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京都府の地勢と人口

京都府は日本列島のほぼ中央、やや北西寄りに位置する府です。府の面積は4,613.21平方キロメートルで、日本全体の面積の約1.2パーセントを占めており、日本の47都道府県の中では31番目の大きさになります。府域は北西から南東に約140キロと細長く、北側は丹後半島と舞鶴湾、若狭湾で日本海に面しています。また北東を福井県に、東側を滋賀県に、南東側を三重県に、南側を奈良県に、南西側を大阪府に、西側を兵庫県に接しています。
令制国における山城国の全域と、丹波国の東部、丹後国の全域が京都府の府域にあたり、府庁によって、北部より丹後地域(宮津市、京丹後市、与謝郡の伊根町と与謝野町)、中丹地域(舞鶴市、綾部市、福知山市)、南丹地域(亀岡市、南丹市、船井郡京丹波町)、京都市域(京都市)、山城地域(向日市、長岡京市、乙訓郡大山崎町、宇治市、城陽市、八幡市、京田辺市、久世郡久御山町、綴喜郡の井手町と宇治田原町、木津川市、相楽郡の笠置町、和束町、精華町、南山城村)の5つの地域圏に分けられています。
また保健所と土木事務所の管轄では丹後、中丹東、中丹西、南丹、京都市、乙訓、山城北、山城南の8ヶ所に分けられる他、観光地域としては海の京都、森の京都、京都市、竹の里・乙訓、お茶の京都といった地域分類もあります。
丹後、中丹地域に延びる海岸線は、変化に富むリアス式海岸であり、豊富な景勝地や天然の良港に恵まれています。府域の北部には丹後山地が位置し、中丹地域から府の中部までは大部分が山地にあたります。
府の中央部に丹波高地が位置し、そこを源に桂川水系、由良川水系の河川に別れ、その流域に北部の福知山盆地、中部の亀岡盆地、その他の小盆地が点在しています。また南部には京都盆地があり、府の中心市街地である京都市の市街地を形成しています。また京都市南部から山城地域の乙訓、山城中部にかけての地域は、桂川、宇治川、木津川の三川合流を要にした山城盆地が広がっています。
府域全体では標高1,000メートル以下の低山地帯を形成しており、府の面積の75パーセント以上が山地、丘陵地にあたります。
府内の主な山岳には比叡山、愛宕山、皆子山、長老ヶ岳、三国岳、大江山、三岳山などが、主な河川には淀川水系の桂川、宇治川、木津川、鴨川、高野川。由良川水系の由良川、土師川、牧川。また竹野川などがあります。主な島嶼には冠島、沓島などがあります。
京都府内には、15市6郡10町1村が存在します。町の読み方はすべて「ちょう」であり、村は南山城村のみで「むら」と読みます。
2021年(令和3年)12月1日時点での京都府の総人口は、2,558,766人。うち男性が1,221,550人、女性が1,337,216人になります。また府内には 1,193,651世帯が暮らしています。そのうち府庁所在地である京都市の総人口が1,451,958人、うち男性が686,071人、女性が765,887人。市内の世帯が730,931世帯と約56パーセントを占めており、都道府県内における都心部への人口の集中率は、東京都以外の道府県では第1位となります。なお東京都を含めると、東京都特別区(23区)が第1位で、都内の人口のおよそ2/3が集まっています。

京都府 の方でアンテナ工事に関するよくある質問

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京都府の気候

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京都府の気候は、そのほぼ中央に位置する丹波山地を境に、府の北部は日本海側気候、宇治市より南は内陸型の瀬戸内海式気候に分かれています。さらに舞鶴市、綾部市および丹後は海洋性気候、それ以外は内陸性気候となっています。また府の北部を中心に豪雪地帯が広がっており、北部の山間部は日本でも有数の豪雪地帯です。上世屋、木子などでは冬場の積雪が2メートルを超えることも珍しくありません。
京都市の都心部は京都盆地(山城盆地)に位置するため、太平洋側気候と日本海側気候、内陸性気候を併せ持ち、夏と冬、昼と夜とで温度差が大きくなります。一般に「京の底冷え」といわれるように、京都の冬の寒さは厳しいイメージがありますが、日本の主要都市や関西で比べても特に気温が低いわけではなく、現在では京都の中心街はヒートアイランド現象が見られ、底冷えにはなりません。一年でもっとも冷える1月の京都市内の平均気温は4.6℃、平年最低気温は1.2℃であり、奈良や大津よりも高くなっています。積雪も市街地では数センチ程度のことがほとんどですが、まれに十数センチ以上の積雪となることもあります。
しかし京都市内でも郊外は中心部に比べて寒さは厳しくなり、同じ盆地内でも北の方ほど寒くなります。例えば市内中心部では降雪がなくとも、左京区の岩倉や大原、北区の原谷などでは積雪や氷点下となっていることもあります。
また夏場は非常に暑さが厳しく、日中の気温が非常に上がりやすくなっており、39℃台の記録も多く見られます。
京都市の市街地に限れば、一年を通して大阪市よりはやや気温が高く雨量が多い。名古屋市よりわずかに気温が低く雨量も少ない、といった気候になります。ただ市街地も丹波高地の影響を受けて、太平洋側気候と日本海側気候の境目であるため、他の近畿地方の主要都市よりも気候が不安定で、夏は大気の不安定さや湿った空気、冬は日本海からの雨雲や雪雲などで曇りがちとなり、にわか雨も多くなります。

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京都府の歴史

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京都府は、千年以上にわたって都が置かれた「古都」として知られています。今日の京都府の府域では、弥生時代の前期には、西南部の山城地方に弥生文化が伝播していたことが、長岡町の雲ノ宮遺跡、鶏冠井遺跡の発掘調査により判明しています。
古墳時代の4世紀から5世紀頃には、丹後半島付近に蛭子山古墳、網野銚子山古墳などを築く勢力が現れています。京都府で確認されている古墳や横穴は、兵庫県、鳥取県に次いで多い数になります。
飛鳥時代の継体天皇5年(511年頃?)には、継体天皇が現在の京田辺市多々羅と推定される筒城宮へ遷都。継体天皇12年(518年頃?)にはやはり継体天皇が長岡京市今里のあたりと推定される乙訓宮へ遷都したと考えられています。
奈良時代の和銅6年(713年)には、丹波国から分離して丹後国が設置されます。そして天平12年(740年)に聖武天皇が、今日の奈良県奈良市、大和郡山市にあたる平城京から、現在の木津川市にあたる恭仁京へ遷都。その後、延暦3年(784年)には桓武天皇が、再遷都された平城京から、今日の向日市にあたる長岡京へと遷都しています。
そして延暦13年(794年)には、長岡京から今日の京都市の中心市街地にあたる平安京へと遷都され、平安時代がはじまります。以降、平安京は明治維新により首都が東京に移るまで、千年以上にわたって日本の首都であり続けました。
平安京といえば、一般には東西に碁盤の目のような通りが走る整然とした都市だったと考えられていますが、建設がはじまってから12年後、805年(延暦24年)に、計画されていた右京区のおよそ半分が未完成のまま、平安京の建設は終了しています。そのため近年の研究では、左京に偏った都市であったと考えられています。その後、律令制が形骸するにつれ、平安京も本来の領域にとらわれない、鴨川と大内裏、御所を中心とした都市となり、経済的に発展してゆきます。
鎌倉時代にも京の朝廷は政治的な役割を果たしていましたが、東国支配を強める鎌倉殿に、朝廷は1185年(文治元年)、守護・地頭の設置を認め、鎌倉幕府が全国的な支配力を得たため、京都は経済都市としての性格を強めます。
鎌倉幕府滅亡後には京で後醍醐天皇による建武の新政が行われます。その後、新政から離反した足利尊氏が北朝を立て、南北朝時代となると、何度も京都争奪戦が行われます。南朝が衰微して室町時代になると、京に室町幕府が置かれてふたたび政治の中心となる一方、経済的な発展も果たし、町衆と呼ばれる有力市民による自治の伝統が生まれます。
戦国時代には、その端緒となる応仁の乱で京の市外、特に北側の大半を焼かれ、その後も何度も戦乱に巻き込まれて上京と下京に分かれた小規模な都市になるなどしますが、安土桃山時代、1568年(永禄11年)に、織田信長が室町幕府15代将軍、足利義昭を奉じて上洛後、徐々に京の都は復興に向かいます。元亀4年(1573年)には信長により足利義昭が京から追放され、室町幕府は事実上、滅亡します。
天正7年(1579年)には、信長の家臣である武将、明智光秀が丹波国を平定し、現在の福知山市に福智山城を築きます。光秀は前年の1578年(天正6年)には、現在の亀岡市に亀山城を築城しており、丹波一国の国主となっています。
明智光秀といえば、1582年(天正10年)の本能寺の変において、当時は現在の元本能寺町南町に位置した本能寺に宿泊していた主君、織田信長を討ったことで知られています。しかし領地であった丹波では、領民を愛し善政を敷いた名君ともいわれ、現在でも亀岡市、福知山市では光秀を慕う祭りなどが行われています。
本能寺の変の後、現在の岡山県岡山市に位置した毛利氏の備中高松城を攻めていた羽柴秀吉は、本能寺の変の情報をつかむと、いわゆる中国大返しで迅速に畿内へと帰還。現在の京都府大山崎町と大阪府島本町にまたがる一帯、天王山の麓の山崎で明智軍と激突します。これを山崎の戦い、古くは天王山の戦いといい、成句「天王山」の由来にもなっています。
戦いは秀吉軍の勝利に終わり、光秀は居城である坂本城を目指して落ち延びる途中、現在の京都市伏見区、小栗栖の藪で農民の落ち武者狩りに遭って死亡したとされていますが、生存説も存在します。
その後、1585年(天正13年)には、秀吉は関白に叙任され、豊臣秀吉となります。翌1586年(天正14年)には、秀吉は現在の京都市上京区に政庁、兼、邸宅である聚楽第を造営します。また寺町を造り、京を取り囲む延長20キロ余りの土塁(土手)である御土居を造築する。京の通りの新設と町割りの変更である天正の地割を行うなど、京都の大改造を実施しています。
1592年(天正20年)には、秀吉は、聚楽第と関白の地位を甥の豊臣秀次に譲り、現在の京都市伏見区に隠居所である伏見城(指月城)を築城し、実質的な政治の中心地は京都から伏見へと移ります。その後、1593年(文禄2年)に秀吉の実子である豊臣秀頼が誕生。1595年(文禄4年)には謀反の疑いによって秀次は切腹を命じられ、聚楽第は徹底的に破却されています。
伏見城は1596年(文禄5年・慶長元年)の慶長大地震により全壊しますが、木幡山城としてすぐに再建されています。そして1598年(慶長3年)に秀吉は伏見城にて没します。
1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いの際、伏見城は西軍の攻撃を受けて焼失しますが、翌1601年(慶長6年)には徳川家康によって再建されます。また1600年には徳川幕府による京都所司代が設置され、奥平信昌がその初代を務めています。
1603年(慶長8年)には、徳川氏は上洛時の宿所として二条城を築城します。同年、徳川家康は伏見城にて将軍宣下を受けて徳川幕府が成立し、江戸時代がはじまります。
江戸時代には政治の中心は江戸、商業の中心は天下の台所である大坂になりますが、京都は文化、工芸の中心地として人口が50万人を超え、江戸、大坂に次ぐ都市として繁栄します。また徳川幕府だけでなく、各藩も京都に藩邸を構えて朝廷および各藩同士での外交を行ったため、京都は独特の地位を有する都市となります。
そして幕末、黒船来航にはじまる諸外国への開国から、江戸幕府大老、井伊直弼による反対派への弾圧である安政の大獄と、井伊直弼が暗殺された桜田門外の変により、徳川幕府の権威や信頼性は失墜。京には倒幕思想を持つ尊王攘夷派の武士、いわゆる勤王の志士が集まり、それぞれの思想や派閥、陣営ごとに敵対する人物を暗殺する「天誅」が横行し、治安が極めて悪化します。
一方、徳川幕府は、会津藩主、松平容保を京都守護職に任命。清川八郎の呼びかけによって江戸で結成され、上洛した浪士組のうち、京の壬生村(現在の京都市中京区壬生)に残った試衛館道場の近藤勇、土方歳三一派と、水戸藩浪士の芹沢鴨一派による「壬生浪士組(精忠浪士組)」が、会津藩預りとして京の市中警備と不逞浪士の取り締まり任務に就きます。
当初は芹沢鴨一派が、金策を断った京都の商人に対し焼き討ちを行うなどの乱暴も行いますが、八月十八日の政変においての警備で働きを評価され、新たな組織名「新選組」を拝命します、ちなみに八月十八日の政変とは、1863年(文久3年)に、薩摩藩と会津藩が手を結び、朝廷内から公卿7人を含む長州藩系の尊王攘夷派を一掃したクーデターのことで、七卿落ちとも呼ばれます。
その後、新選組は内部で近藤一派が芹沢一派を粛清し、近藤勇を局長とする体制で再編されます。京都における新選組の活躍では、1864年(元治元年)6月5日の池田屋事件がよく知られています。
池田屋事件とは、新選組が、商人として活動していた志士、古高俊太郎の逮捕により、八月十八日の政変で苦境に陥った主に長州藩の尊王攘夷派の志士たちが巻き返しのため、京都御所に火を放ち、その混乱に乗じて一橋慶喜や松平容保など幕府首脳を暗殺。孝明天皇を長州へ動座させる(連れ去る)という計画を察知。市中探索により、現在の京都市中京区河原町三条に位置する旅籠、池田屋で行われた尊王攘夷派の謀議に、新選組が単独で切り込み、多くの志士を斬り捨て、捕縛したという事件です。
池田屋事件といえば、新選組を題材にした多くのフィクションでも一番の見せ場となる事件ですが、志士側の京都放火計画については、新選組による誇張、捏造という説も存在します。また同年8月20日に、尊王攘夷の急進派である長州藩勢が挙兵し、徳川幕府方の会津藩や薩摩藩などと京で交戦した禁門の変(蛤御門の変)が起こっています。京の町で行われた大規模な合戦としては安土桃山時代以来となるこの変でも、新選組が活躍しています。
また新選組は内部粛清の多さでも知られており、1867年(慶応3年)には、現在の京都市郊外、南区に位置する、鴨川にかかる銭取橋(勧進橋)で、五番隊隊長、武田観柳斎が暗殺されている他、同年11月には、現在の下京区にあたる油小路の一角で、新選組から分離して御陵衛士を結成した伊東甲子太郎と藤堂平助、毛内有之助、服部武雄らが暗殺される油小路事件が起きています。その後、12月には伏見区の墨染で二条城から帰る近藤勇が、御陵衛士の残党に狙撃され重傷を負っています。
一方、今日でも幕末の志士側でもっとも広く知られる人物といえば、土佐藩浪士で海援隊を結成した坂本龍馬です。龍馬が京都で関わった事件としては、薩長同盟の斡旋後、現在の伏見区に存在した旅籠、寺田屋にて、幕府の取り手に襲撃され、拳銃で応戦するも傷を負った寺田屋事件が知られています。
ちなみにその後、龍馬は西郷隆盛の斡旋により、妻のお龍と共に薩摩藩、現在の鹿児島に滞在し、事件での負傷を癒すべく各地で湯治などを行い、これを日本初の新婚旅行とする説もあります。また寺田屋では、1863年(文久3年)に薩摩藩が過激な尊王攘夷派の藩士を粛清しており、この事件も寺田屋事件と呼ばれることがあります。
そして翌1867年2月10日には、現在の京都市中京区河原町通に存在した近江屋において、坂本龍馬と中岡慎太郎が暗殺される近江屋事件が起こっています。犯人については、新選組と同じく京都市中の警備を行う幕府の組織、見廻組の佐々木只三郎らが、寺田屋事件の罪人として襲撃したという説が有力ですが、他にも諸説あります。
その後、薩摩藩、長州藩が武力による倒幕を目指す中、徳川幕府第15代将軍、徳川慶喜は二条城において1867年、政権を朝廷に返上する大政奉還を行い、徳川幕府の歴史は終了。同時に倒幕派の大義名分も消滅します。
しかし討幕派の策謀により、1868年(慶応4年・明治元年)に、現在の京都市南区にあたる上鳥羽、伏見区にあたる下鳥羽、竹田、伏見、八幡市の橋本などで、戊辰戦争の初戦となる鳥羽・伏見の戦いが勃発。新選組もこの戦いに参加しますが、多くの隊士が戦死。その後、新選組は軍艦で江戸へと移動。甲州(山梨県甲州市)、流山(千葉県流山市)、会津、蝦夷(北海道)などと転戦することになります。
また大政奉還により政権が朝廷に返上されたことで、1868年には、京都に新政府が誕生し京都府が置かれます。
同年には東京が江戸と改称して天皇が東京に入り、翌1869年(明治2年)には政府も東京に移される、東京奠都(とうきょうてんと)が行われます。一般的にはこれにより京都は首都としての役割を終え、現在でも日本の首都は東京だと考えられています。
しかし当時の行幸時に複都制との勅令が出ていることや、現在も京都御所は保存され、天皇の玉座「高御座」が常設されていること。また現在、日本の首都を明確に定めた法令が存在しないことなどから、京都府は現在でも日本の首都であるという主張も存在します。
その後、1871年(明治4年)の廃藩置県と、1876年(明治9年)の第2次府県統合によって、現在の京都府域がほぼ確定します。
また明治期には日本初の電車(京都電気鉄道)が運行をはじめ、京都帝国大学(現在の京都大学)が設立されるなど、さまざまな歴史と文化財、史跡などを残しつつも近代化が進み、今日の京都府へといたっています。

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現在の京都府

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今日の京都府の府章は、古都の格調高い土地柄を表す六葉形の中央に「京」の文字を人型の模様にして配置し、全体で京都府民のまとまりとその力の結びつきを表現したものです。府旗が府章を中央に配置し、色は赤紫、府章は白と赤金で描かれています。この府章は1976年(昭和51年)11月2日に、府民への公募から選ばれて制定されたものです。
京都府の木は北山杉。府の花は枝垂れ桜。府の草花は嵯峨菊と撫子。府の鳥はオオミズナギドリ(大水凪鳥)です。
北山杉は京都市北区中川を中心に生産される杉で、その杉林や丸太の木肌の美しさには独特の風格があります。天に向かってまっすぐ伸びる北山杉の姿は、伸びゆく京都のシンボルでもあります。この府の木は1966年(昭和41年)9月16日に制定されました。
枝垂れ桜は、広義では枝が柔らかに枝垂れる桜の総称であり、狭義では特定のエドヒガン系統の枝垂れ性の栽培品種のことです。別名「いと桜」と呼ばれ、流れるような枝の柔らかさと、淡い紅色の花をつけた姿の美しさは京情緒そのものであり、たおやかさの中にも風雪に耐え抜く芯の強さを備えた姿は、まさに京都人の気質を体現しているともいえます。この府の花は1954年(昭和29年)3月22日に制定されたものです。
嵯峨菊は京都嵯峨の地が発祥の古典菊で、その名前も京都を強く象徴するものです。菊はキク科の多年草であり、濃い赤色や桃色、白色、黄色など多彩な花を、10月から11月にかけて開花させます。
撫子はナデシコ科の多年草で河原撫子の別名、またはナデシコ科の花の総称です。古典によく詠まれる他、鴨川の河原には河原撫子が自生し、古来より京都府民に愛されている花です。近年では女子高生たちのキャンプを描いた人気漫画で、アニメ化もされた「ゆるキャン△」の主人公の一人「各務原なでしこ」でも知られています。撫子は3月から11月にかけて、紅色や桃色、白色などのさまざまな花が咲き、京都を彩ります。府の草花は1990年(平成2年)3月6日に制定されたものです。
オオミズナギドリはミズナギドリ目ミズナギドリ科オオミズナギドリ属に分類される鳥類で、日本のミズナギドリ科の中では最大種です。渡り鳥として舞鶴市の島、冠島に2月から11月頃まで生息し、飛来数はおよそ20万羽と推定されています。海鳥ながら木に登って飛び立つという特徴があり、この地方の漁師は、魚群の位置を教えてくれることから「サバ鳥」と呼んで大切にしています。府の鳥は1965年(昭和40年)5月10日に制定されました。
現在の京都府は京都市を中心に、古都としての歴史と伝統があり、史跡や文化財なども豊富で、今日では世界的な人気を持つ観光地でもあります。京都府内の具体的な名所、旧跡を挙げると枚挙に暇がありませんが、フィクションなどでも、特に平安時代や、織田信長、豊臣秀吉などの安土桃山時代。幕末、新選組や坂本龍馬ら幕末の志士などを描く歴史作品には必然的に京都が登場します。
また現代劇でも、風情ある京都の景観や豊かな文化背景が好まれ、京都を舞台にする作品は数多くあります。有名なところでは、京都府警の音川音次郎警部補を主人公に描く和久俊三さんの推理小説シリーズで、藤田まことさん主演の二時間ドラマでも知られる「京都殺人案内」シリーズ。また沢口靖子さん主演「科捜研の女」シリーズをはじめ、橋爪功さん主演「京都迷宮案内」。名取裕子さん主演「京都地検の女」。船越英一郎さん主演「その男、副署長」など、テレビ朝日「木曜ミステリー」枠の多くの作品も京都を舞台にしています。
このように京都を舞台にした、特に映像作品が多いのは、文化、歴史的な背景はもちろん、京都は古くから映画の街であったという要素も挙げられます。京都府は「日本映画の故郷」とも呼ばれる地でもあるのです。
明治時代、近代化が進む京都に、地元出身の実業家、稲畑勝太郎さんがフランスで発明されたシネマトグラフ(カメラ付き映写機)を持ち込み、四条河原町に近い京都電燈株式会社の庭で、日本初の活動写真(無声映画)の試写実験に成功したのは1897年(明治30年)のことです。その後、1901年(明治34年)には、後に「日本映画の父」と呼ばれる日本初の職業的映画監督、牧野省三さんが、自身が経営する演芸小屋「千本座」を、京都初の映画上映館として運営。人々の娯楽としての映画が定着してゆきます。
1903年(明治36年)には、稲畑氏から興行権を譲り受けた横田万寿之助さん、永之助さん兄弟により、後の日活の前身であり、牧野さんに最初に映画製作を依頼した映画会社、横田商会が発足します。そして1923年(大正12年)の関東大震災により、東京から多くの撮影所が京都へと移転し、京都は映画製作の一大拠点となります。
1926年(大正15年)には当時の映画スターであり、俳優の田村高廣さん、田村正和さん、田村亮さんの父としても知られる阪東妻三郎さんが、京都市右京区太秦にはじめて撮影所を開設。最盛期には太秦に20を超える撮影所が稼動し、時代劇を中心に毎週1作のペースで制作されました。当時の太秦は竹藪に覆われた集落でしたが、そのため広い土地が安く確保できたことや、時代劇のセット作りに必要な材木屋が多かったなど、映画撮影に好条件がそろっていました。
また京都市内には社寺などの歴史的建造物が多く、ロケ地に恵まれていたことから、京都の映画製作は、昭和のトーキー(発声映画)時代には時代劇をはじめ多くの傑作が生み出される黄金期となり、太秦は「日本のハリウッド」とも称されます。昭和中期以降は、テレビの普及により映画は下火となりますが、代わってテレビ時代劇、ドラマなどの制作が盛んにあります。
現在、太秦には、東映京都撮影所と松竹京都映画撮影所が存在します。東映京都撮影所は、前述の坂東妻三郎さんの撮影所を前身とする映画会社、東映の撮影所であり、敷地内にはオープンセットを公開するテーマパーク、東映太秦映画村も存在します。
この撮影所では工藤栄一監督「十三人の刺客」や、深作欣二監督「仁義なき戦い」「柳生一族の陰謀」など数々の名作映画をはじめ、テレビ作品では「暴れん坊将軍」「三匹が斬る!」などの人気時代劇や、前述の「科捜研の女」など木曜ミステリー枠作品、その他、数多くの作品を現在でも制作しています。また日曜朝に放送されるいわゆる「ニチアサ」の特撮、アニメ番組「プリキュア」「仮面ライダー」「スーパー戦隊」の各シリーズでも太秦映画村でロケを行う、また舞台にした作品がしばしば制作されています。
さらにその歴史から、東映京都撮影所自体を題材にした映画なども多く、有名なものでは、つかこうへいさんの戯曲・小説を深作欣二監督が映画化した、風間杜夫さん演じる時代劇スターと、平田満さん演じるその子分のような大部屋役者、ヒロインの松坂慶子さんの関係を描く「鎌田行進曲」。また時代劇の斬られ役をはじめ無名の端役を数多く演じ続け、ついには映画「ラストサムライ」でハリウッド進出を果たすなど「五万回斬られた男」と呼ばれた俳優、福本清三さん初にして唯一の主演作で、福本さん自身をモデルにした斬られ役の俳優、加美山清一と、山本千尋さん演じる、彼から殺陣を学びのちにスターとなる新人女優との交流を描く「太秦ライムライト」などがあります。
松竹京都撮影所は、その名の通り松竹系の撮影所であり、一般公開はされていませんが、1972年(昭和47年)の緒形拳さん、林与一さん主演の第1作「必殺仕掛人」からはじまり、藤田まことさん演じる昼行燈の町廻り同心、実は闇で悪を裁く殺し屋、中村主水を中心に人気を博し、現在は東山紀之さん演じる同心、渡辺小五郎を中心に続く人気時代劇「必殺シリーズ」などを中心とした、映画やテレビドラマなどの撮影に使われています。
京都の方言といえば、一般には京言葉といわれる京都弁のイメージがありますが、京言葉が使われるのはかつての京の都、京都市とその周辺地域であり、その他の地域では異なる方言が話されています。また京言葉も地域や社会の階層、年齢層などによって違いがあります。
旧山城国の方言や、旧丹波国のうち亀岡市など南丹地方の方言は京都市内の方言と大きな違いはありません。しかし福知山市、綾部市から舞鶴市にかけての中丹地方では、京阪式アクセントではなく垂井式アクセントで、敬語も「はる」より「てや」を用いるなど、京都市内と異なる点が多くなってきます。
舞鶴市以外の旧丹後国の方言(丹後弁)は東京式アクセントで、断定の助動詞に「や」ではなく「だ」を使うなど、舞鶴市より南とは大きな違いがあります。舞鶴市以南の諸方言は近畿方言、いわゆる関西弁に分類されるのに対して、丹後弁は兵庫県の但馬地方や鳥取県などと同じ中国方言、東山陰方言に分類されます。
京都の食文化には、京料理として、おばんざいと呼ばれるさまざまな惣菜料理。茶道に由来する懐石料理。京野菜による京漬物。鯖寿司。鱧料理、湯豆腐や湯葉など、さまざまなものが知られています。
また意外なところでは、京都人はパン好きという面もあります。京都府は日本の都道府県でパンの消費量、購入金額がもっとも高い府であり、京都府内には多くのパンの名店が並ぶ「パンストリート」も存在します。またコーヒーの購入量も京都は全国でトップクラスです。
このパン好きについては、京都は古くからの都であるだけに、最新のものが集まる地でもあり、ゆえに京都人は新しいもの好きであるという点や、和の街だからこそあえて洋風のものを好む、学生が多い若者の街でもある、和菓子作りの技法がパンに応用された、和食に比べて簡単に食べられる合理性が好まれる、など諸説あります。
京都府の産業は、京都市、いわゆる「京の町」を含む南部(山城国)では主に製造業と観光業が、山林の多い中部(南丹)では農業や林業が、海に近い北部(中丹、丹後国)では漁業、水運業、製造業などが主になっています。
第一次産業では、農業として、主に中部地域で黒豆や小豆の栽培、加工が盛んです。また特産品として加茂茄子や九条葱、壬生菜、京水菜などの京野菜や、南部を中心に宇治茶の生産が行われています。林業では松茸、北山杉などの生産が行われる一方、府を挙げて森林の保護が行われています。
水産業では、春のマダイやメバル、サヨリ。夏のサザエやトリガイ、トビウオ。秋のアカアマダイ、アオリイカ、サワラ。冬のブリ、ズワイガニ、カキなどの水産物があり、丹後トリガイ、丹後グジ、京サワラなどのブランド水産物がある他、全国でも珍しいトリガイの養殖も行われています。
第二次産業では工業において、製造業の企業が比較的、多く存在します。第三次産業では、特に府の南部に京都市、宇治市なの観光都市を擁することから観光業が強く、府の中部では保津峡や湯の花温泉のある亀岡市、北部では天橋立などがある丹後半島で観光業の振興が行われています。貿易業では重要港湾指定の舞鶴港を擁し、中国や韓国、ロシアへの定期航路を有しています。また北海道小樽港との新日本海フェリーの運航も行われています。
また府内では府庁所在地である京都市への人口集中率が約56パーセントと高く、南北に細長く山地、丘陵地が多い地形であるため、南部(京都、山城、南丹地域)と、日本海に面する北部(中丹地域、丹後地域)との格差が大きい「南北問題」が存在します。
旧山城国にあたる南部は畿内にあたり、滋賀県南部や阪神、奈良県北部との交流が深くなっています。一方、北部の舞鶴市、福知山市、宮津市などは北近畿(山陰道)とも呼ばれ、兵庫県北部(但馬国)や福井県嶺南(若狭国)との交流が深くなります。
第二次世界大戦後、昭和期の経済成長では、畿内の一角である山城はいち早く発展したのに対して、北部は取り残されていました。しかし近年では丹波にも工業団地が造成され、畿内の大阪市から丹後の舞鶴市を経て北陸、福井県敦賀市を結ぶ舞鶴若狭自動車道や、京都縦貫自動車道などが建設され、山陰本線複線電化工事が施工されるなど、南北格差の是正が図られています。

京都府 にお住まいで画面にE201、E202、E203の文字が出ている方

テレビ画面に"E201、E202、E203"と表示され番組が視聴できない



京都府内での地上派デジタル放送受信について


前述のように、京都府は府域の約75パーセントが山地、丘陵地にあたります。そのため東京都墨田区に位置し、東京都の大半から神奈川県、千葉県、埼玉県の多くの地域、さらには茨木県、群馬県、栃木県の一部と関東地方の多くをカバーする、塔としては世界一の高さ、634メートルを誇る電波塔の東京スカイツリー。また大阪府では南北端の一部地域を除いた府域のほぼ全域から、京都市の市街地から南部、奈良県の西部市街地までをカバーする大阪局のように、一ヶ所で府内の広範囲をカバーする電波塔(中継局)は存在しません。
京都府には山地や丘陵地が広がる各地に盆地や平地が位置し、市街地や住宅地などが形成されています。その市街地、住宅地などをカバーする形で、地デジ放送の中継局が府内各地に数多く設置されています。
京都府内でもっとも広い範囲をカバーする中継局は、京都市左京区と滋賀県大津市にまたがる比叡山に位置する京都局です。京都局はNHK京都(総合)、NHK教育、各広域民放、そして京都府の地方局(地方チャンネル)の京都放送(KBS京都)の地デジ電波を送信しています。京都局の地デジ電波のうち、NHK京都(総合)に関しては、京都市のほぼ市街地一帯と、向日市、長岡京市、八幡市、宇治市、京田辺市、木津川市、久世郡久御山町、相楽郡精華町などの一帯および一部地域で受信できる他、滋賀県の大津市から草津市にかけて、大阪府の枚方市とその周辺、交野市、寝屋川市、摂津市、高槻市、茨木市などの一部地域で受信可能です。
しかしKBS京都では範囲はほぼ同じながら、カバーする地域がやや狭まる他、広域民放とNHK教育については、受信できる地域は京都市の市街地とその南部、向日市、長岡京市、八幡市、宇治市、城陽市、京田辺市などの一部となります。
京都市の市街地および、その南にあたる山城地域の市街地一帯では、前述した大阪府東大阪市と奈良県生駒市にまたがる生駒山に位置する大阪局の地デジ電波のうち、大阪府の地方局であるテレビ大阪(TVO)を除くNHK大阪と各広域民放局の地デジ電波を受信可能です。
そのため京都市と山城地域の市街地部の大半では、NHKと広域民放およびKBS京都の地デジ電波を安定して受信できます。
また京都市や山城地域の市街地でも辺境部や、山地に近く地形が複雑で、京都局、大阪局の地デジ電波が受信しにくい地域には、要所に中継局が設置されているため、京都市、山城地域の市街地において、地デジ電波が受信不能となる地域はほとんど存在しません。
同じように亀岡市の亀岡中継局。船井郡京丹波町の亀岡中継局、丹波中継局。舞鶴市の舞鶴中継局、舞鶴寿中継局、中舞鶴中継局。福知山市の福地山中継局。丹後市、宮津市など一帯の峰山中継局、野田川中継局、宮津中継局、久美浜中継局など。その他、小盆地に位置する町などの周辺にも中継局が位置し、京都府内でも市街地や民家が集まる町村部では、ほとんどの地域でNHK、広域民放、KBS京都の地デジ電波が受信できます。
しかし京都府内でもそれ以外の山地、丘陵地にあたる地域では、中継局が存在せず、地デジ電波が受信できなくなっています。
また多くの都道府県では、京都府におけるKBS京都のように、当地の地方局だけでなく、隣接する都道府県の地方局が受信できるケースもございます。しかし京都府は地形が複雑で府内でも中継局が点在している状況であり、隣接する府県の中継局から地デジ電波を受信できるのは、隣接府県に近いごく一部の市街地のみになります。
大阪府の地方局、テレビ大阪は、山城地域など府の南部において受信できる地域もある他、兵庫県のサンテレビジョン(SUN-TV)は福知山市、京丹後市、宇治市、城陽市、八幡市などの一部地域。滋賀県のびわ湖放送(BBC)は綴喜郡宇治田原町などの一部地域。奈良県の奈良テレビ放送(TVN)は城陽市、相良郡の井手町と精華町、木津川市などの一部地域。また福井県の民放全2局である福井放送(FBC)、福井テレビジョン放送(FTV)は舞鶴市、宮津市、与謝郡伊根町などの一部地域で受信可能になっています。


京都府内で受信できる地上波デジタル放送テレビ局


前述のように、京都府の山地、丘陵地を除く市街地、町村部においては、各地域をカバーする中継局によって多少の差異はあるものの、ほとんどの地域で、NHK京都(総合)とNHK教育および、各広域民放局、地方局であるKBS京都の地デジ電波を受信できます。中でも、京都府をはじめ、滋賀県、大阪府、兵庫県、奈良県、和歌山県で受信できる広域民放の放送局は、どれも準キー局になります。
地上波デジタルのテレビ放送における、いわゆる「キー局」とは、テレビ、ラジオなど番組放送におけるネットワーク、系列の中心となる放送局のことです。
日本のテレビ放送では、日本テレビ放送網(日テレ、NTV)、テレビ朝日(テレ朝、EX)、TBSテレビ(TBS)、テレビ東京(テレ東、TX、12チャンネル)、フジテレビジョン(フジテレビ、CX)の、どれも東京都港区に本社を置き、東京都と神奈川県、埼玉県、千葉県、茨城県、栃木県、群馬県の関東広域圏を放送対象地域とする5つのテレビ局がキー局にあたり、ラジオ放送についてもほぼ同様で、在京キー局、東京キー局とも呼ばれます。
このキー局は、日本各地に存在する自社系列の放送局とネットワークを組んで、キー局が制作したテレビ番組を、日本各地の系列局に販売する。またキー局が番組製作とスポンサー集めを一括で行い、地方局には「ネット保証金」を支払い、CMも含めて放送するネットワークセールス枠などにより、日本全国で同じテレビ番組を放送しています。これがいわゆるテレビ番組の「全国ネット」です。
そして準キー局とは、公式な定義では、大阪府大阪市に所在する近畿広域放送局の毎日放送(MBS)、朝日放送テレビ(ABC)、関西テレビ(カンテレ、KTV)、読売テレビ(ytv)の4局を指します。広義には、大阪の地方局であるテレビ大阪(TVO)も含めることがあります。
さらに愛知県名古屋市に所在する東海テレビ放送、中京テレビ放送、CBCテレビ、名古屋テレビ放送(メ〜テレ)、テレビ愛知を含めた計10局を指して準キー局と呼ぶ場合もあります。公式には大阪の広域テレビ局は「在阪準キー局」、名古屋市の広域テレビ局は「在名広域4局」と呼ばれます。
これらの準キー局の中でも、特に在阪準キー局は全国ネットの番組供給枠を持ち、キー局に次いで多くのテレビ番組を全国的に送り出しています。また近畿地方のみで放送されるローカルテレビ番組も数多く制作、放送しています。在名広域4局民も大阪のテレビ局ほどではありませんが、全国ネットの番組を送り出していることから、広義の準キー局とも呼ばれます。
またキー局のネットワークに属さないテレビ局を「独立放送局」と呼び、主に各都道府県の地方局(地方チャンネル)がこれに該当します。京都府では京都放送(KBS京都)が当てはまります。
これら独立放送局においては、基本的にキー局とのネットワーク関係は存在しませんが、複数の独立放送局が協力関係を結び、各局、または共同でテレビ番組を制作し、参加する各局で放送する、ネットワーク関係に近い共同製作機構を構築していることもあります。
KBS京都は、兵庫県のサンテレビジョン(サンテレビ・SUN-TV)、埼玉県のテレビ埼玉(テレ玉、TVS)、千葉県の千葉テレビ放送(チバテレ、CTC)、神奈川県のテレビ神奈川(tvk)、三重テレビ放送(MTV)と「東名阪ネット6」を構築しており、参加する各局によるテレビ番組の共同制作や放送を行っています。

京都府 てどんなところ??

京都府 の市区町村別対応エリア

京都府 の施工事例

アンテナ本体 型番

  • デザインアンテナ

    型番:UAH201(最新モデル)
    (同軸ケーブル:白か黒の2色のうち、おすすめは外壁になじむ色)

    工事費込み 20,000円(税込)

    カラーバリエーションはオフホワイトライトブラウンスーパーブラックブラックブラウンの4色から現場で選択することが可能です。同じUHF20素子相当のデザインアンテナを比較した場合、業界トップクラスの受信性能、高利得を誇る大手DXアンテナ社製。本体の厚みはわずか119mm、サイズは高さ590mm×幅220mmで業界最小クラス。コンパクトサイズのため狭い屋根裏や天井裏などへの取り付けも最適。壁面に取り付けの場合は、極細のビスを6箇所打ち込んで金具を取り付け、金具にガチャンと本体をはめ込みボルトを締めるだけの簡単施工が可能なため建物へのダメージを極力軽減できます。ブースターが必要な場合はUAH201の背面にスッキリ取り付けられる構造になっており、表にブースターが露出しないので外観もキレイに保てます(弊社では電波状況が悪くない限り、なるべくブースターも屋内の、分配器の近くに隠してしております)。修理の場合、ブースター内蔵タイプのデザインアンテナとは異なり、ブースターだけの交換をできるメリットがあります。太陽光発電システムや片流れ屋根で屋根上に屋根馬を立てられず昔ながらの八木アンテナを設置できない住宅にも最適。耐風速(破戒風速)50m/sですが、屋内や外壁など、強風の影響を受けにくい取り付け位置と形状をしているため、災害にも強いアンテナとなっております。当店人気ナンバー1の地デジアンテナでございます。

  • 八木アンテナ

    型番:UA20(最新モデル)
    工事費込み 15,000円(税込)

    その昔、八木秀次博士が発明した形状(魚の骨のような形状)からマイナーチェンジを繰り返し洗練されたフォルムとなり、中・弱電界エリアにも対応可能な安心のDXアンテナ社製。UHF20素子アンテナの性能で、吹きさらしで障害物の少ない屋根上に設置することが多いため利得が高くなっております。万が一、壁面や屋内でデザインアンテナを取り付けられない物件 にも最適。従来の鉄製の太いワイヤーとは異なり、ステンレス製の丈夫で錆びにくいワイヤー(支線)を採用。アンテナマストから屋根の四隅に向けて4本の支線を張り巡らせ、さらに張り巡らせた支線の途中からも屋根馬に向けて4本の支線をバランスよく張り、合計8本の支線で頑丈に設置しております。サイズは51.8cm×34cm×101.4cmとなっており、VHF(アナログアンテナ)と比較して、大幅なサイズダウンと軽量化がなされています。しかも耐風速(破壊風速)50m/s。地デジ放送が始まる前の時代より、屋根上に設置するアンテナは災害に強くなっていると言えるでしょう。当店で人気ナンバー2の地デジアンテナでございます。

  • 2K4K8K対応 BS/CS110度アンテナ

    型番:BC45AS(最新モデル)
    工事費込み 15,000円(税込)

    2018年12月1日以降、実用放送開始予定の4K8K衛星放送(NHKのみ4K&8Kを同時配信)に備えてオールマイティーなDXアンテナ社製のBC453をBS放送、CS放送をご覧になりたいすべての方へ提供しております(大規模な集合住宅は例外)。従来の2K専用BS/CS110 度アンテナと同じでサイズで円盤の直径は45センチ。そうでありながら、電送周波数の帯域が広いため、従来のフルハイビジョン(2K放送・約200万画素)からスーパーハイビジョン(4K放送・約800万画素/8K放送・約3,300万画素)まで受信可能です。「大は小を兼ねる」と言えます。2020年のオリンピックに向けて4K8Kの実用放送がますます拡充されるということが総務省より発表され、各メーカーの4K8Kテレビは増産がはじまり、その価格も落ち着いてきました。そのような状況のなか、あさひアンテナにも2K4K8K対応BS/CS110度アンテナの問合せが数多く寄せられております。最新式のアンテナでも、大量仕入れでコストをおさえて仕入れておりますので、低価格を実現できました。