野田市 でテレビアンテナ工事をお考えの方へ
目次
野田市 でアンテナ工事でお困りの方はお任せ下さい。
当あさひアンテナでは千葉県野田市はじめ、千葉県内で地デジやBS/CSなどの各種アンテナ設置工事について、豊富な経験と実績がございます。野田市にお住まいで、地デジその他アンテナの新規設置、また修理や交換などをお考えの方は、まずはご相談だけでも当あさひアンテナへ、お電話やメールなどでお気軽にお問い合わせください。
千葉県野田市は、千葉県の北西の端にに位置する市です。面積は103.55平方キロメートル。2020年(令和2年)8月1日時点での人口は154,299人で、うち男性が77,595人、女性が76,704人になります。また市内にはおよそ69,520世帯が暮らしています。
野田市は南北に細長く、東西を利根川、江戸川に挟まれている地形です。そのため江戸時代より水運が発展し、江戸に向けた醤油の一台醸造地として発展しました。今日でも全国的な醤油、調味料メーカーの本社が置かれています。
東京都隅田区にある東京スカイツリーから野田市までは、およそ22キロから42キロ強の距離になります。スカイツリーからの電波は、NHKおよび広域民放であれば十分に受信可能な範囲内です。また県内の千葉局、埼玉県の浦和局からの地デジ電波も全域で受信可能であり、地デジ受信に関しては恵まれた地域です。ただ現場の環境により、地デジ受信に関して条件や制約が生じるケースもございます。
当あさひアンテナでは、千葉県野田市全域での地デジその他、各種アンテナ設置工事に対応しております。弊社には野田市はじめ県内全域での作業経験が豊富で、地域ごとの地デジ電波の特性を把握し、現場に合わせた最適なアンテナ設置工事をご提案できる腕のいい専門の職人が揃っております。野田市にて地デジ、CS/BSなど各種アンテナ設置や修理、交換などの各種工事をお求めのお客様は、確実な地デジ受信と、丈夫で長持ちするアンテナの設置をお約束する、当あさひアンテナのフリーダイヤル(0120-540-527)か、ホームページからのお問い合わせフォーム(https//asahi-antenna.jp/contact)へとご連絡ください。
「2020年現在の新型コロナウィルス流行に関しまして」
このたびの新型コロナウイルス発生に際しまして、弊社では現場に出向く職人はもちろん、全従業員にマスクと除菌スプレーを配布し、作業車や作業着などの除菌を頻繁かつ丁寧に行う他、従業員各人によるこまめなうがい、手洗いなども徹底しております。また会社としても従業員には業務よりも体調管理を優先し、わずかでも体調に異変がある場合は、安全が確認できるまで休むよう指導しております。
すべては社員の身を守ると同時に、万全を期してお客様をお守りするための、最大限の配慮でございます。現場でのお客様への対応についても、万が一のリスクを避けるため、失礼ながら基本的にマスクを装着したままでご対応させていただいております。申し訳ありませんが、なにとぞご了承ください。
野田市 の方でアンテナ工事に関するよくある質問
- Q
野田市に適した地デジアンテナの機種は何ですか?
- A
現在、ご家庭で用いられる主な地デジアンテナ機種は、八木式アンテナとデザインアンテナになります。
八木式アンテナはよく屋根の上に見られる、魚の骨のような形状の地デジアンテナです。日本ではテレビ放送の黎明期から使われている昔ながらのアンテナで、素材や耐久力などは当時から進化し続けていますが、基本設計は開発当時から変わっていません。それほど設計の完成度が高く、現在でも地デジ電波の高い受信能力を誇る機種です。ただ基本的に屋外に設置される八木式アンテナは、風雨など自然環境の影響を受けやすく、歳月につれて確実に老朽化が進行する弱点もございます。現在の八木式アンテナの寿命は平均10年程度ですが、この年数は海沿いや豪雪地帯など、設置現場の環境によっても大きく変わってきます。
デザインアンテナは家屋の外壁などに設置する平面で軽量薄型の地デジアンテナです。家屋の外観を損なわない、自然環境の影響を受けにくく経年劣化を軽減できる、修理やメンテナンスも簡単などのメリットがあり、現在では人気ナンバーワンの地デジアンテナになります。また現在のデザインアンテナは基本モデルが20素子相当であり、八木式アンテナと比べても受信性能にほとんど差はごさいません。ただデザインアンテナは八木式アンテナよりも設置位置が低い分、受信感度もやや低くなる傾向がございます。またアンテナ本体価格や設置工事費も、八木式アンテナに比べるとやや割高になります。
野田市は千葉県の北西の端、県の最北端に位置しており、比較的、東京都心にも近い市です、東京スカイツリーからはおよそ22キロから42キロの距離になり、スカイツリーからの地デジ電波は、NHK、広域民放であればほぼ全域で十分に受信可能です。
また千葉県船橋市にあり、千葉県の地方局である千葉テレビ(CTC)を放送する千葉局。埼玉県さいたま市桜区にあり、埼玉県の地方局、テレビ埼玉(テレ玉、TVS)を放送する浦和局からの地デジ電波も全域で受信可能です。
基本的に平地である野田市内では、八木式アンテナ、デザインアンテナのどちらを用いても受信に支障が出ることは、まずございません。ただ高層建築の近隣など、現場の条件によっては適切なアンテナの機種や、設置できる位置などにさまざまな条件、制約が生じるケースも考えられます。
当あさひアンテナでは、八木式アンテナ、デザインアンテナとも、国産DXアンテナ社製の最新モデルをご用意し、八木式アンテナは軽量で耐水性と対風速性が高く、長寿命が望める機種を用い、アンテナ本体価格を含む基本工事価格15000円からで設置をお引き受けしております。
デザインアンテナは20素子相当、業界最小クラスの厚さ4.9cm、大きさ9cm×22cmの超薄型モデルをご用意し、アンテナ本体価格を含む基本工事価格20000円からで設置をお引き受けいたします。さらにこれら標準機種で受信が安定しない場合は、別途に高性能アンテナや、アンテナブースター、アッテネーター設置の用意もございますので、どのような現場にも対応可能です。
弊社では地デジアンテナの設置に際し、高性能の電波測定器による現場調査を実施しており、現場においてもっとも適切なアンテナの種類や設置位置など、できる限りお客様のご要望に応じた方法をご提案いたします。もしご希望の条件でどうしても受信に問題が出る場合は、弊社の豊富な工事経験に基づき、できるだけご要望に近い代案をご提示いたします。
弊社のアンテナ職人は、豊富な経験と高度な技術を駆使して、現場の電波状態だけでなく、自然環境の影響を受けにくく、アンテナの長寿命が望める設置位置や工法など、あらゆる条件を踏まえて、お客様にとって総合的にもっともお得となるアンテナ設置をご提案いたしております。野田市で地デジアンテナの新規設置や交換をお考えの方は、アンテナ機種のご希望やご相談も含め、当あさひアンテナのフリーダイヤル(0120-540-527)へと、どうぞお気軽にお問い合わせください。
- Q
野田市では東京MXやその他の地方局を視聴できますか?
- A
東京MXは基本的に東京都内が対象の地方局(地方チャンネル)であり、NHKや広域民放と同じく、東京スカイツリーから電波を発信しています。青梅や奥多摩など都内でも電波が届きにくい地域には、要所に東京MXの電波を含む中継局が設置されています。
ただスカイツリーからの地デジ電波は、NHK、広域民放の出力が10kwに対し、地方局であるMXの出力は3kwになり、東京MXの電波が届くのは東京都内とその近隣地域のみになります。
野田市はスカイツリーからおよそ22キロから42キロ程度の比較的、近距離にあたります。ただ東京MXの電波はスカイツリーの北東方向には届く範囲が短く、野田市では受信できなくなります。
千葉県内の地方局には、千葉テレビ(CTC)があります。CTCも千葉県内の各地に中継局が設置されていますが、野田市では、船橋市に位置し、県内の広範囲をカバーする千葉局からの電波を全域で受信できます。また埼玉県の地方局、テレビ埼玉(テレ玉、TVS)を放送する浦和局からの地デジ電波も市内の全域で受信可能です。
ただ、地デジアンテナは基本的に電波塔の方向に向ける必要があるため、発信地の異なる二種類以上の地デジ電波を受信したい場合は、それぞれの電波の方向に向けた複数の地デジアンテナの設置が必要となるケースもございます。現場によっては、電波が高層ビルなどに反射した「反射波」を受信することで、複数個所の電波塔から発信される電波を一台の地デジアンテナで受信できる場合もございますが、どのような現場でも可能とは申せません。
野田市から見て、スカイツリーは南側、千葉局は南東側、浦和局は西側と、方角にばらつきがあるため、一台の地デジアンテナですべての電波を受信するのは難しいケースも考えられます。
野田市で東京MXなど他地域の地方局を受信するのにアンテナ設置の工事費がかさむ、また東京MXなど受信できない地域の地方局を視聴なさりたい場合は、ケーブルテレビをご利用される方法もございます。当あさひアンテナでは、地デジアンテナの設置にこだわらず、お客様のご要望を最優先に、もっとも確実かつリーズナブルな方法をご提案いたします。
野田市で東京MXなど他地域の地方局をご覧になりたいお客様は、受信の可否や工事費などについて、まずは当あさひアンテナのフリーダイヤル(0120-540-527)へとお気軽にお問い合わせください。
- Q
自宅で購入した地デジアンテナの設置のみをお願いできますか?
- A
当あさひアンテナでは、地デジアンテナ設置その他、あらゆる工事においてお客様のご要望を最優先にする施工を心がけております。もちろんお客様が他店でご購入された各種アンテナの設置にもご対応いたします。
令和元年の9月から10月には、台風や豪雨が相次いで日本各地を襲い、大きな爪あとを残しました。野田市の皆様にも、突然の地デジアンテナ故障によって早急な修理、交換が必要になり、業者の手配や想定外の出費でお悩みになった方も多いと存じます。
またこの令和2年7月にも、記録的豪雨により各地でさまざまな災害が発生いたしました。被災された方々には衷心よりお見舞いを申し上げますと同時に、弊社からも微力ながら、可能な限りのご支援を行ってゆきたく存じます。
ただ残念ながらアンテナ工事業者にもこのような事態に乗じ、公式サイトや事前の説明では格安を謳いながら、アンテナ本体を別料金に設定し、安価で品質の低い地デジアンテナに高値をつける、またお客様に無断で不必要な機材や追加工事を加算するといった手口で、不当な高額料金を請求する悪質な業者も存在します。お客様におかれましても、設置工費は安価に見えても、使用するアンテナ機種、型番や、工事ごとの料金体系などが不明瞭な業者にはご注意いただきたく思います。
当あさひアンテナでは、まずお客様に信頼していただけるよう、弊社サイトにて基本設置工事費、各オプション工事ごとの料金体系をすべて明示し、ご提供する地デジおよびBS/CS110度アンテナの機種や型番も明記しております。もちろんお客様へのご相談なく、独断で追加機材や工事を加算することも決してございません。
弊社の地デジアンテナは前述の通り、八木式アンテナ、デザインアンテナとも、国産一流メーカーのDXアンテナ社製、高性能最新モデルをご用意し、アンテナ本体価格を含む標準工事費でご提供しております。アンテナ本体込みの標準工事費は、八木式アンテナで15000円、デザインアンテナは20000円からになっております。またCS/BS110度アンテナも、同社製2K4K8K対応型の最新モデルを用い、アンテナ本体価格込み標準設置費15000円からでお引き受けしております。
弊社では常に業界最安値に挑んでおりますが、もし他業者でより安い見積もりが出た場合は、その見積書をメールなどでご提示ください。まったく同じ工事内容で、さらに安くお見積もりいたします。もちろん値下げしてもアンテナ本体や部材の品質を落とすことは決してございません。弊社が国産高性能アンテナを、設置工事費込みの業界最安値でご提供できる秘密は、大量仕入れを前提にメーカーと直接交渉しての部材コスト削減。他業種と提携しての広告費削減。完全自社施工による中間マージン削減。弊社と直接契約した専門の職人が効率的に担当区域を動くことによる人件費削減などで総合的なコストカットに努める、業者だからこそ可能な企業努力にございます。
また弊社では地デジアンテナ設置に際し、高性能の電波測定器を用いて各現場の電波状態を確認することで。電波強度や経年劣化の阻止、外観性などあらゆる条件を織り込み、もっとも有利となるアンテナ機種と設置方法をご提案いたしております。
野田市は関東平野の中央部にあたり、東京スカイツリーからも比較的、近いため、地デジ受信については有利な地域です。ただ現場の条件によっては、アンテナ機種や、設置位置などに条件、制約が生じることも考えられます。特に野田市内で千葉テレビやテレ玉などの地方局をご視聴になりたい場合は、現場ことにアンテナについてさまざまな条件が発生してまいります。
そのためお客様がご自身で購入された地デジアンテナでは、弊社の同タイプ国産アンテナより品質や性能が低い、現場の電波状態や設置位置に不向きなどの理由で、十分な地デジ受信性能を得られない。またもっとも有利なアンテナ設置を選択できなくなることも考えられます。またたとえアンテナ本体価格は安価でも、本体価格と設置費用の総額が、弊社のアンテナ価格込み設置工事費より割高になることも十分ありえます。
弊社ではアンテナ設置のご相談および、ご自宅を訪問しての地デジ電波調査、アンテナ設置工事費のお見積もりまですべて無料で行っております。野田市にて新しい地デジアンテナの設置や交換をお考えのお客様は、ご自身でアンテナを購入される前に、まずは弊社のフリーダイヤル(0120-540-527)へ、設置なさりたいアンテナ機種や視聴なさりたいテレビ局、また用の目安など、ご納得いただけるまで、どのようなことでもご相談いただければ幸いです。
野田市 にお住まいで画面にE201、E202、E203の文字が出ている方
テレビ画面に"E201、E202、E203"と表示され番組が視聴できない
アンテナトラブルの形式として、突然、ご自宅のテレビで地デジのテレビ番組がまったく映らなくなり、画面に「e201」「e202」「e203」などの記号が表示されることがございます。これはテレビやアンテナにトラブルが発生し、テレビが自己診断機能を働かせてエラーコードで原因を示している状態です。最近のテレビはコードと同時にトラブルの原因を文章で表示するものもありますが、電波受信に関するトラブルの場合は、主に前述の三種類のコードが表示されます。なおエラーコードの種類は、トラブルの原因によって他にも数々のものがございます。
「e201」は、テレビ本体に届く電波のレベルが低下しているというエラーコードです。これは主にBS、CS放送で、豪雨や大雪など、悪天候の場合に表示されることが多くなります。BS、CS放送は衛星放送のため、悪天候では、波の乱反射によって電波状態が悪化するという弱点がございます。BSでは悪天候の際に電波を切り替え、画質、音質を落とすことで受信できるようにした「降雨対応放送」に切り替わる場合もあります。悪天候による受信不良は、天候の回復と同時に自然と復旧いたします。地デジ放送では、このコードが表示されることは少ないのですが、周辺の電波状態の悪化やアンテナ機器のトラブルなどにより、ときに表示されることもございます。
「e202」は、テレビ本体ににまったく電波が届いていないというエラーコードです。原因は大風や地震などによるアンテナ角度のずれや倒れるといったトラブル。またアンテナ本体、アンテナ線、ブースター(増幅器)、分配器など、どこかに故障が発生したことも考えられます。また単純にテレビとアンテナ線との接触不良という場合もありますので、このコードが表示されたときは、まずテレビやレコーダーなどの機器と、アンテナ線との接続部分をチェックしてください。
「e203」は、該当する放送局が放送休止しているというエラーコードです。基本的に放送局が、メンテナンスやトラブルなどによって放送を休止していることから発生する不具合です。このコードが表示されたときは、その他のチャンネルを確認して、正しく映っているなら放送局側に原因があると判断できます。ただアンテナ関係の故障でも、このコードが表示される場合がありますのでご注意ください。
これらのエラーコードが表示されたときは、ブロックノイズの際と同じく、まずテレビのリセットや、テレビとアンテナ線の接続部を確認するなどしてください。それでも回復しない場合は、アンテナ関係にトラブルが起こっていると考えられます。
その場合も、やはり当あさひアンテナのフリーダイヤル(0120-540-527)にご相談ください。まずお電話口にて、コードの種類やご自宅のアンテナ環境などとお伺いして、ご自宅で可能な対策をご説明いたします。もしお電話で問題が解決しないときは、ご用命いただければ、弊社の職人が最短即日でご自宅へ出向き、現場調査で原因を特定いたします。
当あさひアンテナでは、どのようなご相談であっても、出張費、見積もり費、キャンセル費はすべて無料で対応させていただきます。またトラブルの原因を特定した後は、弊社の職人からお客様に、修理に必要な工事のご説明と見積もり価格を提示いたします。その内容にお客様が納得され、正式にご契約なされた時点ではじめて工事にかからせていただきます。それまでは決して無断で工事を進めることはなく、料金も一切発生いたしません。
さらにアンテナ工事後の保証など、アフターフォローの体制も万全のものを用意してございます。テレビ映りに不具合が発生して、エラーコードからアンテナトラブルだと思われる場合は、まずは当あさひアンテナのフリーダイヤル(0120-540-527)へとお気軽にお電話ください。
野田市 についてもっと知りたい
これからお引越しを考えている方
野田市 てどんなところ??
千葉県野田市は、県の北西の端に位置し、県内でも最西端にあたる市です。また県内では東葛地域に位置しています。市域は北西から南東にかけ、やや斜めに細長く、角のような型をしており、千葉県の形を元にしたマスコットキャラクター、チーバ君の鼻にあたる地域です。
市域は関東平野のほぼ中央に位置し、市の中心部は下総台地になります。市の東側の境界はほぼ利根川沿いで、茨城県に面していますが、南よりの木野崎地区は利根川の対岸部も一部含まれます。また西側の境界は江戸川沿いになり、埼玉県と茨城県に面しています。
市域の南側には、一部が境界に沿う形で、利根川と江戸川をつなぐ利根運河が流れており、市域の三方を河川にほぼ囲まれていることになります。他にも市内には座生川や関宿用水路などが流れており、また江戸川の流頭は逆川とも呼ばれます。
現在の野田市域の歴史として、江戸時代以前の資料は少なくなっています。ただ市域内に小規模な遺跡が点在しており、古くから開かれていた土地であるとわかります。古代の遺跡には野田貝塚、山崎貝塚などがあり、市域内には中規模の集落が存在したと考えられています。
中世には後三年の役で活躍した鎌倉景正の居城や、古河公方の重臣、野田右馬助の居城があったと伝えられていますが、その遺構は発見されていません。市内の尾崎には、鎌倉幕府の有力な御家人だった野本家定の城館と伝えられる比較的、大きな城館跡が残っています。また木野崎には国人、一色数馬の城館跡があり、豊臣秀吉が派遣した軍勢との戦いがあったと伝えられています。徳川家康が江戸に入府した後は、その家臣である岡部長盛の居城が山崎に築かれ、のちに堤台に移ったと伝えられます。
江戸時代に入ると、野田は一大消費地となった江戸に近く、また江戸川などによる水運の利に恵まれたことから、醤油製造が発展し、醤油の一大ブラランド地として栄えます。また陸上交通として日光東往還が通され、山崎宿、中里宿などの宿場も誕生します。
近代に入り、1950年(昭和25年)に野田町、旭村、梅郷村、七福村が合併し、野田市が誕生します。1957年(昭和32年)には川間村と福田村を合併し、2003年(平成15年)に、何度か境界変更を行ってきた関宿町を編入合併し、現在の市域に至ります。
野田という地名の由来は諸説ありますが、有力な説は、前述の室町時代の武将、野田右馬助が館を構えたことに由来するというものです。ただ一方で、野田右馬助自身が、地名をとって野田を名乗ったとの説もあり、定かではありません。なお野田右馬助とは、足利氏(古河公方)の家臣で、関東野田氏当主であった野田持忠のことだと考えられています。
現在の野田市は、主に東京都心のベッドタウンとして開発が進んでいます。市内の産業では、農業においては、日本全国でも有数のエダマメ(枝豆)の生産地になっています。また麦の作付面積が千葉県内でも最大の地域です。
工業では、市内に醤油業界最大手のキッコーマン株式会社と、白醤油部門では業界最大手となるキノエネ醤油株式会社があり、醤油生産地としては国内でおよそ3分の1のシェアを占める日本最大の地域になります。
キッコーマンは大正時代、野田市域に存在した醸造家8家が合同で創立した野田醤油会社が前身であり、その際に誕生した醤油の統一商標「亀甲萬」は、香取神社の亀甲と「亀は萬年」をかけたとされています。野田市駅の周辺はキッコーマンの創業地であり、その本社がある企業城下町でもあり、この地より毎日、全国に醤油が出荷されています。
また市内には野田工業団地、南部工業団地、北部工業団地、中里工業団地など多くの工業団地があり、特に南部工業団地内にある東京電力新野田変電所は、総出力794万kVAの、世界最大級の変電所として1999年(平成11年)10月にはギネスブックに認定されています。
江戸時代から栄えたため史跡や文化も豊富で、川沿いの自然や、富士が見える位置にも恵まれた野田市は、観光地としての側面もあります。現在も残る醤油などの豪商の屋敷、醤油蔵などは近代化産業遺産「野田市の醸造関連遺産」になっています。また野田の醤油生産と髙梨氏庭園などは「ちば遺産100選(利根川・江戸川と水運のゾーン)」に選定されています。国土交通省関東地方整備局が募集した「関東の富士見百景」には、市内の4ヶ所が「野田市からの富士」1景として選ばれています。また古くから伝わる童謡「かごめかごめ」は野田市にあたる地が発祥といわれており、清水公園駅の前には「かごめ唄の碑」が建立されています。
野田市内でも最北端にあたる関宿町は、江戸時代は関宿藩の城下町でした。関宿城跡は現在、千葉県立関宿城博物館になっており、かつての城の御三階櫓を模した模擬櫓が存在します。また江戸時代、雄弁上人によって創始された猿島坂東三十三観音霊場のうち第一番、第二番札所が町内に存在します。
寺社仏閣には、サクラ(桜)の名所でもある櫻木神社。松尾芭蕉の句碑がある愛宕神社。海福寺。浄土真宗の関東七大寺である常敬寺。法道寺。無量寿院などがあります。その他の史跡には、日光東往還の山崎宿。縄文時代中期から晩期の馬蹄型貝塚で、国の史跡に指定されている山崎貝塚。国の重要文化財である旧花野井家住宅などがあります。
市の観光スポットには、ショッピングセンター内にある「もりのゆうえんち」。「日本さくら名所100選」にも選ばれている花見の名所、清水公園。こうのとり飼育施設である「こうのとりの里」などがあります。
また市内の博物館には、第42代内閣総理大臣を務めた海軍軍人、鈴木貫太郎を記念する鈴木貫太郎記念館。関東の富士見百景のひとつでもある千葉県立関宿城博物館。主に市の歴史を展示する野田市郷土博物館。キッコーマンの創業者一族が収集した美術品を展示する茂木本家美術館。キッコーマン工場内にあり、醤油のすべてを解説するキッコーマンもの知りしょうゆ館。市出身の将棋名人を記念した関根名人記念館。経済産業省認定近代化産業遺産である上花輪歴史館などがあります。
市内にはかつて温泉があり、源泉が枯渇した後も、野天風呂湯の郷、のだ温泉ほのか、七光台温泉などの温泉施設が運営されています。
市内の祭礼には、伝統的なものでは、水神信仰に基づく雨乞いの神事といわれ、雨蛙(アマガエル)の面をつけた演者がさまざまな曲芸を演じる野田のつく舞。清水村八幡神社の祭礼で、疫病の厄除けに、棒術と居合術、獅子舞が奉納されるバッパカ獅子舞。「おお腹くちの泥んこ祭り」こと、三ツ堀のどろ祭などがあります。
他にも市民のイベントには、清水公園で花の季節に行われるさくらまつり、つつじまつり。関宿町で行われる関宿城まつり、8月の関宿まつり。市内各地域のお神輿が集まって本町通を中心に練り歩く、みこしパレード。笹飾りだけでなく多彩なイベントが行われる野田夏まつり躍り七夕。秋の野田市産業祭、野田市文化祭。市内各地の伝統芸能が集まる民俗芸能のつどいなどがあります。
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野田市 の場所
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千葉県野田市は、県北西部の先端にあたり、東葛地域に属する市です。市域は南北に長く、チーバくんでいえば長く伸びた鼻の先にあたる市です。市域の南側、東よりを柏市に、西寄りを流山市に接しています。市域の東側はほぼ利根川に接しており(一部、利根川の東岸が含まれます)、ほとんどが川を隔てて北側より茨城県の猿島郡境町、坂東市、常総市、守谷市に面しています。また西側は江戸川に接しており、北側より茨城県の猿島郡五霞町と、埼玉県の幸手市、北葛飾郡杉戸町、春日部市、北葛飾郡松伏町、吉川市に面しています。
野田市は江戸時代より、江戸川や利根川の水運を生かした醤油の生産地として栄えていました。現在でもキッコーマン株式会社をはじめとする醤油醸造や調味料の会社が多く存在します。また市域は全体的に平坦で、東京都心や周辺の主要都市へのアクセスも便利なことからベッドタウンとしても発展し、川沿いの水利や富士山が望める光景、豊かな自然にも恵まれた、環境のいい地域といえます。
野田市の市章は、ひらがなで市の頭文字「の」をデザイン化したもので、線を丸く曲げたような円の下部が平面になり、下にある切り欠けの左側に、上に向けて尖った線が出ているものです。この図案は親睦、融和、団結を意味しており、一線を基盤にして、矢の如く目的に向かって邁進する姿を表現したものです。この市章は野田市が成立した1950年に制定されたものです。また野田市旗は市章を中心に紫地に白く染め抜いたデザインで、1987年(昭和62年)に制定されました。
野田市の木はケヤキ(欅)、市の花はツツジ(躑躅)、市の鳥はヒバリ(雲雀)です。ケヤキは1970年(昭和45年)の第28回国民体育大会(若潮国体)の正式決定を記念し、郷土緑化運動の一環として、ツツジとヒバリは1985年(昭和60年)の市制施行35周年を記念し、市民からの公募によって選定されました。
ケヤキはニレ科ケヤキ属の落葉高木で、ツキ(槻)の別名もあります。高さ20メートルから25メートルの、ホウキを逆さにしたような雄大で美しい巨木となり、中には40メートルを超える個体もあります。4月から5月にかけて淡い黄緑の小さな花が咲き、秋の紅葉もまた美しく、街路樹や庭木などによく見られる他、樹齢の長い巨木が国や地方自治体の天然記念物になっていることもあります。また昔は、一本のケヤキがさまざまな活用法で一家の生計を救うこともあった、貴重な木でもあります。力強く根を張り天高く伸びるケヤキは、野田市が将来に向かうイメージと、子供たちの健やかな姿を願う市民の心を象徴しています。
ツツジはツツジ科ツツジ属の植物の総称です。ツツジは低木から高木で、4月から5月にかけてツツジ色(アザレア)という赤紫が主ながら、園芸品種が豊富なことから、品種によってさまざまな色をもつ漏斗型の美しい花を咲かせます。春の季語にもなっており繁殖も簡単なため、花壇や盆栽でも親しまれています。ツツジ科ドウダンツツジ属のドウダンツツジ(灯台躑躅)のようにツツジ属ではないツツジ科の植物にも、ツツジと呼ばれるものがあります。また同じツツジ科ツツジ属で山中に自生し、ツツジに比べて一ヶ月ほど遅い5月から6月、すなわち旧暦の5月(皐月)に開花することから名づけられたサツキ(皐月)もツツジに含まれることがあります。ツツジは野田市の環境が繁殖に適している生命力の強い植物で、美しく家庭的な花として市民に親しまれています。
ヒバリはスズメ目ヒバリ科ヒバリ属に分類され、古来より春を告げる鳥として、洋の東西を問わず親しまれています。日本では告天子(こうてんし、こくてんし、ひばり)や叫天子(きょうてんし)。また天雀(てんじゃく)、姫雛鳥(ひめひなどり)、噪天(そうてん)、日晴鳥(ひばり)など、多くの別名があります。ヒバリはその独特の囀り声で知られ、和名は晴れた日(日晴り)に囀ることや、囀りの音に由来するなどの説があります。ヒバリは俳句では春の季語にもなっており、春の繁殖期が始まるとオスが囀りながら空高く飛んでゆく、縄張り宣言の行動「揚げ雲雀」は古くから人々に親しまれています。
かつてはヒバリを飼い慣らして「揚げ雲雀」の囀りと高さを競わせる遊びもありましたが、現代では「鳥獣の保護及び狩猟の適正化に関する法律」によって、ペットとしてのヒバリの飼育は認められていません。空高く響く明るく軽やかなヒバリの囀り声や、翼を広げて天空を舞う様は溌剌としており、野田市の発展を象徴しているともいえます。
野田市の関連キャラクターは非常に豊富です。まず関宿地区のPRマスコットキャラクターである「やど助」がいます。
やど助は、野田市の名産であるエダマメの刀と、同地区出身の将棋の名人、関根金次郎にちなんだ将棋の駒の盾を持った侍のキャラクターです。頭にはハート型のちょん髷と、花牡丹の飾りがついています。
やど助は関宿城のサクラから生まれた、侍の姿をした恋の妖精です。関宿に江戸時代の城下町の賑わいを取り戻し、関宿城の周りをサクラの花で満開にして、多くの人々に楽しんでもらうこと。さらに関宿の住民が楽しく安心して暮らせる日々を目指して、日夜、関宿城から町を見守っています。趣味は花見で、特技は将棋。好きなものは枝豆と牡丹、桜の木などですが、照れ屋で人前ではしゃべれません。やど助のキャッチコピーは「恋を助太刀 関宿の侍」というものです。
やど助はもともと関宿地区の歴史講座紙人形劇に登場するキャラクターで、他に「城太郎」「小町」などのキャラクターがいました。名前の由来は、関宿の「やど」をが元であり、ハート型のちょん髷はご当地ソング「利根の恋歌」の歌詞にちなんでいます。好きな人を想いながらこのちょん髷に触れると、恋が叶うとされています。
やど助は関宿のイベントやグッズなどの他、twitter(https://twitter.com/yadosukekun)でも活躍しています。やど助のアカウント内では、当人の他、野田市の「偉い人」や「マネージャーさん」「ボディーガードさん」「一番偉い人」「O画伯」など、さまざまな関係者も登場しています。
野田市水道部のキャラクターは「すいっぴー」「みずかちゃん」「ロボカン」です。これは「未来構想 水道ビジョン野田(経営戦略)」の基本目標「安全・持続・強靭」にちなんで、安全を表すクマ(熊)のぬいぐるみをイメージし、クマと水滴をあわせたような姿のすいっぴー。持続を表し、市の花であるツツジをデザインした衣装で、自然の恵みである水を神秘的な力で守る水の妖精をイメージしたみずかちゃん。強靭を表し、地震や災害に強い耐震水道管「GX管」をまとった強さと耐久性を兼ね備えるロボットをイメージしたロボカンの三体がデザインされたもので、着ぐるみも製作され、市のイベントなどで活躍しています。
市内のお祭り「野田みこしパレード」のマスコットキャラクターは「やんわりまえだくん」です。
頭がお神輿の形で、両手を掲げた浴衣姿男の子のキャラクターである、やんわりまえだくんは、お神輿を先導する人が、担ぎ手に進み方を示す姿から来ており、名前もその際の掛け声「やんわり前だ」に由来します。
やはり市のイベントである「野田夏まつり躍り七夕」のイメージキャラクターは「野田の『のんちゃん』」です。
のんちゃんは、エダマメ、コウノトリ、醤油の三色の流れ星に乗った、浴衣姿でおかっぱ頭に「の」と☆型の飾りがついた女の子です。
のんちゃんは2016年(平成28年)に、第65回の野田夏祭り開催を記念してイメージキャラクターを公募し、応募作の中から市内在住の松田律乃さんによるキャラクターが採用されたものです。2017年(平成29年)には、新しい祭りの音頭である「野田の『のんちゃん』音頭」も作成され、恒例の夏祭りをますます盛り上げています。
他にも、キッコーマン株式会社のキャラクターですが、その発祥の地であり醤油の街である野田市のイベントにもよく登場する、卓上用の醤油瓶に手足と女の子の顔がつき、キャップの部分が帽子になっている「なあにちゃん」。市のごみ減量、リサイクル推進のPRキャラクターで、衣装の胸に市章をつけた、男の子と女の子のヒバリのキャラクター「ピークルくん」と「パークルちゃん」。野田市郷土博物館のキャラクターで、野田貝塚から出土した縄文時代後期から晩期のミミズク形土偶。およそ3000歳の女性だという「ミミー」など、野田市では各地域や施設ごとに、さまざまなキャラクターが活躍しています。
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野田市 の鉄道路線
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東武鉄道
東武野田線(アーバンパークライン)
・川間駅
・七光台駅
・清水公園駅
・愛宕駅
・野田市駅
・梅郷駅
野田市のバス
路線バス
・茨城急行自動車
・朝日自動車
・東武バスイースト
・野田市コミュニティバス(まめバス)
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野田市 の主要道路
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一般国道
・国道16号(春日部野田バイパス)
・国道16号(千葉柏道路)
都道府県道
主要地方道
・茨城県道・千葉県道3号つくば野田線
・千葉県道5号松戸野田線
・千葉県道7号我孫子関宿線
・茨城県道・千葉県道17号結城野田線
・埼玉県道・千葉県道19号越谷野田線
・茨城県道・千葉県道・埼玉県道26号境杉戸線
・埼玉県道・千葉県道42号松伏春日部関宿線
・千葉県道・茨城県道46号野田牛久線
・千葉県道・埼玉県道80号野田岩槻線
一般県道
・茨城県道・千葉県道142号岩井野田線
・茨城県道・千葉県道162号岩井関宿野田線(下総利根大橋有料道路)
・千葉県道・埼玉県道183号次木杉戸線
・千葉県道194号川間停車場線
・埼玉県道・千葉県道326号川藤野田線
自転車道
・千葉県道401号松戸野田関宿自転車道線
橋梁
・境大橋(利根川、結城野田線)
・下総利根大橋(利根川、岩井関宿野田線)
・芽吹大橋(利根川、つくば野田線)
・野田橋(江戸川、越谷野田線)
・宝珠花橋(江戸川、次木杉戸線)
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野田市 出身の芸能人
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千葉県野田市出身の著名人には、俳優に、必殺シリーズ第6作「必殺仕置屋稼業」21話「一筆啓上逆夢が見えた」に登場し、沖雅也さん演じる竹串使いの仕置屋、市松との名シーンを観せた殺し屋、勘助をはじめ「木枯し紋次郎」「水戸黄門」など数々の時代劇、ドラマで名悪役として知られた内田勝正さん。映画「検察側の罪人」など多くの作品に出演する石田佳央さん。昭和初期に多くの作品に出演した映画女優で、俳優の林与一さんの実母でもある北見禮子さん。テレビアニメ「イナズマイレブン」シリーズの土門飛鳥など、多くの声を演じる声優の金野潤さん。映画「クローズZERO」などに出演した遠藤要さん。またアイドルグループ「AKB48」元メンバーで、東京都足立区出身の野田市育ち、野田親善大使も務める大島麻衣さん。テレビドラマ「大好き!五つ子Go!!」シリーズなどに出演した元女優、モデルの永岡真実さん。テレビドラマ「時空警察ヴェッカーD-02」などに出演した元グラビアアイドルの小野愛さん。アイドル、タレントとして活動し、麻雀好きでも知られる折原みかさん。映画「問題のない私たち」などに出演した女優、タレントの佐藤弥生さん。80年代に映画「白昼夢」などに出演して一般にも知られたアダルト女優の愛染恭子さん。中京広域圏を対象とする地方局、CBCテレビのアナウンサーで、前述の永岡真美さんの実兄でもある永岡歩さん。元新潟テレビ21(UX)のアナウンサーで、現在はフリーの宮里亜衣さん。株式会社セント・フォース所属のフリーアナウンサー、津島亜由子さん。73歳で九段昇段の最高齢記録をもつ囲碁棋士の中村勇太郎さんなどがいます。
音楽関係の野田市出身者には、「恋の奴隷」「恋泥棒」などのヒット曲で知られる元歌手の奥村チヨさん。ヒップホップMCでイラストも得意とするDABOさん。同人レーベル出身でゲームなどの声優も務める歌手のnaoさん。「恋する季節」「未来へ」などの曲で知られるミュージシャンのナオト・インティライミさん。音楽バンド「神聖かまってちゃん」のドラムス担当や、アイドルグループ「バンドじゃないもん!」メンバーを務める、みさこさん。音楽バンド「Something ELse」の元メンバーでミュージシャンの伊藤大介さん。ヒップホップグループ「ラッパ我リヤ」のメンバーでラッパーの山田マンさん。童謡「かごめかごめ」「お祭り」など多くの童謡を作曲、採譜した作曲家で、若くして亡くなった山中直治さん。音楽集団「上々颱風」メンバーでドラムスを担当した渡野辺マントさん。同グループでキーボード、ボーカルを担当した猪野陽子さん。ジャズ・サックス奏者の片山広明さんなどがいます。
芸人では、落語家に、滑稽噺から人情噺まで広範な古典落語を演じつつ、現代的な要素を取り入れる創意工夫を織り込んだ高座が特徴の人気落語家、春風亭一之輔師匠。軽く飄々とした芸風で人気を博した7代目春風亭小柳枝師匠。快活で豪放磊落な芸風の五代目鈴々舎馬風師匠。落語芸術協会所属で、6代目三遊亭円楽師匠の代理としてテレビ番組「笑点」にも出演した春風亭昇也さん。漢字検定一級に合格しているお笑い芸人のきくりんさん。主に漫才を行うお笑いコンビ「ワンワンニャンニャン」の菊地優志さん、福井修一さん。俳優でお笑い芸人でもあり、「冷蔵庫マン」などの持ちキャラがある飯塚俊太郎さんなどが野田市の出身です。
文化人、芸術家などでは、漫画家に、70年代に人気を博した「サーキットの狼」などの作品を描き、現在では小説も執筆する池沢さとし(現・池沢早人師)さん。熊本県水俣市生まれの野田市育ちで、「ストップ!!ひばりくん!」「すすめ!!パイレーツ」などの漫画作品と遅筆で知られる江口寿史さん。実写映画化もされた「土竜の唄」や「リーマンギャンブラーマウス」などの漫画作品で知られる高橋のぼるさん。「秘宝の島コットウ」「UNDEAD」などの漫画作品がある寺嶋将司さん。出生は山形県米沢市で、「アタゴオル」シリーズなどで知られるますむらひろしさん。パソコンや家庭用ゲーム機で販売されたゲームソフト「ボコスカウォーズ」を開発したゲームクリエイターで、現代美術家、仮面ダンサー、漫画家などの活動も行っているラショウ(Rasho)さん。出生は沖縄県宮古島で、大正から昭和にかけて漫画家として活動する一方、日本初のアニメーション映画を製作し、日本のアニメーション創始者の一人といわれる下川凹天さん。「エロスと涅槃」などの著作がある小説家で医師でもあった宗谷真爾さん。アニメ、ゲーム関係の雑誌、コラム執筆を担当する編集者でノンフィクション作家、俳人でもある上崎洋一(日野百草)さん。映画「海月姫」「ガールズ・ステップ」などの監督を務めた映画監督、テレビ演出家の川村泰祐さん。CMやミュージックビデオ、映画などの撮影監督を務める映像作家の小林基己さん。歌集に「夏空の櫂」などがある歌人の米川千嘉子さん。生誕は埼玉県吉川市、野田市育ちの俳人で、句集に「私の行方」などがある俳人、俳論家の秋尾敏さん。埼玉県吉川市生まれ、野田市育ちの俳人で、野田市立中央小学校校長も務めた河合凱夫さん。出身は山武郡大網白里町ですが、野田市立第二中学校校長を務め、内閣総理大臣賞、国際文化交流功労特別賞などを受賞した水墨画の世界的巨匠でもある栗原克実さん。内閣総理大臣賞、旭日小綬章、日本芸術院賞・恩賜賞などを受賞した日本画家の後藤純男さん。多くの優秀な弟子も輩出している洋画家の桜田精一さん。その娘でやはり洋画家の桜田久美さん。出身は福島県伊達郡川俣町で、小林一茶研究をライフワークにした俳人の佐藤雀仙人さん。明治から昭和にかけての石工彫刻家で、水墨画、ヴァイオリンなども得意としたといわれる杉崎弥八さんなどが野田市の出身者です。
実業家、学者などの野田市出身者には、日本テキサス・インスツルメンツ社長および本社の副社長を務めた実業家の石川明さん。寿司店「すしざんまい」で知られる株式会社喜代村代表取締役社長の木村清さん。元野田市長、衆議院議員の新村勝雄さん。野田クラウン工業株式会社を創業し、瓶やペットボトルのキャップの研究開発に務めた実業家の杉崎弥重郎さん。野田醤油(キッコーマン)社長などを務め、野田市名誉市民でもある実業家の中野栄三郎さん。熊本県津奈木町生まれで、野田市内で耳鼻咽喉科を開業し、いびきの研究、治療で世界的先駆者となり「第1回世界いびき学会」では名誉会長に就任した医師の池松武之亮さん。出身は東京都の博物館学者、法政大学キャリアデザイン学部教授の金山喜昭教授。生まれは宮城県仙台市の歴史学者で、野田市興風図書館長も務めた佐藤真さん。東京理科大学名誉教授で農学博士の杉崎善治郎教授などがいます。
スポーツ関係の野田市出身者には、サッカー界に、関東サッカーリーグ1部、東京23FCに所属し、ゴールキーパーを務める太洋一選手。栃木シティフットボールクラブに所属する大島嵩弘選手。ルーマニアのCSパンドゥリイに所属する高橋一輝選手。SFC nomu matsudoに所属する疋田大和選手。またXリーグIBMビッグブルーに所属していた元アメリカンフットボール選手の礒谷幸始さん。友綱部屋所属の現役大相撲力士で、豪快な塩まきでも知られる旭日松広太関。昭和の元大相撲力士である千葉昇隆利さん。読売ジャイアンツに所属した元プロ野球選手の森和樹さん。男子走高跳日本記録保持者である陸上競技選手の戸邉直人さん。キック技を得意とした元プロレスラーの吉川祐太さん。元プロボクサーで現在はアマチュアボクサーとして復帰、海外で人命救助を行った経験もある佐藤幸治選手。元レーシングドライバーの山路慎一さん。元競輪選手で、引退後は選手会の役員など絵を務めた坂巻正巳さん。同じく元競輪選手で、引退後はラーメン店を営んでいる十文字貴信さん。武神館を創設した武術家で、戸隠流忍術34代目継承者でもあり、映画「007は二度死ぬ」「直撃!地獄拳」など、多くの作品での忍術指導や出演もしている初見良昭師範。2016年全日本ジュニア新体操選手権では個人総合優勝を果たした新体操選手の大岩千未来選手などがいます。
歴史上の人物では、、戦国時代の第4代古河公方で、室町幕府が正式に認め、影響力を持った古河公方では最後の存在となる足利晴氏。徳川家康に仕えた戦国武将、江戸幕府初期の大名の岡部長盛。現在の野田市にあたる下総国関宿藩二代目藩主で老中などを務めた久世重之など、歴代の久世氏。通称「野本将監」と呼ばれ、市内に広大な館を築いたとされる鎌倉幕府の有力な武将、御家人ですが、実像は不明なことも多い野本家定。戦国武将、江戸時代初期の大名であり、徳川家康の異父弟にあたる松平康元。元日本海軍軍人、内閣総理大臣で、ポツダム宣言を受諾して第二次世界大戦を終戦に導いた人物である鈴木貫太郎。鈴木貫太郎の弟で元日本陸軍軍人、最終階級は陸軍大将の鈴木孝雄。日清、日露戦争に従軍し、多くの人命を救った日本陸軍軍医の山田辰五郎。明治から昭和初期の将棋棋士で十三世名人であり、戯曲「王将」で知られる坂田三吉のライバルでもあった関根金次郎などが現在の野田市の出身です。
また野田市ゆかりの人物では、映画「戸田家の兄妹」「東京物語」などで、現在でも世界的巨匠として知られる映画監督、小津安二郎監督が、戦後、疎開先として野田市に在住していた時期があります。
野田市 町域別対応エリア
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ア行
- 泉1(イズミ1)、泉2(イズミ2)、泉3(イズミ3)、今上(イマガミ)、岩名(イワナ)、岩名1(イワナ1)、岩名2(イワナ2)、大殿井(オオドノイ)、岡田(オカダ)、岡田新田(オカダシンデン)、尾崎(オサキ)、尾崎台(オサキダイ)、親野井(オヤノイ)、小山(オヤマ)
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カ行
- 柏寺(カシワデラ)、春日町(カスガチョウ)、金杉(カナスギ)、上三ケ尾(カミサンガオ)、上花輪(カミハナワ)、上花輪新町(カミハナワシンマチ)、木野崎(キノサキ)、木間ケ瀬(キマガセ)、木間ケ瀬新田(キマガセシンデン)、桐ケ作(キリガサク)、光葉町1(コウヨウチョウ1)、光葉町2(コウヨウチョウ2)、光葉町3(コウヨウチョウ3)、古布内(コブウチ)、五木(ゴキ)、五木新田(ゴキシンデン)、五木新町(ゴキシンマチ)
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サ行
- 桜木(サクラギ)、桜台(サクラダイ)、桜の里1(サクラノサト1)、桜の里2(サクラノサト2)、桜の里3(サクラノサト3)、座生(ザオウ)、清水(シミズ)、清水公園東1(シミズコウエンヒガシ1)、清水公園東2(シミズコウエンヒガシ2)、下三ケ尾(シモサンガオ)、関宿内町(セキヤドウチマチ)、関宿江戸町(セキヤドエドマチ)、関宿江戸町飛地(セキヤドエドマチトビチ)、関宿三軒家(セキヤドサンゲンヤ)、関宿台町(セキヤドダイマチ)、関宿町(セキヤドマチ)、関宿元町(セキヤドモトマチ)、関宿元町飛地(セキヤドモトマチトビチ)、瀬戸(セト)、瀬戸上灰毛(セトカミハイゲ)
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タ行
- 堤台(ツツミダイ)、堤根(ツツミネ)、つつみ野1(ツツミノ1)、つつみ野2(ツツミノ2)、鶴奉(ツルホウ)
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ナ行
- 中里(ナカザト)、中戸(ナカト)、中戸谷津(ナカトヤツ)、中根(ナカネ)、中野台(ナカノダイ)、中野台鹿島町(ナカノダイカシマチョウ)、長谷(ナガヤ)、七光台(ナナコウダイ)、次木(ナミキ)、なみき1(ナミキ1)、なみき2(ナミキ2)、なみき3(ナミキ3)、なみき4(ナミキ4)、西高野(ニシゴウヤ)、西三ケ尾(ニシサンガオ)、新田戸(ニッタド)、野田(ノダ)
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ハ行
- 花井(ハナイ)、花井1(ハナイ1)、はやま(ハヤマ)、蕃昌(バンショウ)、東金野井(ヒガシカナノイ)、東高野(ヒガシゴウヤ)、東宝珠花(ヒガシホウシュバナ)、日の出町(ヒノデチョウ)、平井(ヒライ)、二ツ塚(フタツカ)、船形(フナカタ)、平成(ヘイセイ)
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マ行
- 丸井(マルイ)、みずき1(ミズキ1)、みずき2(ミズキ2)、みずき3(ミズキ3)、みずき4(ミズキ4)、三ツ堀(ミツボリ)、宮崎(ミヤザキ)、莚打(ムシロウチ)、目吹(メフキ)
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ヤ行
- 谷津(ヤツ)、柳沢(ヤナギサワ)、山崎(ヤマザキ)、山崎梅の台(ヤマザキウメノダイ)、山崎貝塚町(ヤマザキカイヅカチョウ)、山崎新町(ヤマザキシンマチ)、谷吉(ヤヨシ)、横内(ヨコウチ)、吉春(ヨシハル)