してマスクを装着して行っております。たいへん失礼とは存じますが、なにとぞご了承ください。
また常にアンテナ工事価格の業界最安値を追求する弊社では、アンテナ工事に関するご相談も、
・公式サイトの「メールフォーム」や「フリーダイヤル」「LINE」による「無料WEB見積もり」や各種お問い合わせ。
・弊社の職人が現場に出張して、高性能の電波調査器による「地デジ電波調査」や、具体的な「お見積もり」。
を、すべて無料で実施しております。またそれらの結果にご満足いただけなかった場合、またアンテナ設置ができないという結論が出て、実際のアンテナ工事にいたらなかった場合も、
・「相談料」「出張料」「キャンセル料」など諸費用はすべて「0円」。
でございます。弊社ではアンテナ工事の本契約から、実際の工事が完了するまで、料金は1円たりとも頂戴いたしません。
奈良県桜井市において、CS/BS、地デジアンテナ設置から、アンテナ修理、交換まで各種アンテナ工事をお求めのお客様は、当あさひアンテナのフリーダイヤル(0120-540-527)かメールフォーム(https//asahi-antenna.jp/contact)から、または弊社LINEアカウント(https://line.me/R/ti/p/%40396mlzgh)をご登録いただいてのご相談、お問い合わせなど、どうぞお気軽にご利用ください。
桜井市 の方でアンテナ工事に関するよくある質問
- Q
桜井市で地デジアンテナ設置に使える機種は何ですか?
- A
桜井市は奈良県でも北部のほぼ中央に位置する市です。市域は奈良盆地の南東の端にあたる北西部と、そこから東側、南側の山地に向かって延びる形をしています。
桜井市での地デジ受信につては、奈良県生駒市と大阪府との境界、生駒山に位置する大阪局からのNHK大阪および各広域民放。大阪局の近くに位置する生駒奈良北中継局からの奈良県の地方局、奈良テレビ放送(TVN)。大和郡山市に位置する奈良局からのNHK奈良(総合)を、局によってエリアの差はございますが、おおむね北西部の市街地を中心に、東端部を除く市内の多くで受信できます。
また市域の東部、山地の一帯では、おおむね国道165号沿いで、市街地に近い山麓部に位置し、NHK奈良、広域民放、TVNを送信する桜井慈恩寺中継局と、TVNを送信する朝倉台中継局。また東端の宇陀市付近でNHK奈良を送信する宇陀中継局が存在し、その周辺一帯で受信が可能です。
現在の主な地デジアンテナ機種には、屋根の上に見られる魚の骨に似た八木式アンテナと、平面軽量のデザインアンテナがございます。
八木式アンテナは、アナログテレビ放送時代から使われる古典的な機種です。基本設計の完成度が高いため、現在でも高い地デジ電波の受信性能を誇りますが、一方で風雨などにより経年劣化が進みやすく、メンテナンスや修理などが専門業者でなければ難しいなどの弱点もございます。
デザインアンテナは平面軽量で、外壁などにアンテナ設置される比較的、近年の機種です。薄型で家屋の外観性を損なわず、風雨などの影響を受けにくいため経年劣化などを抑えられ、メンテナンスも簡単など利点が多い人気機種です。
現在のデザインアンテナは基本モデルが20素子相当で、受信性能も八木式アンテナとほぼ同等です。ただアンテナ設置位置が低い分、受信感度もやや低くなる場合がある他、アンテナ本体価格やアンテナ設置工費も、やや割高になります。
さらに現在では、ポールの先に棒状のアンテナ本体を設置した、八木式アンテナとデザインアンテナ、双方の長所を兼ね備える最新鋭のアンテナ、ユニコーンアンテナ(ポール型アンテナ)も登場しております。」
当あさひアンテナでは八木式アンテナ、デザインアンテナとも、国内一流メーカー「DXアンテナ」社製の高性能モデルをご用意し、アンテナ本体価格を含めた基本工事費用で、アンテナ設置を行っております。
八木式アンテナでは耐水性、耐風性が高い軽量モデル「UA20」によるアンテナ取付けを、税込み基本価格15,000円から。デザインアンテナは20素子相当、業界最小クラスの超薄型モデル「UAH201」によるアンテナ取り付けを、税込み基本価格20,000円からで実施いたします。
BS/CS110度アンテナも、2K4K8K対応の最新機種「BC45AS」を用いたアンテナ設置、税込み基本価格15,000円からで施工いたします。
ユニコーンアンテナでは同機種を開発した「マスプロアンテナ社」製の「U2CN(ユニコーン)」をご用意している他、上記の基本モデルとは別に、高性能アンテナやアンテナブースターなど各種機器もご用意し、あらゆる条件の現場にご対応いたします。
弊社では公式サイトからの無料web見積もりをはじめ、フリーダイヤル、メールフォーム、LINEによるご相談。また職人が現場に出張して、高性能の電波調査器による地デジ電波調査、現場でのアンテナ工事費のお見積もりまで、すべて無料で実施いたします。
もし調査の結果、地デジ受信ができずアンテナ設置できない場合や、お客様が見積もりなどにご満足いただけず、アンテナ設置の本契約に至らなかった場合も、キャンセル料などの諸費用は1円たりともいただいておりません。
豊富な経験と高い技術を誇る弊社のアンテナ職人は、やや地形が複雑な桜井市の地デジアンテナ設置に関しても、お客様のご要望を最優先に、現場ごとの電波状態や周辺環境などを総合した判断により、環境によるアンテナの経年劣化を軽減し、受信性能も安定した高品質な地デジアンテナ工事を、業界最安値に挑む低料金でご提案いたします。
奈良県桜井市にて地デジ、CS/BSなどのアンテナ取付け工事をお求めのお客様は、当あさひアンテナのフリーダイヤル(0120-540-527)かメールフォーム(https//asahi-antenna.jp/contact)。またはLINE(QRコード:https://line.me/R/ti/p/%40396mlzgh)まで、どうぞお気軽にご相談ください。
- Q
桜井市でアンテナが故障したときはすぐ修理できますか?
- A
当あさひアンテナでは、弊社、他業者のアンテナ設置現場を問わず、故障の際は弊社フリーダイヤル(0120-540-527)へのご一報で、最短即日、夜間工事にも対応して早急に修理いたします。
特に弊社の各種アンテナ取付け現場では業界最長クラス、施工日から10年間のアフターフォロー体制がございます。
弊社ではアンテナ取付け工事の完了後、担当職人の自筆署名入り保証書をお客様にお渡ししております。また弊社でもあらゆるアンテナ設置から10年間、全工事の情報をデータベース化して保存しております。
保証をお求めの際、もし保証書を紛失された場合は、お客様の情報や、お電話で当時のアンテナ工事に関して、お分かりの範囲でお聞かせください。弊社データベースで該当するアンテナ工事を確認次第、保証書がある場合とまったく同じ条件で保証対応をいたします。
また弊社の保障以外に、一般住宅の火災保険では基本的に「風災保証」が付帯します。テレビアンテナも住宅の設備に該当するため、風雨や雷、雪、雹、隕石、落下物など自然災害によるアンテナが損壊では、火災保険で修理費用が補償されることがございます。
具体的な補償内容は契約によっても異なりますが、弊社ではアンテナ修理のご依頼と同時に、火災保険のご相談にも対応いたします。
具体的には修理アンテナ工事に並行して、修理報告書、見積書、施工前後の画像など、保険会社へ提出する補償請求書類を、すべて弊社でご用意いたします。
保険会社との交渉は、弁護士法の規定により、弁護士以外による交渉代行はできなくなっております。そこで弊社では、お客様のご交渉について、専門知識をもつスタッフによる万全のサポート体制をご用意しております。
奈良県桜井市における突然のアンテナトラブルには、復旧アンテナ工事から保険会社への対応まで、万全の態勢をご用意する、当あさひアンテナにお任せください。
- Q
自宅にあるアンテナ設置のみを依頼できますか?
- A
当あさひアンテナでは、あらゆるアンテナ工事を、お客様のご要望に応じて、柔軟にご対応しております。
前述のように弊社では基本的に、国内一流メーカーによる高品質アンテナ本体の価格込みで、各種アンテナ工事をご案内しております。ただご要望があれば、お客様にご購入された各種アンテナ取り付けにも対応いたします。
弊社ではアンテナ工事の価格についても、お客様にご納得、ご満足いただけるよう、公式サイトにて、各種アンテナ工事の基本価格と、使用する各種アンテナ機種、型番。各オプション工事や機器の料金体系まで、詳しく明記しております。もちろん現場において、お客様に無断で機材や工事などを追加することも決してございません。
弊社がこのような高性能アンテナ価格込みの低価格で、アンテナ設置工事をご提供できる秘密は、メーカーから直接の大量仕入れによる大幅値引き。完全自社施工による中間マージン削減。職人が効率的に担当区域を巡回しての人件費削減など、業者にして可能な数々のコストカットの努力にございます。
そしてその努力をお客様に還元すべく、弊社ではアンテナ工事の業界最安値を追求しております。もし相見積もりで弊社より安い価格が出た際は、その見積書をご提示ください。施工や機材の品質など完全に同一のアンテナ工事を、さらに安くお見積もりいたします。
桜井市では、北西部の市街地であればおおむね安定して地デジ電波を受信できます。ただ東部、南部などは山地にあたり、地デジ電波が届くエリアでも、現場の地形などの条件により、地デジ受信にさまざまな条件が生じるケースもございます。
そのため桜井市での地デジアンテナ設置では、まず現場の電波状態や周辺環境などを把握し、お客様のご要望を実現できる最適なアンテナ機種、またアンテナ設置の位置、工法などの判定が必要となります。
したがってお客様がご購入された地デジアンテナでは、性能や現場への適性などから、ご希望の地デジ受信ができないケースも考えられます。またアンテナのご購入価格とアンテナ設置工費の総額が、弊社の本体価格込み地デジアンテナ工事価格より高額になるケースも十分ありえます。
奈良県桜井市での地デジはじめ各種アンテナ取付け工事については、ご自身でアンテナを購入される前に、当あさひアンテナのフリーダイヤル(0120-540-527)、メールフォーム(https//asahi-antenna.jp/contact)、LINE(QRコード:https://line.me/R/ti/p/%40396mlzgh)まで、機種や受信のご希望、また費用についてなど、ご納得いただけるまでご相談いただければ幸いです。
桜井市 にお住まいで画面にE201、E202、E203の文字が出ている方
テレビ画面に"E201、E202、E203"と表示され番組が視聴できない
アンテナトラブルの形式として、突然、ご自宅のテレビで地デジのテレビ番組がまったく映らなくなり、画面に「e201」「e202」「e203」などの記号が表示されることがございます。これはテレビやアンテナにトラブルが発生し、テレビが自己診断機能を働かせてエラーコードで原因を示している状態です。最近のテレビはコードと同時にトラブルの原因を文章で表示するものもありますが、電波受信に関するトラブルの場合は、主に前述の三種類のコードが表示されます。なおエラーコードの種類は、トラブルの原因によって他にも数々のものがございます。
「e201」は、テレビ本体に届く電波のレベルが低下しているというエラーコードです。これは主にBS、CS放送で、豪雨や大雪など、悪天候の場合に表示されることが多くなります。BS、CS放送は衛星放送のため、悪天候では、波の乱反射によって電波状態が悪化するという弱点がございます。BSでは悪天候の際に電波を切り替え、画質、音質を落とすことで受信できるようにした「降雨対応放送」に切り替わる場合もあります。悪天候による受信不良は、天候の回復と同時に自然と復旧いたします。地デジ放送では、このコードが表示されることは少ないのですが、周辺の電波状態の悪化やアンテナ機器のトラブルなどにより、ときに表示されることもございます。
「e202」は、テレビ本体ににまったく電波が届いていないというエラーコードです。原因は大風や地震などによるアンテナ角度のずれや倒れるといったトラブル。またアンテナ本体、アンテナ線、ブースター(増幅器)、分配器など、どこかに故障が発生したことも考えられます。また単純にテレビとアンテナ線との接触不良という場合もありますので、このコードが表示されたときは、まずテレビやレコーダーなどの機器と、アンテナ線との接続部分をチェックしてください。
「e203」は、該当する放送局が放送休止しているというエラーコードです。基本的に放送局が、メンテナンスやトラブルなどによって放送を休止していることから発生する不具合です。このコードが表示されたときは、その他のチャンネルを確認して、正しく映っているなら放送局側に原因があると判断できます。ただアンテナ関係の故障でも、このコードが表示される場合がありますのでご注意ください。
これらのエラーコードが表示されたときは、ブロックノイズの際と同じく、まずテレビのリセットや、テレビとアンテナ線の接続部を確認するなどしてください。それでも回復しない場合は、アンテナ関係にトラブルが起こっていると考えられます。
その場合も、やはり当あさひアンテナのフリーダイヤル(0120-540-527)にご相談ください。まずお電話口にて、コードの種類やご自宅のアンテナ環境などとお伺いして、ご自宅で可能な対策をご説明いたします。もしお電話で問題が解決しないときは、ご用命いただければ、弊社の職人が最短即日でご自宅へ出向き、現場調査で原因を特定いたします。
当あさひアンテナでは、どのようなご相談であっても、出張費、見積もり費、キャンセル費はすべて無料で対応させていただきます。またトラブルの原因を特定した後は、弊社の職人からお客様に、修理に必要な工事のご説明と見積もり価格を提示いたします。その内容にお客様が納得され、正式にご契約なされた時点ではじめて工事にかからせていただきます。それまでは決して無断で工事を進めることはなく、料金も一切発生いたしません。
さらにアンテナ工事後の保証など、アフターフォローの体制も万全のものを用意してございます。テレビ映りに不具合が発生して、エラーコードからアンテナトラブルだと思われる場合は、まずは当あさひアンテナのフリーダイヤル(0120-540-527)へとお気軽にお電話ください。
桜井市 についてもっと知りたい
これからお引越しを考えている方
桜井市 てどんなところ??
奈良県桜井市は、県の北半分にあたる一帯のほぼ中央部で、中和地域に位置する市です。市域は奈良盆地の南東の端と、東側および南側に広がる山地から成り立ち、市域全体の約60パーセントを山地が占めています。市域の北西にあたる盆地部分には鉄道網や道路網が整備され、市街地が形成されていますが、山間部では過疎化が進んでいる側面もあります。
市内の河川には、市域の中央部を北から東に流れる大和川(初瀬川)や、北から南に流れる寺川、米川などがあります。
桜井市の気候は、市内でも山地や丘陵地、山間部、盆地によって環境が異なるため、それぞれ異なった特徴を持っています。ただ共通する点として、盆地機構として夏は蒸し暑い一方、冬の寒さは厳しくなります。また丘陵地を除けば、降水量は少ないことも特徴です。
桜井市における人類の歴史は、旧石器時代まで遡ります。旧石器時代の資料としては、中山遺跡や吉備池遺跡からナイフ形石器が出土しています。旧石器時代から縄文時代草創期の資料としては、初瀬谷の脇本遺跡や三輪山西麓の松原遺跡から尖頭器が出土しています。
縄文時代早期のものでは、市域の北部にある箸中遺跡から土器や石器類などの遺物が、中期以降のものでは柴遺跡や三輪松之本などから遺物が出土しています。
弥生時代の遺跡などとしては、縄文時代の遺物も発見されている芝遺跡にて、弥生時代中期のものとみられる構築物の痕跡が、地面や地下などに顕著に残っており、絵画や土器なども出土しています。これとほぼ同時期に、纒向遺跡では大規模な集落が形成されていたことが判明しています。纒向遺跡には大型古墳の所在も認められており、同遺跡の集落域には九州から関東にかけての土器が多数出土しています。
このように市域には弥生時代から古墳時代にかけての遺跡が多く、また古墳も多く残っていることから、ヤマト王権の中心的な地域であったと考えられています。その前期は「三輪王権」とも呼ばれますが、今日の三輪地域を指したものとされています。
今日でも桜井市では、縄文時代や弥生時代の土器の欠片が一般の畑などからも見られることがあり、その歴史の深さが感じられます。
飛鳥時代になると、ヤマト王権において律令国家としての基礎が確立します。さらに現在の奈良市、大和郡山市に平城京が置かれた奈良時代には条里制が施行され、桜井市の市域にも、現在でもその名残をもった街並みが見られます。
奈良時代には平城京を中心に、周辺一帯に寺社や神宮が数多く建立されました。平城京から長岡京、平安京などに都が移った後も、桜井市域を含む大和国(今日の奈良県)では、寺社勢力が強い力を持つことになります。
平安時代から室町時代には、大和国では藤原氏の氏寺である興福寺や、藤原氏の氏神を祀る春日大社が多くの荘園を保有し、一帯を支配していました。特に興福寺は鎌倉時代から大和守護を務めて多くの僧兵を抱えていました。また中世の桜井市域では、多武峯に位置する寺社勢力が拡大しています。
これらの僧兵の集落でも、頭領である衆徒は徐々に大和国各地の荘園の支配権を握り、豪族、地侍などの武士勢力へと変貌していきます。
室町時代から戦国時代にかけての大和国では、筒井氏、越智氏、十市氏などの土豪が各地に勢力を伸ばした他、畠山氏や三好氏、松永久秀など他国の勢力が大和国に侵攻し、支配権をめぐって争いを続けます。
中でも筒井氏は、筒井順興の代で大和国の諸勢力を傘下に収めた戦国大名となり、嫡男の順昭は大和を統一し、河内(今日の大阪市東部)にも勢力を伸ばすなどして繁栄します。しかし順昭は病により若くして亡くなり、筒井家は当時2歳の嫡男、順慶が継ぎます。
大和国は三好氏の配下であった戦国武将、松永久秀の侵攻を受けてその支配下に落ち、順慶は一時、大和を追放されます。
しかしのちに織田信長が、室町幕府将軍、足利義昭を奉じて畿内に進出。順慶、久秀ともにその傘下に入ります。のちに久秀は信長に反旗を翻し、信貴山城の戦いで討ち果たされ、大和一国は順慶が治めることになります。
織田信長が本能寺の変で討たれ、豊臣(羽柴)秀吉が天下を治める時代になると、筒井氏は順慶の病死後、伊賀上野に転封となり、大和の国は秀吉の弟である豊臣(羽柴)秀長、次いで五奉行の一人である増田長盛が治めることになります。
江戸時代になると桜井市の市域では、伊勢街道と多武峯街道が交差する付近が宿場町の中心となり、街道沿いには宿屋や商店、民家などが立ち並び、街並みは繁栄しました。明治時代になると、さらに街道の整備が進んで一帯は交通の要衝、産業開発の起点となり、商業や産業が盛んな地域として今日の桜井市にいたっています。
明治以降、今日の桜井市にいたるまでの経緯としては、1889年(明治22年)4月1日の町村制の施行により、十市郡の桜井村、谷村、河西村、浅古村、下村、上之宮村の区域をもって、十市郡桜井村が発足します。1890年(明治23年)11月18日には桜井村が町制を施行し、十市郡桜井町となります。
1896年(明治29年)3月29日には所属郡が磯城郡に変更された後、同じ磯崎郡の城島村、安倍村、多武峰村、朝倉村を徐々に編入。また町の一部であった大字笠間、安田を宇陀郡榛原町に編入するなど町域の変更が行われます。
そして1956年(昭和31年)9月1日に、磯崎郡の大福村、香久山村を編入して市制を施行し、桜井市として発足しました。
さらにその後、同年9月30日には磯城郡上之郷村を編入し、市内の大字池尻、南山、戎外、木之本、下八釣、膳夫、出合、出垣内を橿原市へと編入。この編入により、旧上之郷村の地区が飛地となります。
1959年(昭和34年)2月23日には磯城郡初瀬町を編入することで飛地を解消し、1963年(昭和38年)4月1日に磯城郡大三輪町を編入。1969年(昭和44年)4月1日には市内の大字角柄と柳を榛原町に編入して、今日の市域にいたっています。
今日の桜井市は、前述のように古代の遺跡、古墳などが豊富で、ヤマト王権の中心地だったともみられる歴史の深い町です。由緒ある社寺なども数多く見られる他、宗教的な歴史も深く、古代信仰の形態を研究する面においても重要な地域になっています。また土舞台(現在の桜井公園)は日本芸能の発祥の地といわれており「万葉のあけぼのの地」などと呼ばれることもあります。
桜井市では、これまでに「生活文化都市」や「観光・産業創造都市」をテーマとした街づくりを推進してきました。市域の西部から北部は奈良盆地の東南にあたり、大和川などの河川が流れる比較的、平坦な田園地帯となっており、桜井駅や三輪駅の周辺、国道165号沿線などに市街地が形成されています。南部から東部には竜門山地がそびえ、その冷涼な気候を利用した大和茶、そうめん(素麺)などの生産が行われています。
そうめんの発祥は奈良時代、遣唐使より小麦の栽培や製粉技術が伝えられたといわれており、唐から伝来した唐菓子のひとつ「索餅」を原型に変化した者との説があります。索餅は和名を「麦縄」ともいい、小麦粉と米粉に塩を加えて縄状にした乾麵で、奈良時代には米の端境期を乗り越える夏の保存食だったと考えられていますが、その正確な形状は伝わっていません。
また市内の三輪に伝わる伝説では、紀元前91年(崇神天皇7年)に、大物主命の五世の孫にあたる大田田根子命が、大神神社の大神主に任じられて、その十五世の孫にあたる従五位上大神主大神朝臣狭井久佐(大神朝臣三枝)の次男、穀主が、飢饉と疫病に苦しむ民衆を救うべく祈願したところ、神のお告げがあり、三輪の地にて小麦を生産し、日本ではじめてそうめんを作ったといわれています。
この縁により大神神社祭神はそうめん作りの守護神とされており、毎年2月5日には、その年の生産者と卸業者による、初取引の卸値の参考価格を占う「卜定祭」が営まれています。
また桜井市では、この神話が発祥といわれる手延べそうめんの「三輪そうめん」が、前述のように小麦の生産に適した土壌や山地の気候を生かして、現在でも農家の副業として冬場に生産されており、市の特産品で日本三大手延べそうめんのひとつに数えられています。
他にも市の特産品には、ミカン(蜜柑)、柿の葉すし、春雨、醤油、荒神の里そば、野球用品などがあります。また市内は奈良県各地の木材の集散地であり、製材業も盛んで「木の町」いわれています。市内では木材製品の展示会や、木材の工作教室が開かれるなど、木材の振興も盛んに行われています。
前述のように、桜井市には由緒ある史跡、名所などが数多くあります。神社には、旧来は美和乃御諸宮、大神大物主神社、中世以降は三輪明神と呼ばれた神社で、摂社大直禰子神社社殿、拝殿、三ツ鳥居などが国の重要文化財。境内が国の史跡である、前述の大神神社(おおみわじんじゃ)があります。現在の社名は明治時代に解明されたもので、祭神は稲作豊穣、疫病除け、醸造などの神である大物主大神。また三輪山を神体山としています。この神社で毎年11月14日に行われる醸造安全祈願祭(酒まつり)では拝殿に杉玉(酒林)が吊るされますが、これが日本各地の造り酒屋へと伝わり、新酒ができたというしるしになっています。
他にも、明治時代までは「能登宮」と呼ばれ、古くには鳥見山に所在していましたが、平安時代の山崩れにより現在の場所に移った神社で、八咫烏が人の形をしているという特色もある等彌神社(とみじんじゃ)。元は穴師坐兵主神社、巻向坐若御魂神社、穴師大兵主神社の3社で、室町時代に合祀された穴師坐兵主神社(あなしにますひょうずじんじゃ)。国宝の粟原寺三重塔伏鉢、十三重塔をはじめ建造物3件(15棟)、美術工芸品11件が国の重要文化財であり、社の背後、御破裂山の山頂には藤原鎌足の墓がある、サクラ(桜)とモミジ(紅葉)の名所としても知られる談山神社(たんざんじんじゃ)。鳥見山の山麓に鎮座し、宗像三女神と称される多紀理毘売命、市寸嶋比売命、田寸津比売命の3柱を祀る宗像神社(むなかたじんじゃ)などの神社があります。
寺院には、初瀬山の中腹に本堂が位置する真言宗豊山派の総本山で、山号は豊山。本尊を十一面観音とし、「枕草子」「源氏物語」「更級日記」など多くの古典文学にも登場している長谷寺(はせでら)があります。長谷寺では本堂、銅板法華説相図、長谷寺経の3件が国宝に認定されている他、建造物2件、美術工芸品13件が重要文化財となっています。
他にも真言宗豊山派の寺院で、本尊を徳道上人像とする法起院(ほうきいん)。真言宗室生寺派の寺院で山号は霊園山。本尊を地蔵菩薩とし、江戸時代中期に建立されたと伝えられる聖林寺(しょうりんじ)。華厳宗の寺院で、山号は安倍山。本尊を文殊菩薩としており、開基は安倍倉梯麻呂と伝えられる安倍文殊院(あべもんじゅいん)。曹洞宗の寺院で、聖徳太子の開基とされ、本尊の十一面観音像も聖徳太子の自作とされる平等寺(びょうどうじ)などの寺院があります。
史跡などでは、飛鳥時代の古代寺院跡で、7世紀半ばに蘇我倉山田石川麻呂により建築がはじめられ、その自害後に完成。明治時代の廃仏毀釈で廃寺となり、1892年(明治25年)に小寺院として再興。1921年(大正10年)3月3日には国の史跡に、1952年(昭和27年)3月29日には国の特別史跡に指定された山田寺(やまだでら)跡。談山神社が所蔵する「粟原寺三重塔伏鉢」に刻まれた銘文が、古代の金石文の重要な資料として国宝に指定され、寺跡そのものも国の史跡に指定されている粟原寺(おおばらでら/おうばらでら/おばらでら)跡。室町時代にはすでに開口していた古墳で形状は円墳と推定され、国の特別史跡に指定される文殊院西古墳(もんじゅいんにしこふん)。古墳時代終末期の古墳で、全長20メートルを超える巨大な横穴式石室の存在が想定されている段ノ塚古墳(だんのづかこふん)。宮内庁により「大市墓」として第7代孝霊天皇皇女の倭迹迹日百襲姫命の墓に治定される一方、邪馬台国の女王、卑弥呼の墓とする学説もあり、周濠部分は国の史跡であり、一部は「箸中大池」としてため池百選にも選定されている箸墓古墳(はしばかこふん)。弥生時代末期から古墳時代前期にかけての集落遺跡で、国の史跡に指定される纒向古墳群(まきむくこふんぐん)。形状は前方後円墳で前方部が細長く、墳丘長は207メートルで国の史跡に指定される、桜井茶臼山古墳(さくらいちゃうすやまこふん)その他、多くの古墳が存在します。
桜井市の祭礼、イベントなどには、毎年2月11日に、桜井市の北西部、江包と大西の両集落間で行われる豊作と子授け祈願の縄かけ行事で、国の重要無形民俗文化財に指定されており、江包が男綱、大西が女綱を作る、「お綱祭り」「お綱はんの嫁入り」とも呼ばれる「江包・大西の御綱」。1975年(昭和50年)から桜井青年会議所が中心となって開催しているお祭りで、露店などが並ぶ「大和さくらい万葉まつり」。祭綱越神社にて行われる無病息災を祈願する神事で、その名前は「お祓い」がなまったものといわれる「おんぱら」。疫病が流行で多くの人々が亡くなった際、大直禰子命を神主として祀り直したことで平安が戻ったことが発祥とされる大神神社の「春の大神祭」。江戸時代に庶民の娯楽とされたお伊勢参りを起源とし、その姿を現代に残すべく行われる「伊勢太神楽」。1月に大神神社で行われる祭典で、国家や皇室の安泰を祈る「繞道祭」などがあります。
-
桜井市 の場所
-
奈良県桜井市は、県でも北半分のほぼ中央部に位置する市です。市域の北側を天理市に、北東側を奈良市に、東側を宇陀市に、北西側を磯城郡田原本町に、西側を橿原市に、南西側を高市郡明日香村に、南側の先端を吉野郡吉野町に接しています。
桜井市は、多くの古代遺跡や古墳、また古代の伝承などが伝わる、歴史浪漫のあふれる市です。市域は奈良盆地の南東部にあたる市街地と、東部、南部の山地から構成され、市街地にはJR桜井線と近鉄大阪線が走っているため、県内外の周辺地域にも出やすくなっています。また市内の多くは田園地帯で山地も豊富なため自然も豊かで、文化と環境に恵まれ、利便性も兼ね備えた、非常に暮らしやすい市といえます。
桜井市の市章は、1956年9月1日に制定されたものです。市名の元である「桜井」の地名が「日本書記」に記された履中天皇の皇居「磐余稚桜宮」にあった井戸「桜の井」に由来することから、半円形を組み合わせた幾何学的な模様で、5枚の花弁を持つサクラをデザイン化したものが市章になっています。また中央より大きく広がる花びらは、若さと発展する桜井市を象徴しています。
桜井市は1986年(昭和61年)10月28日に三重県熊野市と、1989年(平成元年)10月2日に島根県大社町(現在の出雲市)と友好都市提携を結んでいます。また海外では、フランス共和国のシャルトル市と1989年4月22日に友好都市提携を結んでいます。
桜井市の花は、桜井の地名の起因にちなんだヤマザクラ(山桜)です。また市の木はスギ(杉)が選ばれています。
ヤマザクラはバラ科サクラ属の落葉高木で、日本に10種あるサクラ属の基本野生種の中でも代表的な種であり、和歌にも数多く詠まれています。サクラの中でも寿命が長く、樹高30メートルを超える大木になることもあり、実生するほど花の八重や香りが増します。ヤマザクラは同じ地域に生える木々でも個体変異が多く、樹の形、開花時期や花つき、葉と花の開く時期、花の色の濃などにさまざまな違いがあります。また「ヤマザクラ」は独立したひとつの種ですが、他の野生桜と混同されることも多く、野生桜の総称とされることや、カスミザクラ(霞桜)やエゾヤマザクラ(蝦夷山桜)の同種に見なされることもあり、注意が必要です。
スギはヒノキ科スギ亜科スギ属で日本原産の常緑針葉樹です。高い幹が天を突くように直立する常緑樹であり、枝葉が密に繁る雄大な姿が印象的です。名前の由来は、真直ぐの木「直木」からだといわれます。一方、江戸時代の国学者、本居宣長は「直木」は誤りで、横方向にはびこらず上へ進み上る木として「進木(ススギ)」が語源としています。人間との関わりとしては、防風樹として植えられる他、住宅の木材などとしても用いられ、日本各地の名産地のスギがブランド木材にもなっています。
どちらの木も歳月により年輪を重ね、巨木になる姿が、躍進する桜井市を象徴しているといえます。
市のマスコットキャラクターは「ひみこちゃん」です。ひみこちゃんは、桜井市がヤマト王権の中心的な地域であったと考えられることから、倭国(古代日本)の女王で巫女だったといわれる「卑弥呼」をモデルにした古代の巫女装束を着た女の子です。頭に巻いている赤い紐にはヤマザクラの飾りがついています。ひみこちゃんは2月22日生まれで永遠の12歳。好きなものは甘いものとゲーム。変身が特技で、マイペースで面倒くさがりな性格ですが、現代の巫女らしくTwitterやYouTubeを駆使して桜井市の魅力をPRしています。
-
桜井市 の鉄道路線
-
奈良県桜井市の鉄道路線
西日本旅客鉄道(JR西日本)
桜井線(万葉まほろば線)
・巻向駅
・三輪駅
・桜井駅
近畿日本鉄道(近鉄)
大阪線
・大福駅
・桜井駅
・大和朝倉駅
・長谷寺駅
奈良県桜井市のバス路線
・奈良交通
・桜井市コミュニティバス
-
桜井市 の主要道路
-
奈良県桜井市の主要道路
一般国道
・国道169号
・国道165号
・国道166号
主要地方道
・奈良県道14号桜井田原本王寺線
・奈良県道15号桜井明日香吉野線
・奈良県道37号桜井吉野線
・奈良県道38号桜井都祁線
・奈良県道50号大和高田桜井線
一般県道
・奈良県道152号大三輪十市線
・奈良県道153号三輪停車場線
・奈良県道154号桜井停車場線
・奈良県道155号多武峯見瀬線
・奈良県道198号粟原榛原線
・奈良県道199号慈恩寺三輪線
・奈良県道200号慈恩寺桜井線
・奈良県道247号笠天理線
・奈良県道252号長谷寺停車場線
その他
・中和幹線
-
桜井市 出身の芸能人
-
奈良県桜井市出身の著名人には、出生は石川県金沢市、暗黒舞踏集団「大駱駝艦」を主宰する俳優、舞踏家、演出家で、映画「翔んで埼玉」「劇場版 SPEC〜天〜」やテレビドラマ「ルパンの娘」など多くの作品に出演している他、長男が映画監督の大森立嗣監督、次男が俳優の大森南朋さんであることでも知られる麿赤児さん。元「劇団四季」所属のミュージカル俳優および元バレエダンサーである松出直也さん。「通天閣人情」などの曲がある演歌歌手で、NHK朝の連続テレビ小説「ふたりっ子」に登場した「オーロラ輝子」のモデルでもあり、自身も同作に歌手「ダイナマイト玲子」役で出演している叶麗子(れい子)さん。女性アイドルグループ「煌めき☆アンフォレント」の元メンバーである茉井良菜さん。関西を中心に活動するフリーアナウンサーで、多くのテレビ番組でリポーターやアシスタント、DJなどの活躍を見せる田中めぐみ(愛)さん。お笑いコンビ「笑い飯」でボケとツッコミ双方を担当するお笑い芸人で、小説などの著作もある哲夫(中西哲夫、笑い飯哲夫)さん。お笑いコンビ「水玉れっぷう隊」の一員であるお笑い芸人で、アイドルグループ「吉本坂46」メンバーである他、俳優として映画「サンブンノイチ」などに出演している松谷賢示さん。出生はアメリカ合衆国ニューヨークで、お笑いコンビ「シンデレラエキスブレス」の一員である渡辺裕薫さん。京都大学法学部時代は、お笑いタレントでクイズ王としても知られる宇治原史規さんの同級生であった朝日放送(ABC)テレビアナウンサーで、愛称は「ガンちゃん」。スポーツ中継や、ラジオのパーソナリティーとして活躍し、2012年ロンドンオリンピックでは取材リポーターとして現地にも派遣された岩本計介さんなどがいます。
文化芸術などその他の分野では、小説「介護入門」で第98回文學界新人賞、第131回芥川龍之介賞を受賞した小説家で、音楽活動を行っていた経歴もあるモブ・ノリオさん。多数の著作を執筆した文芸評論家の保田與重郎(湯原冬美)さん。昭和前期の版画家、挿絵画家で、南洋を思わせる絵や、都会の情景を影絵のようにとらえた幻想的な作風が特色の谷中安規さん。鎌倉時代から室町時代にかけて活躍した刀工とその一派「月山(がっさん)」の末裔で、昭和から平成期に活動し、重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された刀工の月山貞一(二代貞一)さん。その三男で奈良県無形文化財に認定される刀工の月山貞利さん。元奈良県議会議員で、2022年現在の桜井市長である政治家、歯科医師の松井正剛さん。関東大震災をきっかけに学校教育の重要性を痛感し、学校経営に生涯を捧げた学校経営者で、大阪城東大学初代学長、学校法人谷岡学園理事長などを歴任した谷岡登さん。不耕起、不施肥、無農薬の「自然農」を実践し、自然農に関する多くの著書も執筆する農家の川口由一さんなどが桜井市の出身者です。
スポーツ界の桜井市出身者では、プロ野球界に、西武ライオンズ、広島東洋カープ、福岡ダイエーホークスなどで内野手を求めた元プロ野球選手で、現在は同じく元プロ野球選手の清原和博さん専属の運転手および秘書、佐久長聖高等学校女子野球部監督、YouTuberなどの活動を行う野々垣武志さん。千葉ロッテマリーンズの元投手である長崎伸一さん。阪神タイガースの元内野手で、現役時代の愛称は漫才コンビ「ザ・ぼんち」のぼんちおさむさんに似ていることから「ぼんち」。現在は野球指導者を務める庄田隆弘さん。また最高位は西前頭4枚目である元大相撲力士で、のちにプロレスラーへ転向。プロレスラー引退後は、奈良県天理市でラーメン店「麺場 力皇」を経営する、愛称は「リキ」「リキさん」の力皇猛さん。コンサドーレ札幌、ガイナーレ鳥取などに所属した元サッカー選手で、現在はサッカー指導者である前田俊介さんなどがいます。
桜井市 町域別対応エリア
-
ア行
- 赤尾(アカオ)、朝倉台西1(アサクラダイニシ1)、朝倉台西2(アサクラダイニシ2)、朝倉台西3(アサクラダイニシ3)、朝倉台西4(アサクラダイニシ4)、朝倉台西5(アサクラダイニシ5)、朝倉台西6(アサクラダイニシ6)、朝倉台西7(アサクラダイニシ7)、朝倉台西8(アサクラダイニシ8)、朝倉台東1(アサクラダイヒガシ1)、朝倉台東2(アサクラダイヒガシ2)、朝倉台東3(アサクラダイヒガシ3)、朝倉台東4(アサクラダイヒガシ4)、朝倉台東5(アサクラダイヒガシ5)、朝倉台東6(アサクラダイヒガシ6)、朝倉台東7(アサクラダイヒガシ7)、浅古(アサゴ)、穴師(アナシ)、阿部(アベ)、安倍木材団地1(アベモクザイダンチ1)、安倍木材団地2(アベモクザイダンチ2)、飯盛塚(イイモリヅカ)、池之内(イケノウチ)、出雲(イズモ)、今井谷(イマイダニ)、岩坂(イワサカ)、上之宮(ウエノミヤ)、江包(エツツミ)、大泉(オイズミ)、生田(オイダ)、太田(オオタ)、粟殿(オオドノ)、大西(オオニシ)、粟原(オオバラ)、小夫(オオブ)、小夫嵩方(オオブダケホウ)、忍阪(オツサカ)、下居(オリイ)
-
カ行
- 戒重(カイジュウ)、笠(カサ)、金屋(カナヤ)、上之庄(カミノショウ)、萱森(カヤモリ)、川合(カワイ)、河西(カワニシ)、北音羽(キタオトワ)、北山(キタヤマ)、吉備(キビ)、草川(クサガワ)、倉橋(クラハシ)、黒崎(クロザキ)、狛(コマ)
-
サ行
- 下り尾(サガリオ)、桜井(サクライ)、芝(シバ)、下(シモ)、修理枝(シュリエダ)、白河(シラガ)、白木(シラキ)、新屋敷(シンヤシキ)、慈恩寺(ジオンジ)、芹井(セリイ)
-
タ行
- 高家(タイエ)、高田(タカタ)、瀧倉(タキクラ)、谷(タニ)、大福(ダイフク)、茅原(チハラ)、辻(ツジ)、多武峰(トオノミネ)、外山(トビ)、豊田(トヨダ)
-
ナ行
- 中谷(ナカタニ)、西口(ニシグチ)、西之宮(ニシノミヤ)
-
ハ行
- 箸中(ハシナカ)、橋本(ハシモト)、初瀬(ハセ)、針道(ハリミチ)、東田(ヒガイダ)、東新堂(ヒガシシンドウ)、豊前(ブンゼ)
-
マ行
- 巻野内(マキノウチ)、大豆越(マメゴシ)、三谷(ミタニ)、南音羽(ミナミオトワ)、三輪(ミワ)、百市(モモノイチ)
-
ヤ行
- 八井内(ヤイナイ)、山田(ヤマダ)、横柿(ヨコガキ)、吉隠(ヨナバリ)
-
ラ行
- 竜谷(リュウタニ)、鹿路(ロクロ)
-
ワ行
- 脇本(ワキモト)、和田(ワダ)