佐用町 でテレビアンテナ工事をお考えの方へ
目次
佐用町 でアンテナ工事でお困りの方はお任せ下さい。
兵庫県佐用郡佐用町(さようぐんさようちょう)は、県の西端部でも、やや南寄りに位置し、岡山県に接している町です。町の総面積は307.44平方キロメートルで、兵庫県内の41市町では10番目に広い自治体になります。また兵庫県全体の面積、8,400.96平方キロメートルのうち、約3.7パーセントを占めています。2022年(令和4年)3月末日時点での町の人口は15,701人。うち男性が7,531人、女性が8,170人になります。また町内には6,797世帯が暮らしています。
当あさひアンテナでは、佐用郡佐用町全域での地デジアンテナ設置をはじめ、BS/CSアンテナ設置や、アンテナの修理、交換など、あらゆるテレビアンテナ工事に対応しております。弊社ではアンテナ施工の高品質、低価格はもちろん、2022年現在も続く新型コロナウイルス感染対策として、現場に出向く職人をはじめ全従業員に、高性能マスクや除菌スプレー、手袋、使い捨てスリッパ、目、鼻、のどなどを洗浄する専用の医薬品などを支給し、各従業員が頻繁かつ適切なタイミングで、作業者や作業着などの除菌、またうがい、手洗いといった身体各部の洗浄を実践しております。
また弊社の事務所や機材倉庫では、除菌装置の設置やこまめな除菌スプレーの散布を実施しております。さらに全従業員には、出社前、昼、夜と日に3度の検温を実施し、従業員全員でデータを共有。他にも日々、現場作業員の1日の行動を分析し、感染リスクはないか確認するなどの体調管理態勢を整えており、発熱などの体調の異変や、また感染リスクが生じた場合は、該当する従業員に安全が確認できるまで休むよう指導しております。このように弊社ではお客様の安全のため、可能な限り万全の感染対策を実践しております。
実際のアンテナ取り付けに関しては、弊社では公式サイトのメールフォーム、フリーダイヤル、LINEによる各種アンテナ工事のご相談をはじめ、弊社の職人が現場に出向いての地デジ電波調査、アンテナ工事のお見積もりまで、すべて無料で実施いたします。
また弊社では常に、アンテナ工事費用の業界最安値に挑み続けております。そのため出張しての電波調査やお見積りの結果にご満足いただけず、アンテナ工事の本契約にいたらなかった場合も、出張料、キャンセル料などの諸費用は1円たりとも頂戴しておりません。
兵庫県佐用郡佐用町において、CS/BS、地デジアンテナ設置から、アンテナ修理、交換まで各種アンテナ工事をお求めのお客様には、当あさひアンテナのフリーダイヤル(0120-540-527)かメールフォーム(https//asahi-antenna.jp/contact)から、または弊社LINEアカウント(https://line.me/R/ti/p/%40396mlzgh)をご登録いただいてのご相談、お問い合わせなど、どうかお気軽にご利用ください。
佐用町 の方でアンテナ工事に関するよくある質問
- Q
佐用郡佐用町での地デジアンテナ設置に適した機種はありますか?
- A
現在、一般ご家庭の地デジアンテナ設置に使用される地デジアンテナ機種は、魚の骨に似た形で、主に屋根の上に設置される八木式アンテナと、平面薄型で主に外壁に設置されるデザインアンテナです。
八木式アンテナは設計完成度が高く、アナログテレビ放送の時代から使い続けられている歴史のある機種で、本体の素材や強度などは進化を続けていますが、基本設計は変わらないまま、今日でも高い地デジ受信性能を誇っています。一方、主に屋根の上へのアンテナ取り付けになるため、風雨などに影響されやすく確実に老朽化が進む、またアンテナ修理やメンテナンスが専門業者でなければ難しいなどの弱点もございます。
デザインアンテナは2009年頃に普及した、新しいタイプの薄型軽量機種で、家屋の外観を損ねず風雨などの影響も受けにくい。修理やメンテナンスも簡単など、メリットの多さから人気が高い機種です。また現在のデザインアンテナは基本モデルが20素子相当で、本体の地デジ受信性能も八木式アンテナと互角です。
ただアンテナ設置位置の低さからやや受信感度が下がるケースもある他、本体価格やアンテナ取付け費用も、やや割高となります。
佐用郡佐用町は、県内でも西端部のやや南寄りで内陸部にあたり、岡山県に接している町です。町域の約8割を山林が占め、町域の中央部より南寄り、千種川と佐用川の流域に広がる、なだらかな丘陵地に、主な農地や集落が広がっています。
佐用郡佐用町での地デジ受信に関しては、町域の中央より南寄り、佐用駅を中心とした町内の主な市街地の一帯であれば、町内に位置する佐用中継局からのNHK神戸と広域民放、そして兵庫県の地方局であるサンテレビジョン(サンテレビ、SUN-TV)を受信可能です。
しかしほぼ山林部にあたるそれ以外の周辺エリアでは、地デジ電波の受信は難しくなっております。
佐用町内でも、地デジ受信可能なエリアであれば、基本的には八木式アンテナ、デザインアンテナのどちらを用いても、的確なアンテナ取り付けにより安定した地デジ受信が可能です。ただ町内の地デジ受信可能エリアでも、受信の限界に近いエリアや、山地の付近などで地形が複雑など、アンテナ設置現場の条件によっては、設置できるアンテナ機種や工法などに制限が生じることも考えられます。
当あさひアンテナでは、八木式アンテナ、デザインアンテナはじめ各種アンテナ工事について、すべて国産DXアンテナ社製の最新高性能モデルをご用意し、アンテナ本体価格がセットとなったアンテナ設置工事価格でご提供しております。
八木式アンテナでは軽量で耐風、耐水性が高い「UA20」本体価格込み地デジアンテナ取り付けを、基本価格「15,000円」からで施工いたします。デザインアンテナは20素子相当、業界最小クラスの厚さ4.9cm、大きさ9cm×22cmの超薄型「UAH201」本体価格込み地デジアンテナ取付けを、基本価格「20,000円」からで施工いたします。
またBS/CS110度アンテナでは、従来の2Kフルハイビジョンに加え、4K8Kのスーパーハイビジョンにも対応可能な最新機種「BC45AS」をご用意しており、本体価格込み基本アンテナ設置工事、基本価格「15,000円」からで施工いたします。
これら標準機種の他にも、高性能アンテナやアンテナブースターなど各種機器もご用意しておりますので、佐用町内でもあらゆる現場の地デジアンテナ設置工事に対応可能です。
弊社では公式サイトにて無料web見積もりを受け付けております。また「フリーダイヤル」「メールフォーム」「LINE」による各種アンテナ工事のご相談やご質問。弊社の職人がご自宅に出張しての、高性能の電波調査器を用いた地デジ電波調査、具体的なアンテナ工事費のお見積もりまで、すべて無料で実施しております。お客様がそれらの結果にご満足いただけず、アンテナ工事の本契約に至らなかった場合も、出張料、キャンセル料その他諸費用は1円たりとも頂戴いたしません。
豊富な経験と高い技術を誇る弊社のアンテナ職人は、佐用町での各種アンテナ設置においても、お客様のご要望を最優先に、各現場の地デジ電波状態や周辺環境、自然環境などを総合的に判断して、安定した受信性能はもちろん、経年劣化や故障のリスクも軽減する、お客様にとってもっともお得となる地デジアンテナ工事を、業界最安値に挑む低価格でご提案いたします。
兵庫県佐用郡佐用町にて地デジアンテナ設置はじめ各種アンテナ工事をお求めの際には、当あさひアンテナのフリーダイヤル(0120-540-527)かメールフォーム(https//asahi-antenna.jp/contact)。またはLINE(QRコード:https://line.me/R/ti/p/%40396mlzgh)まで、お気軽にお問い合わせください。
- Q
自宅にある各種アンテナ設置だけを頼めますか?
- A
当あさひアンテナでは、地デジ、BS/CSの各アンテナ機種の設置など、あらゆるアンテナ工事について、お客様のご要望を最優先に、柔軟に対応いたします。もちろんお客様が他店で購入された各種アンテナ取り付け工事もお引き受けいたします。
弊社ではまずお客様にご信頼いただけるよう、弊社サイトに各種アンテナ工事の基本費用、各オプション工事や機器の料金体系、またご提供する各種アンテナの機種、型番などをすべて明記することで、お見積り価格にもご納得いただけるよう努めております。
アンテナ取付けの現場でも、決してお客様に無断で機材や工事を追加することのない、お見積り通りの施工を実施いたします。
弊社では前述の通り、地デジアンテナの八木式アンテナ、デザインアンテナ、CS/BS110度アンテナなど、すべてのアンテナ設置工事で、日本の一流メーカー「DXアンテナ」社製の高性能モデルをご用意し、アンテナ本体価格が含まれたアンテナ設置工事費用でご案内しております。
町域の大半を山林が占める佐用郡佐用町では、地デジ受信に関しては、町域の中央から南部より、主な市街地が集まる一帯で、市内の佐用中継局からの地デジ電波を受信可能です。しかしそれ以外の山林部では、地デジ受信は難しくなっています。
そのため地デジ受信が可能なエリアでも、中継局からの距離や、現場の地形などによっては、地デジ電波の感度や制度などにさまざまな条件が生じてまいります。
弊社では地デジアンテナ取り付け工事にあたって、まず現場の環境や電波状態などを把握し、お客様のご要望にもっとも適したアンテナ設置に適切な機種、工法などを判断しております。
そのためお客様が購入された地デジアンテナでは、アンテナの機種や性能が現場の電波条件、また必要なアンテナ設置工法に不適切であるなどの理由で、ご希望の地デジ受信ができない場合も考えられます。また地デジ受信は可能であっても、そのアンテナに合わせた施工の工夫のために、アンテナ本体価格とアンテナ設置工事費用の総額が、弊社の本体価格込み地デジアンテナ設置価格より高額になることも十分にありえます。
前述のように、弊社ではアンテナ工事に関するフリーダイヤル、メールフォーム、LINEでのご相談から、現場での電波調査、お見積りまで、ご依頼があればすべて無料で実施しております。また地デジアンテナ設置の本契約に至らずとも、出張費、キャンセル費などの諸費用は一切いただいておりません。
佐用郡佐用町にて各種アンテナ設置をお考えのお客様は、アンテナをご購入されるより先に、当あさひアンテナのフリーダイヤル(0120-540-527)、メールフォーム(https//asahi-antenna.jp/contact)、LINE(QRコード:https://line.me/R/ti/p/%40396mlzgh)まで、ご希望のアンテナ機種やアンテナ工事費用、その他ご要望など、どのようなことでもご相談いただければ幸いです。
- Q
神戸東佐用郡佐用町でのアンテナトラブルにはすぐ対応できますか?
- A
当あさひアンテナでは、弊社、他業者、どちらのアンテナ取り付け現場であっても、弊社フリーダイヤル(0120-540-527)などにトラブルのご相談をお寄せいただければ、最短即日、夜間工事も可能で、修理のご対応をいたします。
特に弊社のアンテナ取付け現場であれば、施工日より10年間の業界最長級アフターフォローをご用意しております。保障期間中のアンテナトラブルでは、弊社にご一報いただければ、職人が現場に急行し、補償範囲の問題であれば完全無料で復旧いたします。
弊社ではアンテナ取り付け完了時に、施工を担当した職人の自筆署名入り保証書をお渡しいたします。また弊社でもあらゆるアンテナ設置から10年間は、全工事の資料をデータベースとして保管しております。
もしお客様が保証書を紛失され、保証対応が必要となった場合には、お電話でその旨と、お客様のお名前や住所などの情報、また当時のアンテナ工事に関するお話を、ご記憶の範囲でお聞かせください。弊社側で該当アンテナ工事を確認次第、保証書がある場合とまったく等しい保証をいたします。
また風雨や雷、雪、雹、隕石、外部からの落下物など、自然災害によるアンテナ損壊では、火災保険に付帯する「風災保証」で修理費が補償されるケースがございます。弊社ではアンテナ修理に加え、火災保険のご相談にも対応しております。
アンテナ修理をご依頼の際、保険のご相談もいただければ、工事に並行して、修理報告書や施工前後の画像など、必要な補償請求書類をすべて弊社でご用意し、保険会社との交渉も、弊社の専門スタッフによる万全のサポート体制をご用意いたします。
兵庫県佐用郡佐用町にて、突然のアンテナトラブルが起こった際は、復旧アンテナ工事から保険会社への対応までをお引き受けする、当あさひアンテナにすべてお任せください。
佐用町 にお住まいで画面にE201、E202、E203の文字が出ている方
テレビ画面に"E201、E202、E203"と表示され番組が視聴できない
アンテナトラブルの形式として、突然、ご自宅のテレビで地デジのテレビ番組がまったく映らなくなり、画面に「e201」「e202」「e203」などの記号が表示されることがございます。これはテレビやアンテナにトラブルが発生し、テレビが自己診断機能を働かせてエラーコードで原因を示している状態です。最近のテレビはコードと同時にトラブルの原因を文章で表示するものもありますが、電波受信に関するトラブルの場合は、主に前述の三種類のコードが表示されます。なおエラーコードの種類は、トラブルの原因によって他にも数々のものがございます。
「e201」は、テレビ本体に届く電波のレベルが低下しているというエラーコードです。これは主にBS、CS放送で、豪雨や大雪など、悪天候の場合に表示されることが多くなります。BS、CS放送は衛星放送のため、悪天候では、波の乱反射によって電波状態が悪化するという弱点がございます。BSでは悪天候の際に電波を切り替え、画質、音質を落とすことで受信できるようにした「降雨対応放送」に切り替わる場合もあります。悪天候による受信不良は、天候の回復と同時に自然と復旧いたします。地デジ放送では、このコードが表示されることは少ないのですが、周辺の電波状態の悪化やアンテナ機器のトラブルなどにより、ときに表示されることもございます。
「e202」は、テレビ本体ににまったく電波が届いていないというエラーコードです。原因は大風や地震などによるアンテナ角度のずれや倒れるといったトラブル。またアンテナ本体、アンテナ線、ブースター(増幅器)、分配器など、どこかに故障が発生したことも考えられます。また単純にテレビとアンテナ線との接触不良という場合もありますので、このコードが表示されたときは、まずテレビやレコーダーなどの機器と、アンテナ線との接続部分をチェックしてください。
「e203」は、該当する放送局が放送休止しているというエラーコードです。基本的に放送局が、メンテナンスやトラブルなどによって放送を休止していることから発生する不具合です。このコードが表示されたときは、その他のチャンネルを確認して、正しく映っているなら放送局側に原因があると判断できます。ただアンテナ関係の故障でも、このコードが表示される場合がありますのでご注意ください。
これらのエラーコードが表示されたときは、ブロックノイズの際と同じく、まずテレビのリセットや、テレビとアンテナ線の接続部を確認するなどしてください。それでも回復しない場合は、アンテナ関係にトラブルが起こっていると考えられます。
その場合も、やはり当あさひアンテナのフリーダイヤル(0120-540-527)にご相談ください。まずお電話口にて、コードの種類やご自宅のアンテナ環境などとお伺いして、ご自宅で可能な対策をご説明いたします。もしお電話で問題が解決しないときは、ご用命いただければ、弊社の職人が最短即日でご自宅へ出向き、現場調査で原因を特定いたします。
当あさひアンテナでは、どのようなご相談であっても、出張費、見積もり費、キャンセル費はすべて無料で対応させていただきます。またトラブルの原因を特定した後は、弊社の職人からお客様に、修理に必要な工事のご説明と見積もり価格を提示いたします。その内容にお客様が納得され、正式にご契約なされた時点ではじめて工事にかからせていただきます。それまでは決して無断で工事を進めることはなく、料金も一切発生いたしません。
さらにアンテナ工事後の保証など、アフターフォローの体制も万全のものを用意してございます。テレビ映りに不具合が発生して、エラーコードからアンテナトラブルだと思われる場合は、まずは当あさひアンテナのフリーダイヤル(0120-540-527)へとお気軽にお電話ください。
佐用町 についてもっと知りたい
これからお引越しを考えている方
佐用町 てどんなところ??
兵庫県佐用郡佐用町は兵庫県の南西部に位置しており、西側が岡山県との県境となっている町です。氷ノ山・後山・那岐山国定公園の一角に位置する中山間地域であり、町域のおよそ80パーセントが山林で占められています。町域の北部には日名倉山、郷鴫山、高鉢山、壇の平など600メートル以上の山々が連なっています。
町内には西播磨山地を水源とする千種川(ちぐさがわ)とその支流である佐用川(さよがわ)が北から南へと流れており、河川の流域に沿って形成された、なだらかな丘陵地に、農地や集落が広がっています。町内の気候は瀬戸内海式気候に属していますが、昼夜の寒暖差が大きい内陸性気候の特性も合わせ持っています。
今日の佐用町の町域は、奈良時代初期に編纂された「播磨国風土記」には「讃容の里(さよのさと)」と記されています。地名の由来は「播磨国風土記」に登場する神、佐用都比売賣(さよつひめ)、別名、玉津日女命(たまつひめのみこと)に由来するとされ、古代の文献では「さよ(佐用)」は「賛用」「狭依」「賛容」などとも表記されていました。「讃容」が「佐用」と書かれるようになったのは平安時代とされています。また「佐用」は元来「さよ」と読まれていましたが、1955年(昭和30年)の合併時、読みを「さよう」に変更しています。
現在の佐用町の町域は、出雲と大和を結ぶ東西の動脈である出雲街道と、吉備と因幡、但馬を結ぶ南北の因幡街道が交差する交通の要衝であったという歴史があり、古くから街道と共に宿場町として栄えてきました。鎌倉時代から戦国時代にかけては、播磨国の守護大名、赤松氏の領地であった他、その後、安土桃山時代、江戸時代にかけては、多くの藩や天領になるなどの変遷を経てきました。
明治維新以降、今日の佐用郡佐用町にいたるまでの歴史としては、1889年(明治22年)の町村制施行によって、佐用郡に佐用村(さよむら)が発足しました。1928年(昭和3年)には、佐用村が町制を施行して佐用町(さよちょう)となります。
その後、1955年に佐用町が同じ佐用郡の平福町、江川村、石井村、長谷村と合併して、表記はそのまま読みを改めた佐用町(さようちょう)が発足します。そして現在の佐用町は、2005年(平成17年)に佐用町と、やはり佐用郡の上月町、南光町、三日月町が合併して誕生したものです。
なお現在の佐用郡佐用町は、地方自治体としては、いわゆる市町村の「町」にあたります。地方自治法における普通地方公共団体(地方自治体)の「市」「町」「村」の違いですが、まず市は基本的に人口が5万人以上。中心的な市街地に全戸数の6割以上が集中する。商工業その他の都市的な業態に従事する者、およびそれと同一世帯に属する者の数が全人口の6割以上を占める。その他、各都道府県の条例で定める施設などの都市的要件を備えているといった条件を満たす自治体になります。
町は都道府県ごとによって条件が異なりますが、兵庫県の場合は3,000人以上の人口を有し、一定の建築物の連なりを占めす連坦戸数や連坦率、一定の官公署の存在、産業別就業人口割合など、各都道府県の条例で定められている「町」の要件を満たした自治体になります。村には特に法的な要件はなく、市や町の要件を満たさなければ自動的に村となりますが、2022年現在、兵庫県に村は存在しません。
また佐用町が属する佐用郡の「郡」ですが、これは明治以降の制度においては、複数の町村を編成した行政企画で、市や町と同じく郡役所や郡長の役職などが置かれたものです。この制度は第二次世界大戦後の地方自治法で改正され、現在では郡に住所表記や広域連合、選挙区の区画割りなどの他に大きな意味はなくなっています。
さらに市や区は郡に属さないため、市制施行により村や町が市になると、属していた郡から外れます。2022年現在、兵庫県で佐用郡に属するのは、佐用町の1町のみになっています。
佐用町は前述のように、古くから交通の要衝として栄えてきた地です。町内には現在も中国自動車道が東西に、鳥取自動車道が佐用ジャンクションから南北に走り、近隣の都市間の移動を支える自動車交通の要衝地となっています。
町内の主要な道路は、東西方向の国道179号、南北方向の国道373号になります。鉄道網では、JR姫新線が東西に、智頭急行智頭線が南北に走っています。兵庫県西部、播磨地域の主要都市である姫路市へは約40キロ、県の中心都市である神戸市へは約80キロの位置にあたり、姫路市とはJR姫新線により片道約1時間で往来できます。他にも京都や大阪、神戸など京阪神の都市圏や、姫路、岡山、鳥取などの周辺都市へは特急一本で到着します。このように佐用町は中山間地域でありながら、交通アクセスは恵まれている町といえます。
雄大な自然に囲まれる一方、町の南部にある播磨科学公園都市には、世界最高性能の放射光実験施設「SPring-8」をはじめ、兵庫県立大学、附属高等学校、附属中学校など学校や学術研究機関が集積し、科学技術の研究拠点として国内外から研究者が集まっています。
また大撫山に開設された公開天文台「兵庫県立大学 西はりま天文台」には公開望遠鏡として世界最大を誇る「なゆた望遠鏡」があり、星と宇宙の魅力に触れることもできます。
環境に恵まれ、自然の資源に恵まれた佐用町では、山林におけるシイタケ(椎茸)をはじめ、さまざまな農産物が豊富に収穫できます。主な町の特産品はジネンジョ(自然薯)、もちダイズ(大豆)、ヒマワリ(向日葵)油、ソバ(蕎麦)などです。
佐用町のご当地グルメとしては「ホルモン焼うどん」が非常に有名です。これはホルモンと野菜、うどんなどを鉄板で焼いて、店ごとに違う味のつけダレで食べるもので、発祥は約70年前、町内の畜産業者が、当時は一般ではあまり食べられていなかったホルモンを自分たちで焼いて食べるようになり、さらに安価にお腹を満たすよう、野菜やうどんを交えた料理に仕立てたことだといわれています。
現在では「ホルモン焼うどん」は町のソウルフードとして町民の生活にも溶け込んでおり、店内の数多くの店舗だけでなく、家庭内で調理して食卓に並ぶことも多いそうです。
また佐用町には複数の城跡や宿場町などの歴史文化資源。また花の名所、景勝地などの自然資源その他、多くの見どころが存在します。
町内の史跡としては、まず城跡として「利神城(りかんじょう)跡」があります。
利神城は、平福の利神山山頂にあった総石垣造りの山城です。2017年(平成29年)には国の史跡に指定されています。
南北朝時代である1349年(貞和5年、正平4年)に、播磨守護、赤松氏の一族である別所敦範によって築城されたものです。朝霧が立ち込めると、天守がまるで雲をつくような姿に見えたことから「雲突城(くもつきじょう)」とも呼ばれていました。
現在では石垣の状態が悪く危険な状態であるため、城跡に登山するには佐用山城ガイド協会「利神城ガイドツアー」の利用が必要となります。2022年からは、佐用山城ガイド協会のガイド同伴であれば、天守丸まで登山できるようになっています。
この利神城の城下町を起源とする「平福(ひらふく)」は、因幡街道でも最大の宿場町として発展した街であり、現在でもその面影を多く残している、佐用町の代表的な観光スポットです。約400年前の景観がいまなお残る街並は、赤茶色の土蔵群と川屋敷が建ち並ぶ「川端風景」が有名で、その風景から時代劇などのロケ地としてもよく使われており、映画では篠田正浩監督作品で、郷ひろみさん、岩下志麻さん主演。
近松門左衛門の浄瑠璃「鑓の権三重帷子」を原作とする「鑓の権三(やりのごんざ)」などがあります。
この平福の歴史を詳しく知りたい場合には「平福郷土資料館」が参考になります。この施設では宿場を支えてきた商家の商い道具や民具類、利神城ゆかりの品々などが展示されており、資料館そのものも江戸時代の町家を復元した造りで、街並みに溶け込んでいます。
「三日月藩乃井野陣屋館(みかづきはんのいのじんやかん)」は江戸時代の播磨三日月藩森氏の陣屋(藩庁)の遺構を保存、整備するために復元されたものです。三日月陣屋は、三日月藩の初代藩主、森長俊によって築かれた陣屋で、1700年(元禄13年)にほぼ完成しました。別名「乃井野陣屋」とも呼ばれており、整備された物見櫓は、三日月陣屋で唯一現存する江戸時代の建築遺構で、全国的にも希少で非常に貴重な存在です。また三日月藩の森家はその後、明治維新を迎えるまで存続しています。
「佐用城(さようじょう)」は南北朝時代に佐用範家が築いた平山城で、その後「赤松氏36人衆」の福原氏が城を継いだため「福原城(ふくはらじょう)」とも呼ばれます。戦国時代末期には、羽柴秀吉の中国攻めにより、その軍師で「二兵衛」「両兵衛」として知られた黒田勘兵衛、竹中半兵衛などの諸将に攻め落とされた城としても知られています。現在は遺構として空堀、土塁、馬落としが残っています。
「上月城(こうづきじょう)」は旧上月町にある山城で、1336年(延元元年)に赤松氏の一族、上月景盛により築かれた城です。戦国時代には織田信長の傘下である羽柴秀吉の軍。中国の覇者である毛利家、毛利輝元軍。そして毛利元就に滅ぼされ、織田家についた尼子家の尼子党による、上月城の攻防と争奪の激しい戦いが繰り広げられます。
最終的には1578年(天正6年)に尼子勝久らの尼子党が入城するものの、毛利家の大群に囲まれて落城し、勝久は自害します。またその後、尼子家に忠誠をつくした武将で、山中鹿之助として知られる山中幸盛も捕らえられ、暗殺されています。
この戦いの後、上月城は廃城となり、現在は土塁や石垣、空堀などの遺構が残っています。また登山口にある「上月歴史資料館」では、上月城の歴史や資料などを展示しています。
棚田で有名な大木谷には、平安時代に活躍した陰陽道の大家で、数々のフィクションでライバルとして名高い安倍晴明(あべのせいめい)と芦屋道満(あしやどうまん)を祭った塚「安倍晴明塚」「芦屋道満塚」があります。この塚の他にも、両者が矢を放って戦ったといわれる「やりとび橋」や、道満の首を洗ったといわれる「おつけ場」などの史跡もあります。
高野山真言宗派の名刹「瑠璃寺(るりじ)」は、奈良時代、728年(神亀5年)に聖武天皇の勅願により、僧侶の行基が開創したと伝えられる寺です。創建以来、1,200年以上の永きに渡り修験道場としての伝統を守っています。
またこの寺が旧南光町に位置することから「南光坊南光亭」と題して、上方落語の噺家、三代目桂南光師匠を迎えた落語会が毎年、開催されて賑わっています。また当寺の奥には「船越山るり寺モンキーパーク」が存在します。
最明寺(さいみょうじ)にある「北条時頼座像」は、鎌倉幕府第5代執権、北条時頼(ほうじょうときより)が全国行脚の途中で、当地にて病に倒れ、療養していた際、村人から手厚い看護を受けたことで、そのお礼にと自ら彫った木像です。現在では国の重要文化財に指定されています。時頼は同時に和歌も残しており、その一文にちなんでこの集落は「春哉」と呼ばれています。
「佐用都比賣神社(さよつひめじんじゃ)」は「播磨国風土記」にも記されている古社で、前述の佐用都比売賣を祀っています。創建は奈良時代から平安時代以前とされており、播磨の祖神として崇敬されてきた歴史ある神社です。現在でも地元住民からは「佐用姫さん」の通称で親しまれています。
「分立山常光寺」は、1656年(明暦2年)に横坂八幡神社の別当寺として建立された、高野山真言宗に属する寺院です。星に祈り星を祀る「星の道場」としても知られています。毎年旧暦の七夕(8月7日)には「星祭」が開催され、多くの人が参拝に訪れます。
「集鳥山清林寺」は真言宗御室派の寺院で、740年(天平12年)に行基により開基されたといわれています。秋になると200本以上のモミジ(紅葉)が境内を鮮やかに彩る情景は圧巻で、別名「もみじ寺」とも呼ばれています。境内で毎年、開催される「もみじまつり」は、米俵力比べなどのイベントやたくさんの模擬店などで賑わい、夕方から夜にかけてはライトアップも行われます。
また佐用町では、四季折々の美しい自然景観も大きな見どころになっています。
晩秋から冬の早朝に見られる「佐用の朝霧」は、その神秘的な美しさから全国的に有名です。中でも「大撫山」の山頂から見る雲海は格別のもので、県内外から多くの観光客が訪れます。
「飛龍の滝」は佐用郡でも随一の規模を誇る滝で、その落差は20メートル。滝の中程にある突き出した壁岩によって、三段に水の流れが変化する様が飛龍の姿に見えることが名前の由来です。滝周辺は夏でもひんやりと涼しく、冬には滝が氷結することもあります。この滝はNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」のタイトルバックの撮影にも使われています。
「乙大木谷の棚田」は農林水産省の「日本の棚田100選」にも認定されており、幾重にも広がる棚田が美しい風景を織り成しています。町内には他にも、自然石で造られた石積みが美しい「田和の棚田」もあります。両棚田とも、四季折々のふるさとの原風景を見せてくれる貴重な場所といえます。
「南光ひまわり畑」では、南光地域を3地区に分け、時期と場所をずらして数十万本のヒマワリ(向日葵)が咲き誇る景色を楽しむことができます。その規模は西日本でも最大級で、7月中旬から8月上旬にかけて、佐用町の夏の風物詩となっています。
「志文川堤防桜並木」は志文川沿いに約150メートル続くサクラ(桜)並木です。春になるとサクラに加え、レンギョウ(連翹)やユキヤナギ(雪柳)などの花が一斉に咲く景色は素晴らしく、春の散策にも最適の場所です。
「播州平福しゃくなげの里」は山の斜面を利用したシャクナゲ(石楠花)園です。4月中旬から見ごろとなり、約150種、15,000本余りのシャクナゲが散策路を鮮やかに彩ります。
前述した「三日月藩乃井野陣屋館」の前にある「ルピナス園」では、5月中旬頃から、色とりどりのルピナス、約8,000本が咲き誇り、観光客の目を楽しませています。
「おじいちゃんとおばあちゃんの花しょうぶ園」は佐用町でも特に山深い西新宿地域にあります。地元住民たちが、かつての田んぼに170種1万3,000株のハナショウブ(花菖蒲)を植えて大切に育てており、6月に見頃を迎えます。
花の名所としては他にも、弦谷地区の山の斜面に全国的にも珍しいカタクリ(片栗)の群生地があります。サクラの開花と同じ時期に咲くカタクリの花ですが、日中のみ花を開き、朝夕や雨の日には閉じてしまいます。
佐用町には、兵庫県の天然記念物に認定されている大木もいくつか見られます。
「三日月の大ムク(椋)」は樹齢800年と推定される大ムクです。幹回り約9.9メートル、樹高約19メートルの大木で、ムクノキとしては日本一と称されており、多くの人が見に訪れます。
光福寺の「大イトザクラ(糸桜)」は、樹齢300年、目通り幹回り約2.6メートル、樹高約13メートルのシダレザクラ(枝垂桜)です。春になれば、境内の鐘楼を包み込むほどに咲き誇る姿を見ようと、県の内外から多くの人が足を運びます。関西のサクラの名所としても有名な場所であり、開花の時期にはライトアップも行われます。
佐用の「大イチョウ(銀杏、公孫樹)」は樹齢1,000年、樹高28メートルの大木で、町の象徴とも町の守り木とも称されています。黄葉の時期には県内外から多くの人が観光に訪れます。イチョウは佐用町の町木にも制定されています。
このように歴史や文化、自然環境に恵まれた佐用町では、一年間を通してさまざまな祭事やイベントも行われています。
「上三河の舞台」では、2年に1度、小学生による歌舞伎が行われており、好評を博しています。重要有形民俗文化財に指定されている舞台は、茅葺き入母屋造りで、内部は各種の舞台機構を備えています。なかでも屋根裏回転機構(二階廻し)は注目すべき機構といえます。
「平松武者踊り」は4年に1度、平松の吾勝神社でお盆の夜に開かれます。鎧武者や鬼婆などに扮した住民が、旧南光町の平松集落に伝わる踊りを披露し、毎回300人近い見物客で賑わいます。江戸時代から続くといわれる行事で、戦後にいったん途絶えましたが、地元住民の努力によって復活したものです。しかし近年は担い手不足のため、その存続が危ぶまれています。
「日限地蔵尊夏祭」は三日月の「日限地蔵尊」で毎年8月に行われるお祭りで、花火の打ち上げや各種イベントが催され、夜遅くまで賑わいます。「日限地蔵」とは江戸時代、三日月藩士が江戸から持ち帰ったとされるお地蔵様で「何日までに」と日を限ってお願いすると願いが叶うといわれており、町内外から多くの人が訪れています。
才金の金子集落では、6月になると川のほとりでホタル(蛍)が飛び交う姿を見ることができます。ホタルの光で幻想的な雰囲気に包まれる川辺には、写真を撮影をするホタルの愛好家も多く訪れます。
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佐用町 の場所
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兵庫県佐用郡佐用町は県の本州部、西端部で、中央よりやや南寄り、西播磨に位置する町です。内陸部に位置する町域は、東側を宍粟市に、南東側をたつの市に、南側をを赤穂郡上郡町に、南西側は岡山県備前市に、西側を岡山県美作市に接しています。
佐用郡佐用町は、県内でも比較的、広大な町域の8割以上を山林が占めており、集落や農地は、町内を南北に流れる清流、千種川とその支流の佐用川に沿って広がっています。美しく広がる星空、幻想的な朝霧、棚田やひまわり畑の田園風景を有し、美しい日本のむら景観百選にも認定されている、豊かな自然環境に恵まれた町です。道路網、交通網も整備されており、近隣の姫路市をはじめ、周辺の主要都市へのアクセスも便利です。史跡や文化なども豊富で、兵庫県内でも非常に環境が良く暮らしやすい町だといえます。
現在の佐用町の町章は、2006年(平成18年)に2代目として制定されたものです。町名の頭文字「さ」をモチーフに、赤、緑、青の三色で構成されています。緑と青で、リボンを丸めて上部でクロスしているようなデザインを描き、その上に赤い円を置いたものです。このデザインは、両手を大きく広げた町民をイメージしたものです。
ちなみに初代の町章は、1964年(昭和39年)4月1日に制定されたもので、おおまかなデザインは現在のものに近く、太いラインで描いた線の上部に、上部が三つ又に広がる花のような形をおいたものです。
佐用町の町花はヒマワリ、町木はイチョウです。これらは公募によって選定されたものです。
ヒマワリはキク科の一年草で、俳諧では夏の季語にもなっている、夏を代表する花のひとつです。北アメリカ原産であるヒマワリには、ニチリンソウ(日輪草)、ヒグルマ(日車)、ヒグルマソウ(日車草)、ヒマワリソウ(日回り草)、サンフラワー(英:Sunflower)、フランス語のソレイユなどの別名があり、観賞用だけではなく食用や油の材料としても広く栽培されています。またヒマワリをタイトルにした小説には、道尾秀介さん「向日葵の咲かない夏」や、友井羊さん「向日葵ちゃん追跡する」などがあります。輝く太陽を見据えて力強く咲くヒマワリは、町の発展と明るい未来を象徴しているといえます。
イチョウは裸子植物門イチョウ綱イチョウ目イチョウ科イチョウ属に属する裸子植物です。イチョウは古来の樹木のひとつであり、イチョウ科の植物は中生代から新生代にかけて世界的に繁栄し、世界各地で化石が発見されています。ただ氷期にイチョウ科の植物はほぼ絶滅し、イチョウのみが現存する唯一の種になります。樹高は20メートルから30メートルの落葉高木で、黄葉する扇子形の葉と、食用となる種子のギンナン(銀杏)で知られています。古くから木材の他、火に強い性質から防火林や街路樹にも用いられています。大地にしっかり根を張り、大空に向かって大きく育つイチョウは、町の繁栄と町民の長寿を象徴しているといえます。
佐用町のキャラクターには、観光イメージキャラクター「おさよん」がいます。おさよんは2011年(平成23年)にデビューしました。頭には町花であるヒマワリを飾り、身体は緑色のグラデーションで棚田を表し、千種川の清流を表す青いマフラーをしており、手に持つスティックは先端に星が付き、星空をイメージしています。
おさよんはチャレンジ精神旺盛で、縄とび、ダンス、かけっこなどに挑戦しているそうです。
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佐用町 の鉄道路線
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兵庫県佐用郡佐用町の鉄道路線
西日本旅客鉄道(JR西日本)
姫新線
・三日月駅
・播磨徳久駅
・佐用駅
・上月駅
智頭急行
智頭線
・久崎駅
・佐用駅
・平福駅
・石井駅
兵庫県佐用郡佐用町のバス路線
路線バス
・ウエスト神姫
高速バス
・佐用バスストップ(佐用IC)
・葛根バスストップ
・南光バスストップ
・中国上月:中国ハイウェイバス(西日本ジェイアールバス、神姫バス)
・佐用平福バスストップ:プリンセスバード号(神姫バス、日ノ丸自動車)
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佐用町 の主要道路
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兵庫県佐用郡佐用町の主要道路
高速道路
・中国自動車道 佐用IC
・鳥取自動車道 佐用平福IC(佐用JCT、上月PA)
国道
・国道179号
・国道373号
県道
・兵庫県道28号上郡末広線
・兵庫県道53号宍粟下徳久線
・兵庫県道72号若桜下三河線
・兵庫県道124号宮原力万線
・兵庫県道154号千種新宮線
・兵庫県道161号市場佐用線
・兵庫県道225号播磨徳久停車場線
・兵庫県道240号下庄佐用線
・兵庫県道365号上福原佐用線
・兵庫県道368号吉永下徳久線
・兵庫県道433号塩田三日月線
・兵庫県道443号上三河平福線
・兵庫県道444号中三河佐用線
・兵庫県道449号多賀相生線
・兵庫県道524号才金宗行線
・兵庫県道547号横坂下徳久線
・兵庫県道556号後山上石井線
・兵庫県道562号佐用停車場線
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佐用町 出身の芸能人
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兵庫県佐用郡佐用町出身の著名人には、コント集団「ザ・ニュースペーパー」の元メンバーであるタレント、歌手で、NHK教育テレビ(eテレ)の子供向け番組「フックブックロー」に出演して「けっさくくん」の愛称で知られている他、2022年には佐用町で初の町の観光大使に任命された谷本賢一郎さん。パナソニックシアターのテレビ時代劇「水戸黄門」のゲスト出演など、さまざまなテレビ番組、映画、舞台などで活動する女優で「女将ちゃん」「ぐっさん」の愛称をもつ三枝雄子さん。ラジオDJとしても活躍し、曲とトーク内容のギャップでも知られるロックシンガー、シンガーソングライターの岡本隆根さん。東北楽天ゴールデンイーグルス所属で内野手を務めるプロ野球選手、小深田大翔選手。天体物理学専攻の天文学者で、国立天文台名誉教授である安藤裕康博士。関西電力会長などを務めた実業家の堀新さんなどがいます。
佐用町 町域別対応エリア
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ア行
- 庵(イオリ)、宇根(ウネ)、漆野(ウルシノ)、円光寺(エンコウジ)、円應寺(エンノウジ)、大垣内(オオガイチ)、大釜(オオガマ)、大木谷(オオキダニ)、大下り(オオサガリ)、大酒(オオザケ)、大畑(オオハタ)、大畠(オオバタケ)、大日山(オオビヤマ)、奥金近(オクカネチカ)、奥長谷(オクナガタニ)、奥海(オネミ)
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カ行
- 皆田(カイタ)、金屋(カナヤ)、上秋里(カミアキサト)、上石井(カミイシイ)、上本郷(カミホンゴウ)、上三河(カミミカワ)、久崎(クザキ)、櫛田(クシダ)、口金近(クチカネチカ)、口長谷(クチナガタニ)、桑野(クワノ)、家内(ケナイ)、小赤松(コアカマツ)、河崎(コウザキ)、上月(コウヅキ)、光都1(コウト1)、小日山(コビヤマ)、小山(コヤマ)
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サ行
- 才金(サイカネ)、桜山(サクラヤマ)、真盛(サネモリ)、真宗(サノムネ)、佐用(サヨ)、志文(シブミ)、下秋里(シモアキサト)、下石井(シモイシイ)、下徳久(シモトクサ)、下本郷(シモホンゴウ)、下三河(シモミカワ)、末包(スエカネ)、末廣(スエヒロ)、須安(スヤス)
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タ行
- 多賀(タガ)、田此(タコノ)、弦谷(ツルダニ)、豊福(トヨフク)、土井(ドイ)
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ナ行
- 中島(ナカシマ)、中三河(ナカミカワ)、長尾(ナガオ)、仁位(ニイ)、仁方(ニガタ)、西大畠(ニシオオバタケ)、西河内(ニシガイチ)、西下野(ニシシモノ)、西新宿(ニシシンジュク)、西徳久(ニシトクサ)、乃井野(ノイノ)、延吉(ノブヨシ)
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ハ行
- 林崎(ハヤシサキ)、早瀬(ハヤセ)、春哉(ハルカナ)、東徳久(ヒガシトクサ)、東中山(ヒガシナカヤマ)、平福(ヒラフク)、平松(ヒラマツ)、廣山(ヒロヤマ)、福澤(フクサワ)、福中(フクナカ)、福吉(フクヨシ)、船越(フナコシ)、宝蔵寺(ホウゾウジ)、本位田(ホンイデン)、本位田乙(ホンイデンオツ)、本位田甲(ホンイデンコウ)、本郷(ホンゴウ)
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マ行
- 海内(ミウチ)、三日月(ミカヅキ)、水根(ミズネ)、三ツ尾(ミツオ)、南中山(ミナミナカヤマ)、三原(ミハラ)、宗行(ムネユキ)、目高(メタカ)
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ヤ行
- 安川(ヤスカワ)、山田(ヤマダ)、山脇(ヤマワキ)、横坂(ヨコサカ)、淀(ヨド)、米田(ヨネダ)、寄延(ヨリノブ)
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ラ行
- 力万(リキマン)
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ワ行
- 若州(ワカス)