大変申し訳ございませんが、関西エリアの施工は現在対応しておりません。

大和郡山市 でテレビアンテナ工事をお考えの方へ

あさひアンテナでは 大和郡山市 での工事実績多数。
大和郡山市 でアンテナ工事でお困りの方はお任せ下さい。

奈良県大和郡山市(やまとこおりやまし)は、県の北西部に位置する市です。総面積は42.69キロ平方メートルで、奈良県の全39自治体では21番目に広く、また奈良県全体の約1.16パーセントを占めています。2022年(令和4年)4月30日時点での人口は84,333人。うち男性が40,006人、女性が44,327人になります。また市内には38,906世帯が暮らしています。
当あさひアンテナでは大和郡山市での各種アンテナ設置工事に完全対応しております。弊社では大和郡山市でも現場ごとの地デジ電波などの受信環境や、周辺環境などの条件に基づき、安定した受信性能から、風雨などによる影響を抑えて長寿命を実現する堅牢なアンテナ設置を、業界最安に挑む低価格でご提供いたします。
さらにメールフォーム、フリーダイヤル、LINEによるアンテナ工事のご相談。職人が現場に出張しての地デジ電波調査やお見積もりまで、すべて無料で実施いたします。それらに付随する出張料、キャンセル料など諸費用も、1円たりともいただきません。
また現在の新型コロナウイルス感染対策として、弊社では全従業員に高性能マスクや除菌スプレー、目、鼻、のどを洗浄する専用の医薬品などを支給し、各人が適宜、作業車、作業着の消毒や、うがい、手洗いなどを綿密かつ頻繁に実施しております。
事務所や機材倉庫では24時間作動の機器などによる万全の除菌。また全従業員の体調管理体制として、日に3度の検温を実施し全員でデータを共有。現場作業員の1日の行動を分析し、感染リスクなどが生じた場合は安全が確認できるまで休むよう指導するなど、お客様の安全のため、考えうる万全の対策を実施しております。
奈良県大和郡山市にて、CS/BSや地デジアンテナ設置各種などアンテナ工事をお求めのお客様は、当あさひアンテナのフリーダイヤル(0120-540-527)メールフォーム(https//asahi-antenna.jp/contact)。また弊社LINEアカウント(https://line.me/R/ti/p/%40396mlzgh)へのご相談、お問い合わせなど、どうかお気軽にお寄せください。

大和郡山市 の方でアンテナ工事に関するよくある質問

Q

大和郡山市でアンテナ設置により受信できる地デジ電波は何ですか?

A

大和郡山市は、奈良県でも北西に位置し、奈良盆地の中央よりやや北に位置する市です。市内の地デジ受信では、大阪府と奈良県の境界、生駒山に位置する大阪局からのNHK大阪と各広域民放。その近辺に位置する生駒奈良北中継局からの奈良県の地方局、奈良テレビ放送(TVN)。市内に位置する奈良局からのNHK奈良(総合)を全域で受信可能です。
また実際的な意味はございませんが、生駒奈良北中継局からの NHK奈良(総合)も市域の北端部であれば受信できます。
現在の主な地デジアンテナ機種には、主に屋根の上などにアンテナ設置し、高い地デジ受信能力を誇る半面、風雨などによる影響を受けやすい八木式アンテナ。そして壁面などにアンテナ設置する薄型軽量で、家屋の外観性を損ねず、風雨などの影響も受けにくいデザインアンテナの二種類がございます。
現在のデザインアンテナは受信性能も八木式アンテナとほぼ同等ですが、アンテナ設置位置の低さから受信感度がやや下がるケースもあり、また本体価格やアンテナ取り付け費用もやや割高となります。
他にも近年では、棒状で両機種の長所を兼ね備えた最先端機種、ユニコーンアンテナ(ポール型アンテナ)が登場しています。
大和郡山市内では八木式アンテナ、デザインアンテナとも、適切なアンテナ取り付けにより、安定した地デジ受信が可能です。ただ丘陵地や高層建築の付近など現場の条件によっては、アンテナ設置可能な機種や位置などに制約が出ることもございます。
当あさひアンテナでは両機種とも国内の一流メーカー、DXアンテナ製の最新機種をご用意し、アンテナ本体価格をセットにしたアンテナ設置費用でご提供しております。
八木式アンテナでは軽量で風雨に強い「UA20」設置を本体込み基本価格、税込み15,000円から。デザインアンテナは20素子相当、業界最小クラスの超薄型「UAH201」設置を本体込み基本価格、税込み20,000円からで設置いたします。
またユニコーンアンテナでは、同機種を開発したマスプロアンテナ社製の「U2CN(ユニコーン)」をご用意しております。その他、高性能アンテナや各種機器などもご用意しているため、あらゆる現場へ対応可能です。
実際の地デジアンテナ設置では、経験、技術に優れた職人が、お客様のご要望と現場の条件を踏まえ、安定した受信性能と、自然環境の影響を避けて高寿命を実現するアンテナ取り付け工事を、業界最安に挑む価格でご提案いたします。
大和郡山市にて地デジはじめ各種アンテナ設置をお求めのお客様は、当あさひアンテナのフリーダイヤル(0120-540-527)メールフォーム(https//asahi-antenna.jp/contact)、またLINE(QRコード:https://line.me/R/ti/p/%40396mlzgh)などへ、まずはどのようなご相談、ご質問でもお寄せください。

Q

自宅にあるアンテナ設置だけを依頼できますか?

A

当あさひアンテナでは、すべてのアンテナ工事をお客様のご要望通りに施行いたします。もちろんお客様が購入された各種アンテナ取付けにも対応いたします。
ただ前述のように、弊社では各種アンテナ設置工事を、主に国内の一流メーカー、DXアンテナ社の最新アンテナ本体価格込みのアンテナ工事価格でご提供しております。前述した地デジアンテナ機種の他、BS/CS110度アンテナでは2K4K8K対応の最新モデル「BC45AS」本体価格込みのアンテナ設置工事を、税込み15,000円からで施工いたします。
また弊社の公式サイトには採用するアンテナ機種や型番、各オプション工事や機器の料金体系などを明記し、費用面でもお客様にご納得いただけることを第一に心がけております。したがって現場でお客様に無断で機材や工事などを追加することも決してございません。
業界最安値に挑み続ける弊社のアンテナ工事価格の秘密は、メーカーからの大量仕入れによる大幅値引き、完全自社施工による中間マージンの削減など、業者にして可能なコスト削減の努力にございます。もし相見積もりで弊社より安い見積もりが出た場合は、その見積書をご提示ください。施工や機材の品質などまったく同じアンテナ工事を、より低価格でお見積もりいたします。
起伏が少なく地デジ受信環境に恵まれた大和郡山市では、全域で安定的な地デジ受信が可能です。ただ市内でも現場の地形や周辺環境などにより、地デジ受信に関してさまざまな条件が生じます。そのため地デジ受信に関するお客様のご要望を実現するためには、現場の諸条件に対応したアンテナ機種や設置の工法などが必要となります。
したがってお客様がご購入された地デジアンテナでは、性能や現場への適性などから、ご希望通りの地デジ受信が困難となるケースも考えられます。またアンテナ価格とアンテナ設置費用の総額が、弊社の本体価格込み地デジアンテナ設置価格より割高となることも十分に起こりえます。
大和郡山市での各種アンテナ取付け工事については、ご自身でアンテナを購入される前に、前述した当あさひアンテナのフリーダイヤル、メールフォーム、LINEなどへ、アンテナ設置の機種や受信のご希望、費用について、ご納得いただけるまで、どのようなことでもご質問いただければ幸いです。

Q

大和郡山市でのアンテナトラブルにすぐ対応できますか?

A

当あさひアンテナでは、たとえ他業者のアンテナ設置現場でも、トラブルの際には弊社フリーダイヤル(0120-540-527)にご連絡いただければ、最短即日、夜間工事も可能でご対応いたします。
特に弊社のアンテナ取付け現場では、業界最長クラスとなる施工日より10年間のアフターフォロー体制をご用意しており、保障期間中のアンテナトラブルでは、補償範囲の問題であれば完全無料で責任をもって復旧いたします。
弊社では各種アンテナ取り付け完了時、担当職人の署名入り保証書をお渡ししております。また弊社の側でもすべてのアンテナ設置から10年間、全工事の資料をデータベースに保存しております。
もしお客様が保証書を紛失され、保証をお求めの場合は、お電話でその旨と、お客様のお名前やご住所と、当時のアンテナ工事についてご記憶の範囲でお聞かせください。弊社で該当のアンテナ工事を確認次第、保証書がある場合とまったく同じ保証対応をいたします。
また風雨や雷、雪、外部からの落下物など、自然災害によるアンテナトラブルでは、火災保険の「風災保証」により修理費が補償されるケースが多くなります。弊社ではアンテナ修理の際、保険のご相談にも対応しております。
保険のご相談をいただければ、修理アンテナ工事に並行して、修理報告書や施工前後の画像など、必要な各種補償請求書類をすべて弊社でご用意し、保険会社とのご交渉についても弊社の専門スタッフが全力でサポートいたします。
大和郡山市での急なアンテナトラブルについては、修理から保険のご相談まで完全にご対応できる、当あさひアンテナにお任せください。

大和郡山市 にお住まいで画面にE201、E202、E203の文字が出ている方

テレビ画面に"E201、E202、E203"と表示され番組が視聴できない

アンテナトラブルの形式として、突然、ご自宅のテレビで地デジのテレビ番組がまったく映らなくなり、画面に「e201」「e202」「e203」などの記号が表示されることがございます。これはテレビやアンテナにトラブルが発生し、テレビが自己診断機能を働かせてエラーコードで原因を示している状態です。最近のテレビはコードと同時にトラブルの原因を文章で表示するものもありますが、電波受信に関するトラブルの場合は、主に前述の三種類のコードが表示されます。なおエラーコードの種類は、トラブルの原因によって他にも数々のものがございます。

「e201」は、テレビ本体に届く電波のレベルが低下しているというエラーコードです。これは主にBS、CS放送で、豪雨や大雪など、悪天候の場合に表示されることが多くなります。BS、CS放送は衛星放送のため、悪天候では、波の乱反射によって電波状態が悪化するという弱点がございます。BSでは悪天候の際に電波を切り替え、画質、音質を落とすことで受信できるようにした「降雨対応放送」に切り替わる場合もあります。悪天候による受信不良は、天候の回復と同時に自然と復旧いたします。地デジ放送では、このコードが表示されることは少ないのですが、周辺の電波状態の悪化やアンテナ機器のトラブルなどにより、ときに表示されることもございます。
「e202」は、テレビ本体ににまったく電波が届いていないというエラーコードです。原因は大風や地震などによるアンテナ角度のずれや倒れるといったトラブル。またアンテナ本体、アンテナ線、ブースター(増幅器)、分配器など、どこかに故障が発生したことも考えられます。また単純にテレビとアンテナ線との接触不良という場合もありますので、このコードが表示されたときは、まずテレビやレコーダーなどの機器と、アンテナ線との接続部分をチェックしてください。
「e203」は、該当する放送局が放送休止しているというエラーコードです。基本的に放送局が、メンテナンスやトラブルなどによって放送を休止していることから発生する不具合です。このコードが表示されたときは、その他のチャンネルを確認して、正しく映っているなら放送局側に原因があると判断できます。ただアンテナ関係の故障でも、このコードが表示される場合がありますのでご注意ください。
これらのエラーコードが表示されたときは、ブロックノイズの際と同じく、まずテレビのリセットや、テレビとアンテナ線の接続部を確認するなどしてください。それでも回復しない場合は、アンテナ関係にトラブルが起こっていると考えられます。
その場合も、やはり当あさひアンテナのフリーダイヤル(0120-540-527)にご相談ください。まずお電話口にて、コードの種類やご自宅のアンテナ環境などとお伺いして、ご自宅で可能な対策をご説明いたします。もしお電話で問題が解決しないときは、ご用命いただければ、弊社の職人が最短即日でご自宅へ出向き、現場調査で原因を特定いたします。
当あさひアンテナでは、どのようなご相談であっても、出張費、見積もり費、キャンセル費はすべて無料で対応させていただきます。またトラブルの原因を特定した後は、弊社の職人からお客様に、修理に必要な工事のご説明と見積もり価格を提示いたします。その内容にお客様が納得され、正式にご契約なされた時点ではじめて工事にかからせていただきます。それまでは決して無断で工事を進めることはなく、料金も一切発生いたしません。
さらにアンテナ工事後の保証など、アフターフォローの体制も万全のものを用意してございます。テレビ映りに不具合が発生して、エラーコードからアンテナトラブルだと思われる場合は、まずは当あさひアンテナのフリーダイヤル(0120-540-527)へとお気軽にお電話ください。

大和郡山市 についてもっと知りたい
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大和郡山市 てどんなところ??

奈良県大和郡山市は県の北西部で、奈良盆地の北部に位置する市です。市域には佐保川や富雄川が南へと流れ、地形はおおむね平坦ながら、富雄川より西には矢田丘陵が広がるため起伏がやや大きくなります。また市内には農業用のため池や、市の名産である金魚の養殖のための池が数多く点在しています。市内の気候は、年間の平均気温が15℃から16℃程度で、盆地らしく夏は蒸し暑く、冬は寒さが厳しくなり、気候や気温の変化が激しくなることもあります。
大和郡山市の市域に人が住んでいた歴史は、旧石器時代まで遡りますが、その資料は少なく、遺跡や石器などがわずかに出土しているのみです。縄文時代になると、古屋敷遺跡から土器や土杭が出土するなど資料もやや多くなります。この頃には市域一帯の低地に、生活の拠点が置かれるようになっていたと見られます。
弥生時代の遺跡では、西ノ原丘陵上の六条山遺跡や一ノ谷遺跡、また別所谷遺跡、城の台遺跡などが発見されています。他にも後述する郡山城でも弥生式土器が出土しています。西ノ原丘陵上周辺にある中垣内遺跡では、竪穴式住居や環濠が発見されており、万願寺遺跡でも同様のものが発見されています。古墳時代には、市域内に奈良県の史跡である小泉大塚古墳など、大型古墳が数多く作られています。
現在の大和郡山市と奈良市の一帯には、奈良時代に平城京が位置して仏教が栄え、多くの寺社が建てられたこともあり、その後も寺社勢力が強い力を持つことになります。
室町時代には、大和国の多くは藤原氏の氏寺である興福寺、または藤原氏の氏神を祀る春日大社の支配を受けていました。特に興福寺は鎌倉時代以降、大和守護を務めて多くの僧兵を抱え、その支配下にある荘園の集落は「衆徒」と呼ばれる僧兵の頭領に支配されました。それら衆徒の中でも番条氏は、当時、市域内で佐保川に東から菩提仙川が流れ込み、河川交通の要衝となる集落一帯を治めていたことから、強い勢力を持つにいたります。
室町時代から戦国時代にかけて大和国では、筒井氏、越智氏、十市氏などの土豪や地侍、また畠山氏や三好氏、松永久秀などの他国勢力が覇権をめぐって抗争を繰り広げます。番条氏は衆徒から戦国大名へと変化を遂げた筒井氏に敗れ、のちにその傘下となるも、衰退してゆきます。
筒井氏は筒井順興の代で大和国の戦国大名としての地位を確立し、嫡男の順昭の代で大和を統一して河内(大阪市東部)にも勢力を伸ばすなど隆盛しますが、順昭は28歳で病により死亡し、筒井家は2歳の嫡男、順慶が継ぎます。これに乗じて三好長慶の家臣で、梟雄と名高い松永久秀が大和に侵攻。順慶は居城の筒井城を奪われ、大和を追放されます。
余談ですが、順昭は死の間際、幼い順慶を守るべく、自分に姿や声が似た奈良の法師、黙阿弥(木阿弥)を自分の身代わりに仕立て、死後も自分が生きているかのように周辺の勢力を欺いたといわれます。やがて順慶が成長すると、黙阿弥は褒美を与えられて法師に戻ったといわれており、これが「一時的に好転した立場や物事が、元の状態に戻る」ことを意味することわざ「元の木阿弥」の由来とされています。ただこの語源には他にも諸説あります。
やがて元服した順慶は、久秀と筒井城の争奪戦など数々の抗争を繰り広げますが、両者とも足利義昭を奉じて畿内に進出した織田信長に臣従し、一時は和解します。順慶は信長より大和国の支配を認められ、明智光秀の与力となります。その後、久秀が信長に反旗を翻した信貴山城の戦いでも順慶は活躍し、久秀と嫡男の久通を自決に追いやり、名実ともに大和一国の支配者となります。
順慶は郡山城の改修を進め、大和国内の城は一城のみとする信長の破城令もあり、筒井城などを破棄して郡山城を本拠とします。この際に城下町の整備も進められ、現在の大和郡山市の基礎が形作られています。
本能寺の変で明智光秀が織田信長を討った後、順慶は光秀から協力を求められますが、順慶は静観を決め込みます。その後、中国地方に侵攻していた羽柴秀吉が畿内に戻り、光秀軍との決戦でこれを打ち破った山崎の戦いでは、順慶は現在の大阪府枚方市と京都府八幡市の境界にあたり、両者の合戦を見渡せる洞ヶ峠に布陣し、優勢な方を見極める日和見の態度をとったといわれ、現在でも日和見を意味する「洞ヶ峠(を決め込む)」という慣用句として残っています。ただ実際にはそのような史実はなかったと見られています。
その後、順慶は秀吉に仕えますが、ほどなく病で亡くなり、筒井家は伊賀上野へと転封になります。郡山城には秀吉の弟である羽柴(豊臣)秀長が入城し、それまで奈良の市中で行われていた商売を城下町に集中させるなどし、郡山を大和国の中心都市として繁栄させます。
秀長の死後、豊臣時代の後期には、五奉行の一人である増田長盛が郡山城に入城します。長盛は城下町を囲む壮大な惣構えを構築し、現在の市域を一大城郭都市に仕立てています。
江戸時代になると、郡山城の城主は松平氏、本多氏などを経て、江戸中期の1724年(享保9年)に、柳沢(柳澤)吉里が入封。柳沢氏は城下町の整備を行い、柳沢氏の郡山藩は明治維新まで存続しています。
明治以降、今日の大和郡山市が成立する経緯としては、1889年(明治22年)4月1日の町村制の施行により、多くの町村の区域をもって添下郡郡山町が発足。1897年(明治30年)4月1日には、郡山町の所属郡が生駒郡に変更されます。その後、生駒郡の筒井村や矢田村、昭和村、添上郡治道村、平和村の編入を経て、1954年(昭和29年)1月1日には、郡山町から大和郡山市に改称。同日に市制施行を行い、大和郡山市が発足します。さらに1957年(昭和32年)3月31日には生駒郡片桐町を編入し、今日の市域にいたります。
この市名は大和国であることを強調し、福島県の郡山市と区別するために定められたものです。また市域は郡山城、郡山藩が存在した地でもあるため「郡山」のみで大和郡山市を指すこともあります。
近代の大和郡山市は、昭和の中期より多くの企業の誘致が進み、現在では昭和工業団地を形成するなど、工業の盛んな都市として発展してきました。この発展の要因には、大阪府や京都府に近い地理的な好条件、交通網が整備されている点などもあげられます。
市域の中心部付近を、JR関西本線と近畿日本鉄道(近鉄)の路線が南北に走っており、JRからは大阪市内の大阪駅、天王寺駅、JR難波駅まで直通する他、京都方面にも連絡しています。近鉄は奈良市をはじめ県内の主要地域に出やすい他、乗り換えにより大阪、京都方面へのアクセスも便利で、周辺地域のベッドタウンとしても利便性が高い市になっています。
大和郡山市の特産品として全国に知られるのが、金魚(キンギョ)です。金魚の発祥は約2,000年前、当時の中国でも南部で、野生のフナ(鮒)の中に、突然変異と思しき赤色のフナが発見されました。このフナを原種に品種改良が進められ、今日にいたるまでさまざまな金魚の種が創り出されました。
日本では鎌倉時代より金魚の存在が知られていましたが、実際に渡来したのは室町時代の中期頃、和泉国堺(現在の大阪府堺市)が最初だといわれています。ただ当時は飼育、繁殖方法が伝わらず、定着はしませんでした。
日本で養殖がはじまったのは江戸時代の初期ですが、当初は大名や豪商などが愛玩する贅沢品でした。現在の市域にあたる郡山では、江戸時代中期の1724年(享保9年)頃より、武士の副業として金魚の養殖が行われるようになります。
江戸時代後半、町人文化が盛んとなった文化文政の時代には、現在の大和郡山市と、愛知県の弥富市、東京都の江戸川下流域の、現在でも三大養殖地とされる地での大量生産や流通の体制が確立し、価格も下がって庶民の間でも金魚の飼育が流行します。
今日でも大和郡山市には金魚の養殖農家が約40戸存在し、年間で約5,000匹が販売され、海外の輸出など、山形県の庄内金魚と市場を大きく二分するほどのシェアを誇っています。ただ近年では後継者不足や市場の低迷などが問題となり、市や市内の業界団体では「全国金魚すくい選手権大会」の開催など、金魚市場の活性化のため多くの試みを行っています。
他にも大和郡山市の特産品には、大正期から栽培される「古都華」や「あすかルビー」などのブランドを持つイチゴ(苺)。市内で県全体のおよそ半数の出荷量を占めるイチジク(無花果)。また市内産のイチジク100パーセントで生産されたイチジクワインのブランド、無花果の一滴。筒井城跡の一帯で栽培されるレンコン(蓮根)の筒井れんこん。市域を豊臣秀長が治めていた頃、兄の秀吉をもてなすために造らせ、秀吉を喜ばせたといわれる和菓子、御城之口餅などがあります。
大和郡山市の名所、史跡としては、前述の郡山城跡が挙げられます。明治維新以降は廃城となり荒廃していましたが、本丸と毘沙門曲輪が奈良県指定史跡となり、のちに追手東隅櫓や追手向櫓、極楽橋などが復元されています。現在では続日本100名城に認定されている他、柳沢氏の時代に植樹されたサクラ(桜)により、日本のさくら名所100選にも選定されています。
他にも郡山城以前の筒井氏の居城かつ大和国の中心地で、現在でも戦に備えて入り組んだ道が残る筒井城跡。興福寺の衆徒で筒井氏と対立し、のちにその家臣となった小泉氏の居城で、片桐城や小泉陣屋とも呼ばれた小泉城跡などがあります。
市内の寺社には、臨済宗大徳寺派の寺院で、山号は円通山。本尊は釈迦如来。市域の一部を領有した小泉藩の藩主で、石州流茶道の創始者でもある片桐石見守貞昌(石州)が創建したと伝えられる慈光院があります。その庭園は国の史跡、名勝である他、書院と茶室が国の重要文化財にもなっています。
他にも、黄檗宗の寺院で柳沢氏の菩提寺であり、山号は龍華山、本尊を釈迦三尊とする永慶寺。真言宗醍醐派の別格本山の寺院で、山号は松尾山または補陀洛山。本尊は千手観音。日本最古の厄除け寺といわれ「まつのおでら」「まつのおさん」とも呼ばれる松尾寺。曹洞宗の寺院で山号は妙光山。現存する本多家唯一の菩提寺である久松寺。真言律宗の寺院で、山号は熊凝山。本尊を十一面観音の額安寺。高野山真言宗の寺院で山号は矢田山。本尊は地蔵菩薩で、境内には約10,000株のアジサイ(紫陽花)が植えられる矢田寺。天台宗の寺院で山号は尭然山。本尊を青面金剛の金輪院。柳沢藩の祖であり、徳川5代将軍、綱吉の御用人として知られる柳沢吉保を祭神とする柳澤神社。本殿が国の重要文化財に指定されている春日神社などがあります。
その他の名所などには、出土された遺物から鎌倉時代の瓦窯と判明し、1929年(昭和4年)に国の史跡に指定された額田部窯跡。県内の時代ごとの生活様式や伝統的な業務、文化などを展示し、小学校の社会見学などにも活用される奈良県立民俗博物館。園内には梅林や伝統的な家屋、重要文化財、奈良県指定有形文化財などがある大和民族公園。室町時代には完成していたと見られる、周囲に堀を巡らせた環濠集落がほぼ完全な形で現存し、国の史跡に指定される稗田環濠集落。昭和中期まで営業していた遊廓跡で、現存する建物が登録有形文化財になっている洞泉寺遊廓。同じく遊廓跡の東岡遊廓などがあります。
市内にある「おみやげ処 こちくや」では、多彩なオリジナルの金魚グッズが販売されている他「金魚すくい道場」が併設されており、金魚すくいの腕を競うことができます。挑戦者は結果ごとに段位認定がなされ、壁に名前が飾られます、中には俳優の三田村邦彦さん、吉本新喜劇の島田一の介師匠など、テレビ番組のロケで訪れたと思しき有名人の名前も見られます。
大和郡山市のイベントには、「古事記」の編集者である稗田阿礼が市内の出身とされることに因んで、2月に行われる「記憶力大会」があります。この大会は別名「メモリースポーツ」と呼ばれるイギリス発祥の競技で、世界40か国以上で大会が開催される大規模なイベントです。市内での大会は日本選手権大会であり、国内のランキングも作成されます。
他にも4月に大和郡山城の周辺で開催される大和郡山お城まつり。8月に地域の小学校を会場とし、数々の提灯や屋台が並ぶ大和の夏まつり。また市の名物を振興すべく、8月の第3日曜日「金魚すくいの日」に開催され、金魚すくいを競技として全国の猛者が実力を競い合う「全国金魚すくい選手権大会」などがあります。
大和郡山市を舞台にしたフィクションには、大谷紀子さんの漫画作品で、実写映画化もされた「すくってごらん」があります。この作品は、大和郡山市に左遷されたエリート銀行マンが、金魚すくい店を営み、大和郡山が生んだ「現代のかぐや姫」と呼ばれるヒロインや、金魚すくいを巡る多くの人々と出会って成長してゆくストーリーで、映画版では尾上松也さん、百田夏菜子さんが主演を務めています。
他にも市を舞台にした映画には「茜色の約束 サンバdo金魚」があります。この作品は大和郡山市を盛り上げるべく、地元の協力者が集まって制作された作品です。市内に越してきた日系ブラジル人少年と、彼が恋心を抱く金魚の養殖場の娘を中心にした心温まるファンタジードラマです。地元出身の塩崎祥平監督が監督、脚本を務め、主人公役の長田たけしさん、大出菜々子さんをはじめ、中村獅童さん、三倉佳奈さん、笹野高史さん、国木田かっぱさんなどが出演しており、市内の名所も数多く映し出されています。

大和郡山市 の場所

奈良県大和郡山市は、奈良県の北西部に位置する市です。市域の北側を奈良市に、東側から南東側を天理市に、北西側を生駒市に、南西側から南側にかけてを生駒郡斑鳩町、安堵町、磯城郡川西町に接しています。
大和郡山市は古くより寺社勢力の領地として栄え、安土桃山時代から江戸時代にかけては郡山藩の城下町が形成され、金魚の産地としても知られるなど、歴史と文化が豊富な市です。交通網、鉄道網も充実しており、大阪府や京都市、また県内各地へのアクセスも便利で、ベッドタウンとしての発展も見られます。市内には市街地と史跡や自然が入り混じった風景が見られ、環境もよく、奈良県内でも非常に暮らしやすい市といえます。
大和郡山市の市章は、市制20周年を記念して1974年(昭和49年)9月7日に制定されました。図案は江戸時代中期より明治維新まで市域を治めた柳沢藩の家紋「郡山花菱」をデザイン化したものです。他にも同日に市の伝統産業、金魚を図案化した副章も制定されています。
大和郡山市の提携都市には、1992年(平成4年)1月22日に提携を結んだ山梨県甲府市があります。これは江戸時代、市域を治めた柳沢家が、元の領地であった甲府から郡山へ国替えになったことに由来します。
市の木はクロマツ(黒松)、副木はシダレヤナギ(枝垂柳)。市の花はキク(菊)、副花はヤマザクラ(山桜)です。どれも1969年(昭和44年)11月に市民の応募を元に選ばれたものです。
クロマツはマツ科マツ属の一種です。岩や砂ばかりの荒地でもよく育つことから砂浜や海岸、日本庭園に植樹されて絶景を作り出し、防風林、防潮林として利用される他、街路樹や庭木にもよく用いられます。また盆栽としても人気があります。樹高は40メートルに達することもありますが、自然のものでそこまで成長することは珍しくなります。名前は同じマツ属のアカマツ(赤松)と比べて黒っぽい樹皮であることに由来し、針葉もアカマツより硬く、枝振りも太いことから、別名「雄松(オマツ)」とも呼ばれます。一方のアカマツは「雌松(メマツ)」と呼ばれています。
ヤナギは、ヤナギ科ヤナギ属の樹木の総称で、日本では主にシダレヤナギを指すことが多くなります。漢字表記のうち、シダレヤナギ、ウンリュウヤナギ(雲竜柳)など枝が垂れ下がる種類には「柳」を、ネコヤナギ(猫柳)やイヌコウリヤナギ(犬行李柳)など、枝が立ち上がる種類には「楊」の字があてられ、万葉集でも区別されています。ヤナギは落葉性の樹木であり、種類によって高木から低木など形状は多様です。主に温帯に生育しますが寒帯にもみられ、高山やツンドラでは、ごく背の低い、地を這うような樹木となります。
ヤナギは水分の多い土壌を好み、川岸や湿地などによく生えています。自然の河川敷では、河畔林として大規模に生育していることもあります。日本では水辺に生育する種が多くなっていますが、山地に生育するものも少なくありません。
日本でヤナギといえば、街路樹、公園樹などのシダレヤナギが代表的なものですが、生け花では幹が曲がりくねったウンリュウヤナギや冬芽から顔を出す花穂が銀白色の毛をもつネコヤナギなども有名です。ヤナギは解熱鎮痛薬や歯磨き用の歯木として、古くから用いられています。歯木は中国や日本では主にカワヤナギ(楊柳)の枝で作られたことから、爪楊枝などの「楊枝」の語源になっています。
また湿地を好み強靭な根を張ること、強い生命力を持つことから、特にシダレヤナギが川や池のまわりに植えられます。シダレヤナギは日本の怪談、幽霊話などにつきものですが、これは湿気が多く水難事故を連想させる水辺に多く、その楚々として弱々しい風情や、風に揺れる枝が幽霊に見えるなどの要因からだと考えられます。
キクはキク科キク属の植物で、狭義にはイエギク(家菊)、栽培ギク(栽培菊)を示します。キクは観賞用としても古くから愛されている花です。日本で観賞用の多年草植物として園芸で発展してきた品種を和菊、西ヨーロッパで育種されて生まれた品種群を洋菊と呼びます。日本では奈良時代の末か平安時代のはじめに中国から導入されたと考えられており、平安時代に入ってから「古今和歌集」などで歌にも詠まれるようになりました。鎌倉時代のはじめには後鳥羽上皇が菊の花の意匠を好み「菊紋」を皇室の家紋としたことから、日本の秋の花として広まりました。また江戸時代には園芸植物として品種改良も進んでいます。
ヤマザクラはバラ科サクラ属の落葉高木で、日本に10種あるサクラ属の基本野生種の中でも代表的な種であり、和歌にも数多く詠まれています。サクラの中でも寿命が長く、樹高30メートルを超える大木になることもあり、実生するほど花の八重や香りが増します。ヤマザクラは同じ地域に生える木々でも個体変異が多く、樹の形、開花時期や花つき、葉と花の開く時期、花の色の濃などにさまざまな違いがあります。また「ヤマザクラ」は独立したひとつの種ですが、他の野生桜と混同されることも多く、野生桜の総称とされることや、カスミザクラ(霞桜)やエゾヤマザクラ(蝦夷山桜)の同種に見なされることもあり、注意が必要です。
大和郡山市のキャラクターには、市の青年会議所のマスコット「大和ゆかり」がいます。大和ゆかりは、金魚とアジサイ寺の矢田寺にちなんだ髪飾りをつけ、金魚柄の着物に金魚すくいのポイをもった女の子です。名前の由来は、「大和」は市名から、「ゆかり」は着物が大和郡山市「ゆかり」のものであることと、アジサイから来ています。市章入りの帯と帯揚げは「藍染」による藍色のもので、帯締めで市の木、クロマツを表しています。
大和ゆかりの特技は金魚すくいですが、手にするポイは恋愛や試験、その他のピンチなど何でも「救える」魔法のポイだそうです。人が集まる楽しい場所が大好きで、今日も大和郡山市を明るく元気にPRしています。
他にも市のマスコットキャラクターとして、名前は決まっていませんが、大和郡山市が理想とする都市像を、城下町の水の中を泳ぐ金魚で親しみやすくデザインしたものがあります。このキャラクターは公募により集まった555作品の中から、2002年(平成14年)8月18日に、京都市の橋山悦子さんの作品が選ばれたものです。

大和郡山市 の鉄道路線

奈良県大和郡山市の鉄道路線
西日本旅客鉄道(JR西日本)
関西本線(大和路線)
・郡山駅
・大和小泉駅
近畿日本鉄道(近鉄)
橿原線
・九条駅
・近鉄郡山駅
・筒井駅
・平端駅
・ファミリー公園前駅
天理線
・平端駅

奈良県大和郡山市のバス路線
・奈良交通(路線バス、観光バス、通学通園バス)
・日本交通(観光バス)
・大和郡山市コミュニティバス(路線バス:元気城下町号、元気治道号、元気平和号)
・安堵町コミュニティバス(路線バス)
・奈良交通、京成バス(夜間高速バス:五位堂駅発東京ディズニーリゾート・海浜幕張駅行き(近鉄郡山駅・本厚木駅・横浜駅(YCAT)・京成上野駅経由)やまと号)

大和郡山市 の主要道路

奈良県大和郡山市の主要道路
高速道路・自動車専用道路
・西名阪自動車道(大和まほろばスマートIC‐郡山下ツ道JCT‐郡山IC‐天理TB/PA)
・京奈和自動車道(大和郡山北IC(事業中)‐大和郡山IC(事業中)‐郡山下ツ道JCT)
国道
・国道24号
・国道25号
・国道308号
主要地方道
・大阪府道・奈良県道7号枚方大和郡山線
・奈良県道9号奈良大和郡山斑鳩線
・奈良県道41号奈良大和郡山線
・奈良県道51号天理環状線
一般県道
・奈良県道108号大和郡山広陵線
・奈良県道109号天理斑鳩線
・奈良県道123号大和小泉停車場松尾寺線
・奈良県道144号大和郡山上三橋線
・奈良県道189号矢田寺線
・奈良県道192号福住横田線
・奈良県道193号筒井二階堂線
・奈良県道249号大和郡山環状線
・奈良県道266号奈良西の京斑鳩自転車道線
・京都府道・奈良県道754号木津横田線

大和郡山市 出身の芸能人

奈良県大和郡山市出身の著名人には、アイドルグループ「TOKIO」最年長のリーダーで、出生は千葉県市原市。俳優、タレント、ミュージシャン、司会者など多才な活躍を見せる城嶋茂さん。映画「らせん」の山村貞子役など数々な映画、テレビドラマ、舞台などで活躍する女優の佐伯日菜子さん。関西を中心に活躍するタレントで、格闘ゲーム「サムライスピリッツ」シリーズの色の声などを演じ、大和郡山市観光大使「元気城下町大使」も務める南かおりさん。劇団カムカムミニキーナを主宰する演出家、劇作家、俳優の松村武さん。「夏祭り」などの曲で知られる音楽バンド「JITTERIN'JINN」メンバーの春川玲子さん、破矢ジンタさん。元メンバーの浦田松蔵さん。音楽グループ「moopie」のギタリストで作曲家としても活躍する新川成貴さん。ホリプロ所属のマネージャーであり、鉄道マニアとして鉄道関連の活動も行う南田裕介さん。南海放送(RNB)アナウンサー、ラジオプロデューサーの藤田勇次郎さんと、同局アナウンサーの松岡宏忠さん。元ウェザーニューズの契約キャスターで気象予報士、防災士である木島由利香さん。やはり気象予報士、防災士の三宅惇子さんなどがいます。
その他分野では、民法学者で裁判官、弁護士を務めた法学博士の石田文次郎博士。心理療法である内観法(内観療法)の創始者で、僧侶、刑務所の教誨師としても活躍した吉本伊信さん。奈良市または大和郡山市の出身といわれ、アジア初のノーベル化学賞を受賞した化学者の福井謙一博士。公明党顧問で元参議院議員の白浜一良さん。男性看護師として初の国会議員となった参議院議員の石田昌宏さん。明治時代の官僚で、官選では最後の群馬県知事、福岡県副知事を歴任した奥田良三さん。近畿日本鉄道社長でゴルフ好きであった富和宗一さんなどが大和郡山市の出身です。
スポーツ界の大和郡山市出身者には、プロ野球界に、読売ジャイアンツの元内野手、外野手で、現在は同球団の一軍外野守備塁コーチである亀井善行さん。西武ライオンズの元投手である大島寛さん。大阪エヴェッサ、高松ファイブアローズなどに所属した元プロバスケットボール選手で、現在は同競技コーチを務める喜多誠さん。容姿が大阪市浪速区の新世界で見られる幸運の神様に似ており、その名である「ビリケン」の愛称をもつプロゴルファー、藤本佳則プロ。大橋ボクシングジム所属のプロボクサーで、第50代OPBF東洋太平洋バンダム級王者である中島一輝選手などがいます。
市域出身の歴史上の人物では、前述した戦国武将の筒井順昭、筒井順慶や、「古事記」編纂者の一人といわれる飛鳥時代から奈良時代にかけての官人ながら、実像は不明で女性説もある稗田阿礼などが有名です。

大和郡山市 町域別対応エリア

ア行

朝日町(アサヒチョウ)、池沢町(イケザワチョウ)、池之内町(イケノウチチョウ)、石川町(イシカワチョウ)、泉原町(イズミハラチョウ)、櫟枝町(イチエダチョウ)、伊豆七条町(イヅシチジョウチョウ)、井戸野町(イドノチョウ)、藺町(イノマチ)、今井町(イマイマチ)、今国府町(イマゴウチョウ)、植槻町(ウエツキチョウ)、魚町(ウオマチ)、永慶寺町(エイケイジチョウ)、大江町(オオエチョウ)、大宮町(オオミヤチョウ)

カ行

柏木町(カシワギチョウ)、上三橋町(カミミツハシチョウ)、冠山町(カンザンチョウ)、観音寺町(カンノンジチョウ)、北鍛冶町(キタカジマチ)、北郡山町(キタコオリヤマチョウ)、北大工町(キタダイクマチ)、北西町(キタニシチョウ)、九条町(クジョウチョウ)、九条平野町(クジョウヒラノチョウ)、車町(クルママチ)、小泉町(コイズミチョウ)、小泉町東1(コイズミチョウヒガシ1)、小泉町東2(コイズミチョウヒガシ2)、小泉町東3(コイズミチョウヒガシ3)、小林町(コバヤシチョウ)、小林町西1(コバヤシチョウニシ1)、小林町西2(コバヤシチョウニシ2)、小林町西3(コバヤシチョウニシ3)、小南町(コミナミチョウ)、紺屋町(コンヤマチ)

サ行

堺町(サカイマチ)、材木町(ザイモクマチ)、雑穀町(ザコクマチ)、塩町(シオマチ)、椎木町(シギチョウ)、下三橋町(シモミツハシチョウ)、昭和町(ショウワチョウ)、白土町(シラツチチョウ)、城の台町(シロノダイチョウ)、城見町(シロミチョウ)、新紺屋町(シンコンヤマチ)、新庄町(シンジョウチョウ)、新中町(シンナカマチ)、新町(シンマチ)、城町(ジョウチョウ)、城内町(ジョウナイチョウ)、城南町(ジョウナンチョウ)、城北町(ジョウホクチョウ)、杉町(スギマチ)、千日町(センニチチョウ)

タ行

高田口町(タカダグチチョウ)、高田町(タカダチョウ)、田中町(タナカチョウ)、丹後庄町(タンゴノショウチョウ)、代官町(ダイカンチョウ)、茶町(チャマチ)、長安寺町(チョウアンジチョウ)、筒井町(ツツイチョウ)、天井町(テンジョウチョウ)、天理町(テンリチョウ)、洞泉寺町(トウセンジチョウ)、豆腐町(トウフマチ)、外川町(トガワチョウ)、豊浦町(トヨウラチョウ)

ナ行

中鍛冶町(ナカカジマチ)、中城町(ナカジョウチョウ)、奈良町(ナラマチ)、新木町(ニイキチョウ)、西岡町(ニシオカマチ)、西観音寺町(ニシカンノンジチョウ)、西田中町(ニシタナカチョウ)、西奈良口町(ニシナラグチチョウ)、西野垣内町(ニシノガイトチョウ)、西町(ニシマチ)、額田部北町(ヌカタベキタマチ)、額田部寺町(ヌカタベテラマチ)、額田部南町(ヌカタベミナミマチ)、野垣内町(ノガイトチョウ)

ハ行

八条町(ハチジョウチョウ)、発志院町(ハッシインチョウ)、番匠田中町(バンジョウタナカチョウ)、番条町(バンジョウチョウ)、稗田町(ヒエダチョウ)、東岡町(ヒガシオカマチ)、東奈良口町(ヒガシナラグチチョウ)、藤原町(フジワラチョウ)、本庄町(ホンジョウチョウ)、本町(ホンマチ)

マ行

馬司町(マツカサチョウ)、満願寺町(マンガンジチョウ)、南井町(ミナミイチョウ)、南鍛冶町(ミナミカジマチ)、南郡山町(ミナミコオリヤマチョウ)、南大工町(ミナミダイクマチ)、美濃庄町(ミノショウチョウ)、箕山町(ミノヤマチョウ)、宮堂町(ミヤドウチョウ)

ヤ行

矢田町(ヤタチョウ)、矢田町通(ヤタマチドオリ)、矢田山町(ヤタヤマチョウ)、柳町(ヤナギマチ)、柳1(ヤナギ1)、柳2(ヤナギ2)、柳3(ヤナギ3)、柳4(ヤナギ4)、柳5(ヤナギ5)、柳6(ヤナギ6)、山田町(ヤマダチョウ)、横田町(ヨコタチョウ)

ワ行

若槻町(ワカツキチョウ)、綿町(ワタマチ)

大和郡山市 の施工事例

アンテナ本体 型番

  • デザインアンテナ

    型番:UAH201(最新モデル)
    (同軸ケーブル:白か黒の2色のうち、おすすめは外壁になじむ色)

    工事費込み 20,000円(税込)

    カラーバリエーションはオフホワイトライトブラウンスーパーブラックブラックブラウンの4色から現場で選択することが可能です。同じUHF20素子相当のデザインアンテナを比較した場合、業界トップクラスの受信性能、高利得を誇る大手DXアンテナ社製。本体の厚みはわずか119mm、サイズは高さ590mm×幅220mmで業界最小クラス。コンパクトサイズのため狭い屋根裏や天井裏などへの取り付けも最適。壁面に取り付けの場合は、極細のビスを6箇所打ち込んで金具を取り付け、金具にガチャンと本体をはめ込みボルトを締めるだけの簡単施工が可能なため建物へのダメージを極力軽減できます。ブースターが必要な場合はUAH201の背面にスッキリ取り付けられる構造になっており、表にブースターが露出しないので外観もキレイに保てます(弊社では電波状況が悪くない限り、なるべくブースターも屋内の、分配器の近くに隠してしております)。修理の場合、ブースター内蔵タイプのデザインアンテナとは異なり、ブースターだけの交換をできるメリットがあります。太陽光発電システムや片流れ屋根で屋根上に屋根馬を立てられず昔ながらの八木アンテナを設置できない住宅にも最適。耐風速(破戒風速)50m/sですが、屋内や外壁など、強風の影響を受けにくい取り付け位置と形状をしているため、災害にも強いアンテナとなっております。当店人気ナンバー1の地デジアンテナでございます。

  • 八木アンテナ

    型番:UA20(最新モデル)
    工事費込み 15,000円(税込)

    その昔、八木秀次博士が発明した形状(魚の骨のような形状)からマイナーチェンジを繰り返し洗練されたフォルムとなり、中・弱電界エリアにも対応可能な安心のDXアンテナ社製。UHF20素子アンテナの性能で、吹きさらしで障害物の少ない屋根上に設置することが多いため利得が高くなっております。万が一、壁面や屋内でデザインアンテナを取り付けられない物件 にも最適。従来の鉄製の太いワイヤーとは異なり、ステンレス製の丈夫で錆びにくいワイヤー(支線)を採用。アンテナマストから屋根の四隅に向けて4本の支線を張り巡らせ、さらに張り巡らせた支線の途中からも屋根馬に向けて4本の支線をバランスよく張り、合計8本の支線で頑丈に設置しております。サイズは51.8cm×34cm×101.4cmとなっており、VHF(アナログアンテナ)と比較して、大幅なサイズダウンと軽量化がなされています。しかも耐風速(破壊風速)50m/s。地デジ放送が始まる前の時代より、屋根上に設置するアンテナは災害に強くなっていると言えるでしょう。当店で人気ナンバー2の地デジアンテナでございます。

  • 2K4K8K対応 BS/CS110度アンテナ

    型番:BC45AS(最新モデル)
    工事費込み 15,000円(税込)

    2018年12月1日以降、実用放送開始予定の4K8K衛星放送(NHKのみ4K&8Kを同時配信)に備えてオールマイティーなDXアンテナ社製のBC453をBS放送、CS放送をご覧になりたいすべての方へ提供しております(大規模な集合住宅は例外)。従来の2K専用BS/CS110 度アンテナと同じでサイズで円盤の直径は45センチ。そうでありながら、電送周波数の帯域が広いため、従来のフルハイビジョン(2K放送・約200万画素)からスーパーハイビジョン(4K放送・約800万画素/8K放送・約3,300万画素)まで受信可能です。「大は小を兼ねる」と言えます。2020年のオリンピックに向けて4K8Kの実用放送がますます拡充されるということが総務省より発表され、各メーカーの4K8Kテレビは増産がはじまり、その価格も落ち着いてきました。そのような状況のなか、あさひアンテナにも2K4K8K対応BS/CS110度アンテナの問合せが数多く寄せられております。最新式のアンテナでも、大量仕入れでコストをおさえて仕入れておりますので、低価格を実現できました。