小川町 でテレビアンテナ工事をお考えの方へ
目次
小川町 でアンテナ工事でお困りの方はお任せ下さい。
当あさひアンテナでは埼玉県比企郡小川町をはじめ、埼玉県内での地デジ、BS/CSなどの各種アンテナ設置工事について、豊富な経験と実績がございます。埼玉県比企郡小川町にお住まいで、地デジその他アンテナの新規設置、また修理や交換などをお考えの方は、まずはご相談だけでも、当あさひアンテナへ、お電話やメールでお気軽にお問い合わせください。
埼玉県比企郡小川町(おがわまち)は、県の南端、東よりにある市です。市の面積は60.36平方キロメートルで、人口は2020年(令和元年)1月1日時点で29,628人になり、うち男性が14,758人、女性が14,870人です。また市内には13,038世帯が暮らしています。面積では埼玉県内の市町村でも19番目の広さで、人口では県内の市町村別では47番目、さいたま市を10区に分けた市区町村別では56番目の多さになります。小川町は外秩父の山々に囲まれる盆地が主な住宅地ながら、古くから和紙などの産業で栄え、豊かな自然の中に歴史ある古い町並みや伝統工芸が残っていることから「武蔵の小京都」の別名でも呼ばれています。
東京都隅田区にある東京スカイツリーから比企郡小川町までは、およそ58キロから68キロ強の距離になります。NHKや広域民放であれば、スカイツリーからの地デジ電波は十分に受信できる範囲内ですが、地方局である東京MXの受信は難しくなります。また町内の宅地は、周囲を山に囲まれた盆地にあたることもあり、現場の環境によっては電波障害などが発生し、電波の受信や設置できるアンテナの種類、設置位置などについて条件や制約が生じるケースもございます。
当あさひアンテナでは、比企郡小川町全域での地デジその他、各種アンテナ設置工事に対応しております。弊社には小川町はじめ埼玉県全般での作業経験が豊富で、地域ごとの地デジ電波の特性を把握し、現場に合わせた最適なアンテナ設置工事をご提案できる腕のいい専門の職人が揃っております。小川町において地デジアンテナ設置や、修理、交換など各種アンテナ工事をお求めのお客様は、確実な地デジ受信と、丈夫で長持ちするアンテナの設置をお約束する、当あさひアンテナのフリーダイヤル(0120-540-527)またはホームページからのお問い合わせフォームへとご連絡ください。
【追記】令和元年9月から10月にかけ、台風や豪雨により、埼玉県はじめ全国各地で多大な被害が発生いたしました。被災された地域の皆様には心よりお見舞い申し上げます。比企郡小川町でも多くの被害が発生したことに、弊社一同、心を痛めております。町の一日も早い復旧と復興をお祈り申し上げると同時に、弊社からも微力ながら復旧に貢献すべく、可能な限りのご支援を行ってゆきたく存じます。
小川町 の方でアンテナ工事に関するよくある質問
- Q
小川町に設置できる地デジアンテナにはどのような種類がありますか?
- A
現在、ご家庭に設置される地デジアンテナの主要機種は、八木式アンテナとデザインアンテナになります。
八木式アンテナは主に屋根の上など設置される、魚の骨のような形をした地デジアンテナです。1926年(大正15年・昭和元年)当時、東北帝国大学工学部で教鞭をとっていた八木秀次博士が特許を取得したアンテナで、現在では共同開発者だった宇田新太郎博士の名前から「八木・宇田アンテナ」の正式名称も用いられています。日本ではテレビ放送がスタートした当初から使われている昔ながらのアンテナで、素材や耐久力は時代につれて進歩していますが、基本的な構造は当時と同じままです。それほど基本設計に優れ、現在でも地デジの高い受信能力を誇る機種になります。
ただ八木式アンテナは基本的に屋外の高所に設置されるため、風雨などの影響を受けやすく、使用年月につれて確実に老朽化が進んでゆく弱点もございます。現在の八木式アンテナの寿命は平均して10年程度ですが、この寿命は海沿いや豪雪地域など、設置された周辺の環境によっても大きく変化します。デザインアンテナは、壁面アンテナ、平面アンテナ、フラットアンテナとも呼ばれる、家屋の外壁などに設置する平面で軽量薄型の地デジアンテナです。家屋の外観をほとんど損なわない、自然環境の影響を受けにくく、経年劣化や故障のリスクを軽減できる、修理やメンテナンスも簡単などのメリットがあり、現在では人気ナンバーワンの地デジアンテナです。
また現在のデザインアンテナは基本モデルが20素子相当で、八木式アンテナと比べても地デジ受信性能にほぼ差はごさいません。ただデザインアンテナは八木式アンテナより設置位置が低い分、わずかながら受信感度も低くなる傾向がございます。アンテナ本体価格や設置工事費も、八木式アンテナに比べるとやや割高になります。
小川町は、東京スカイツリーからおよそ58キロから68キロ程度と、遠距離にあたる地です。そのためスカイツリーからの地デジ電波は、NHKや広域民放であれば受信可能ですが、地方局である東京MXは、電波が届く範囲である50キロ圏内を越えているため、受信は難しくなります。基本的には小川町内であれば八木式アンテナ、デザインアンテナのどちらを設置しても通常の地デジ電波は受信可能ですが、町内の住宅地は、周囲を丘陵地に囲まれた盆地にあたるため、現場の電波条件などによっては、高所に設置できる八木式アンテナのほうが受信に有利であるなど、地デジアンテナの種類や設置位置に制約が出るケースもございます。
当あさひアンテナでは八木式アンテナ、デザインアンテナとも、国産DXアンテナ社製の最新モデルをご用意し、八木式アンテナは軽量で耐水性、対風速性が高く、丈夫で長寿命が望める機種を用い、アンテナ本体価格を含む基本工事価格15000円からで設置をお引き受けいたします。デザインアンテナは20素子相当、業界最小クラスの厚さ11.3cm、高さ59cm×幅22cmの薄型モデルをご用意し、アンテナ本体価格を含む基本工事価格20000円からで設置をお引き受けいたしております。本体色も四通りございますので、どのような外壁にも調和いたします。
また弊社では地デジアンテナの設置に際し、高性能の電波測定器による現場調査を実施し、適切なアンテナの種類や設置位置など、可能な限りお客様のご要望に応じた方法をご提案いたします。もしご希望の条件で受信に問題が出る場合は、弊社の豊富な工事経験に基づき、できるだけご要望に近い代案をご提示いたします。
小川町で地デジアンテナの新規設置や交換をお考えの方は、アンテナタイプのご相談も含め、当あさひアンテナのフリーダイヤル(0120-540-527)へと、どうぞお気軽にお問い合わせください。
- Q
強風や地震などで八木式アンテナが倒れたときは、すぐ修理に来てもらえますか?
- A
基本的に、確かな技術を持つ業者が設置した八木式アンテナは、そう簡単に倒れるものではございません。ただ八木式アンテナの多くは屋外の高所に立てられ、厳しい自然環境にさらされ続けるため、歳月による老朽化の進行も避けられません。前述の通り、八木式アンテナの寿命は平均して10年程度ですが、この寿命は設置された周辺の環境によっても変化します。
また2019年(令和元年)の9月から10月にかけては、大型の台風や豪雨が日本列島を襲い、各地で大変な被害が発生いたしました。このように予想外の自然の猛威の前には、残念ながらどれだけ堅牢に立てられた八木式アンテナでも倒れることもございます。
2020年現在、八木式アンテナ本体や、アンテナを固定するワイヤー、屋根馬(アンテナを設置する金属製の土台)なども、ステンレス素材や特殊なメッキ加工などで錆びに強く、また軽量化され、防水、防風能力も向上して、近年では八木式アンテナ全体の寿命が長くなっております。
しかし現在から何年も前に設置された八木式アンテナになりますと、アンテナ本体や固定具などの素材が現在より錆びやすいため、古い八木式アンテナを使い続けているご自宅では、強風や地震などの際にアンテナが倒れる危険性も高くなっております。
電波状態が良好な現場であれば、屋根の上で八木式アンテナが倒れても、そのままで地デジ受信ができることもございます。そのためアンテナが倒れていることに気づかれないケースもございますが、重量のある八木式アンテナを倒れたままにしていると、屋根から落下して重大な人身、物損事故を招くリスクがあるため、早急な修理が必要です。
ご自宅の八木式アンテナが寿命に近いもので、もし激しい台風や地震などに見舞われた際は、状況が落ち着き次第、まずは屋根の上のアンテナをご確認ください。そしてもしアンテナが倒れていたら場合は、すぐ当あさひアンテナへとご一報ください。
弊社では小川町の全域が対応区域になっており、ご連絡いただければ最短即日で現場へお伺いします。急を要される場合は夜間工事にも対応しております。
なお八木式アンテナが倒れた場合、倒れたアンテナの再設置も可能ですが、弊社がご提供する新品の地デジアンテナに交換する工事でも、設置費用にほとんど差はございません。前述の通り当あさひアンテナでは、国産メーカーで最新式、軽量型で耐水性、対風速性に優れた八木式アンテナをご用意しており、アンテナ本体価格を含む基本設置費15000円で新規アンテナの設置を行っております。
一度倒れた八木式アンテナの再設置では、その後、老朽化や倒壊のダメージなどによって、トラブルが再発する可能性が高くなります。そのため新しいアンテナへと交換されるほうが、コストパフォーマンスではお得となるケースが多くなります。またこれを機に、自然環境の影響を受けにくいデザインアンテナへ変更されることも、ひとつの選択肢でございます。
弊社では八木式アンテナの設置において、豊富な経験と高い技術を誇る職人が、計8本のステンレス支線を用いてアンテナを固定し、支線全体の強度バランスを取ることで、滅多なことでは倒れない堅牢なアンテナを設置する工法を用いております。
さらに設置後の保障も、八木式アンテナの耐用年数と同じ10年間の長期保障をご用意しておりますので、万が一、想定外の自然現象などにより再度アンテナトラブルが発生した場合も、補償範囲内のトラブルであれば完全無料でご対応いたします。
またお客様が施工後の保証書など、弊社にアンテナ工事をご依頼されたことを証明する書類を紛失された場合に備え、弊社でも施工から10年間は、あらゆる工事の資料や保証書をデータベース化して保存しております。もし保証書を紛失されたお客様からの保障のご要望でも、当時の工事内容を確認させていただいた上、弊社データベースで該当データが確認でき次第、すべての保障について、保証書をご提示いただいた場合とまったく同じ対応をさせていただきます。
余談ですが、風雨や雷、雪、雹、隕石、また外部からの落下物など、自然災害によって地デジやその他のテレビアンテナが損壊した場合は、火災保険の「風災保証」によって修理費が補償されるケースがございます。
補償される内容は保険会社との約款によって異なりますが、当あさひアンテナでは、アンテナ本体の修理だけではなく、修理費用に火災保険を適用したいとお考えのお客様のご相談にも対応しております。弊社にアンテナ修理をお求めになる際に、火災保険に関するご相談もいただければ、保険会社に提出すべき、修理報告書、見積書、施工前後の写真など、補償請求書類をすべて弊社でご用意いたします。また保険会社との交渉についても、弊社の専門スタッフが全力でサポートいたします。
もしご自宅の八木式アンテナが倒れた際は、最新型の高品質アンテナと熟練した職人の技術によって、寿命の長い八木式アンテナの設置をお約束し、施工後の保障も万全の体制でお引き受けする、当あさひアンテナのフリーダイヤル(0120-540-527)へとご一報ください。
- Q
地デジアンテナを設置できるのは屋根の上や壁面のみですか?
- A
一般的に、地デジの八木式アンテナやBS/CS110度アンテナは屋根の上に、デザインアンテナは家屋の外壁に設置するというイメージがございます。しかし現在ではアンテナ本体の性能向上や施工技術の進歩により、確実な受信性能を維持しながら、家屋外観の重視や、アンテナの経年劣化を抑えて故障を避けるために、家屋のさまざまな位置に設置する工法がございます。八木式アンテナや BS/CS110度アンテナ では、例えば壁面やベランダの外側か内側など、風雨を受けにくい位置に設置することで、アンテナ本体への負担を軽減する工法がございます。ベランダ内側への設置では、空間を少し消費することになりますが、その分、経年劣化や故障のリスクを抑えられ、メンテナンスも簡単になります。
ただ八木式アンテナ、BS/CS110度アンテナとも、電波が届く方向にアンテナを向けることが必須になるため、ご自宅の位置や角度、向きなどの条件により、アンテナを設置できる場所に制約がございます。その点はどうかご承知おきください。特に小川町は住宅地が山地に囲まれた盆地になる、電波状態による設置位置などの条件が厳しくなる可能性もございます。
また積雪の多い地域における八木式アンテナなどの設置では、雪を避けるため設置位置を工夫する他、アンテナへの積雪によるトラブルを避けるため、屋根や専用カバーを設置する、アンテナ表面に雪の付着を防ぐ加工を行うなどの工法もございます。
これらさまざまな工法の施工においては、特別な技術や別途機材を用いる工事であれば、それに応じた追加工費が必要なこともごさいますが、機材や手間が通常の設置とほとんど変わらない場合は、八木式アンテナ、 BS/CS110度アンテナ とも基本工事費用の15000円からでお引き受けしております。
またデザインアンテナでは、ご自宅の外観にまったく影響を与えず、積雪など自然環境の影響も受けず、経年劣化も最小限に抑える工法として、屋根裏(天井裏)の空間に設置する工法もございます。弊社では屋根裏にデザインアンテナを設置する工事も、追加工費不要の基本工事価格20000円でお引き受けいたします。またアンテナの屋根裏設置も、弊社のモットー「見えないところも綺麗に」に基づき、見栄えのいい施工を実施しております。このモットーには、配線などを整理したシンプルで無駄のない施工によって、故障のリスクを軽減し、メンテナンスも簡単になるというメリットもございます。
ただデザインアンテナの屋根裏設置は、屋根という外壁を隔てるために、どうしても屋外よりは電波状態が低下します。小川町は東京スカイツリーから距離があり、また山地が多いという条件も重なり、現場の電波状態や、ご自宅の屋根裏空間の形状、断熱材の素材など、条件によっては地デジ電波が受信できないため設置不可能なケースや、別料金でアンテナブースターの設置が必要となるケースもございます。その点は何とぞご了承ください。
小川町 にお住まいで画面にE201、E202、E203の文字が出ている方
テレビ画面に"E201、E202、E203"と表示され番組が視聴できない
アンテナトラブルの形式として、突然、ご自宅のテレビで地デジのテレビ番組がまったく映らなくなり、画面に「e201」「e202」「e203」などの記号が表示されることがございます。これはテレビやアンテナにトラブルが発生し、テレビが自己診断機能を働かせてエラーコードで原因を示している状態です。最近のテレビはコードと同時にトラブルの原因を文章で表示するものもありますが、電波受信に関するトラブルの場合は、主に前述の三種類のコードが表示されます。なおエラーコードの種類は、トラブルの原因によって他にも数々のものがございます。
「e201」は、テレビ本体に届く電波のレベルが低下しているというエラーコードです。これは主にBS、CS放送で、豪雨や大雪など、悪天候の場合に表示されることが多くなります。BS、CS放送は衛星放送のため、悪天候では、波の乱反射によって電波状態が悪化するという弱点がございます。BSでは悪天候の際に電波を切り替え、画質、音質を落とすことで受信できるようにした「降雨対応放送」に切り替わる場合もあります。悪天候による受信不良は、天候の回復と同時に自然と復旧いたします。地デジ放送では、このコードが表示されることは少ないのですが、周辺の電波状態の悪化やアンテナ機器のトラブルなどにより、ときに表示されることもございます。
「e202」は、テレビ本体ににまったく電波が届いていないというエラーコードです。原因は大風や地震などによるアンテナ角度のずれや倒れるといったトラブル。またアンテナ本体、アンテナ線、ブースター(増幅器)、分配器など、どこかに故障が発生したことも考えられます。また単純にテレビとアンテナ線との接触不良という場合もありますので、このコードが表示されたときは、まずテレビやレコーダーなどの機器と、アンテナ線との接続部分をチェックしてください。
「e203」は、該当する放送局が放送休止しているというエラーコードです。基本的に放送局が、メンテナンスやトラブルなどによって放送を休止していることから発生する不具合です。このコードが表示されたときは、その他のチャンネルを確認して、正しく映っているなら放送局側に原因があると判断できます。ただアンテナ関係の故障でも、このコードが表示される場合がありますのでご注意ください。
これらのエラーコードが表示されたときは、ブロックノイズの際と同じく、まずテレビのリセットや、テレビとアンテナ線の接続部を確認するなどしてください。それでも回復しない場合は、アンテナ関係にトラブルが起こっていると考えられます。
その場合も、やはり当あさひアンテナのフリーダイヤル(0120-540-527)にご相談ください。まずお電話口にて、コードの種類やご自宅のアンテナ環境などとお伺いして、ご自宅で可能な対策をご説明いたします。もしお電話で問題が解決しないときは、ご用命いただければ、弊社の職人が最短即日でご自宅へ出向き、現場調査で原因を特定いたします。
当あさひアンテナでは、どのようなご相談であっても、出張費、見積もり費、キャンセル費はすべて無料で対応させていただきます。またトラブルの原因を特定した後は、弊社の職人からお客様に、修理に必要な工事のご説明と見積もり価格を提示いたします。その内容にお客様が納得され、正式にご契約なされた時点ではじめて工事にかからせていただきます。それまでは決して無断で工事を進めることはなく、料金も一切発生いたしません。
さらにアンテナ工事後の保証など、アフターフォローの体制も万全のものを用意してございます。テレビ映りに不具合が発生して、エラーコードからアンテナトラブルだと思われる場合は、まずは当あさひアンテナのフリーダイヤルへとお気軽にお電話ください。
小川町 についてもっと知りたい
これからお引越しを考えている方
小川町 てどんなところ??
埼玉県比企郡小川町は、県の中心からみてやや北西に位置する町で、比企地方および県南西部のもっとも北西にあたります。また秩父地方のすぐ外側に位置しています。江戸時代には、江戸から川越を抜けて秩父に向かう往還が東西に抜けている地であり、地の利を生かして地「六斎市」が立つなどする、周辺地域の商業中心地でもありました。
1889年(明治22年)には、町村制の施行により小川村、西大塚村、下里村、角山村が合併し、比企郡小川町が成立します。1955年(昭和30年)には小川町と大河村、竹沢村、八和田村が合併して、新たな小川町となります。また1956年(昭和31年)には大里郡寄居町の西古里地区と鷹巣地区のそれぞれ一部を編入しています。
現在の小川町は人口が3万人弱であり、地方自治体としては「町」になります。ちなみに地方自治法における「市」「町」「村」の違いは、市は基本的に人口が5万人以上。中心的な市街地に全戸数の6割以上が集中している、その他いくつかの条件を満たした地方自治体になります。町はその都道府県が各自の条例で定める「町」としての要件を満たした自治体です。村には特に法律上の要件はなく、市や町の要件を満たさなければ、自動的に村となります。
また比企郡の「郡」ですが、明治時代以降の郡とは元来、複数の町村を編成した行政企画で、市や町と同じく郡役所や郡長などが置かれました。この制度は戦後、改正されて、現在では郡に、住所表記や広域連合、選挙区の区画割りなどの他に大きな意味はなくなっています。また区や市は郡に属さないため、市制の施行によって村や町が市になると、それまで所属していた郡から外れることになります。
現在、埼玉県内で比企郡に属しているのは、小川町と滑川町、嵐山町、川島町、吉見町、鳩山町、ときがわ町の7町になっています。
小川町の町域は外秩父の山に囲まれ、中央に槻川が流れる小川盆地が市街地になっており、その自然豊かな地勢や古くからの町並み、史跡などが見られることから「武蔵の小京都」の別名で呼ばれています。町内は古くからの歴史を誇る小川和紙や小川絹をはじめ、建具、酒造などの伝統産業によって、古くから栄えていました。
中でも小川和紙の歴史は古く、その起源は1300年前にさかのぼるといわれています。特産品である楮(こうぞ)だけを使った手漉きの細川紙は、国の重要無形文化財の指定を受けています。現在「道の駅おがわまち・埼玉伝統工芸会館」には「ヤッパシ紙すき体験コーナー」があり、紙すきを体験できます。また2014年(平成26年)には細川紙がユネスコの無形文化遺産に登録されています。
小川裏絹は、奈良時代初期の714年(和銅7年)に、高句麗人より絹を織る技術が伝えられたのが発祥とされています。古い時代には「武蔵絹」として広まり、現代でも3枚の武蔵絹が、奈良・正倉院宝物殿に保存されています。
町内を流れる槻川の水質や風土が、京都とよく似ているという条件もあって「もみ」と呼ばれた紅絹の加工を成功させ、歴史を重ねながら、さらに織機の品質や技術の向上させてゆきました。現在でも着物の裏地として欠かせない小川絹は、無地の白や色物などを多く生産し、優雅な品質を受け継いでいます。
また秩父山系を源とする名水と気候にも恵まれているため、古くから関東灘の異名をもつ日本酒の産地でもあり、現在でも晴雲酒造、松岡醸造、武蔵鶴酒造の3軒の造り酒屋があります。町では以前より町内産のブドウを用い、委託によってワインが生産されていましたが、2017年(平成29年)に「有機の里小川ワイン特区」認定を受けました。この認定により地域由来の果実を原料に、果実酒やリキュールを製造でき、新規ブランドを作り上げられるようになりました。さらに従来の日本酒、ビール、和紙との複合的なブランド展開によって、町をさらなる活性化が期待できます。
周辺の山地がら取れる西山材を使った建具作りも古くから発展しており、特に細工を施した障子が全国的に知られています。このように、古くからさまざまな産業が栄えた小川町には、起業家精神(アントレプレナーシップ)が盛んな伝統もあり、関東地方に多数の店舗をもつスーパーマーケット「ヤオコー」や、全国的に知られる衣料品チェーン「しまむら」は、小川町の店が発祥の元になっています。
町の名物料理には、割烹旅館「二葉」の名物「忠七(ちゅうしち)めし」があります。幕末から明治初期にかけて活躍した幕臣で、剣、禅、書の達人としても知られた山岡鉄舟は、父の所領がある当地をしばしば訪れ、当時の八代目当主、八木忠七の料理で酒を呑んだといいます。あるとき鉄舟は忠七に「禅味を盛った料理」を所望し、忠七がそれに応えるべく考案したのがこの料理です。
この料理は、炊き立てのご飯の中央に薬味のさらし葱、わさび、柚子を乗せ、上からダシををかけて、お茶漬けのように食べるというもので、香の物として浜納豆などがついています。この料理は、鉄舟が極めた「剣・禅・書」三道の意を取り入れ、刺激の中に鋭さを蔵すわさびで「剣」を、極めて淡い味の海苔で「禅」を、香り高い柚子に「書」の精神になぞらえ、さらに日本料理の神髄「風味と清淡」とを合致させたものです。これを食した鉄舟は「我が意を得たり」と喜び、この料理を「忠七めし」と名付けました。
現在ではこの忠七めしは、東京深川の深川めし、岐阜山岳地方のさよりめし、大阪難波のかやくめし、島根県津和野町のうずめめしと並んで、「日本五大名飯」のひとつに数えられております。またこの「二葉」旧館は現在、登録有形文化財となっており、他の名物に「忠七うなぎ」などもあります。
1855年(嘉永7年、安政元年)創業の割烹旅館「福助」の名物である「女郎うなぎ」は、身請けされた吉原の花魁が、当時の旅館の主であった善兵衛に恩を受けたことから、恩返しにその生家に伝わるウナギの蒲焼の秘法極意を教えたことがはじまりだといわれます。
この福助は現在は料亭ですが、明治時代に建てられた木造三階建ての建物がいまでもそのまま残っており、割烹旅館であった時代には、前述の山岡鉄舟や、明治、大正の文豪である田山花袋も滞在したといいます。
町の史跡には、県指定史跡であり、四津山城の別名も持つ高見城。江戸時代の民家で、民家としては県内最古のものとなり、国の重要文化財でもある吉田家住宅。100年以上の歴史を持つ公立小学校の小川町立小川小学校。その分校であり、2011年(平成23年)に廃校となるも、1964年(昭和39年)に建築された木造校舎などは現在、無料休憩所や「分校カフェMOZART」などとして活用されている下里分校などがあります。
町のイベントには「小川町七夕まつり」があります。このお祭りは、1300年の歴史と伝統を誇る「小川和紙」の発展を願い、戦後まもない1949年(昭和24年)より行われているものです。小川和紙を豊富に使用した飾り付けが特徴で、竹飾りコンクールや風景・モデル撮影会、小川七夕おどりやよさこい踊り、花火大会など、さまざまなイベントが行われます。
他にも、毎年11月3日、文化の日に埼玉伝統工芸会館で行われ、ビンゴ大会などさまざまなイベントやステージなどが開催される小川町商工祭。12月に開催され、緑と清流の中をさまざまなコースで走り、沿道では太鼓の演奏がランナーを応援する「小川和紙マラソン」などのイベントが行われています。
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小川町 の場所
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比企郡小川町は、埼玉県の中心部よりやや北西に位置する町で、比企郡西部の中核となる町でもあります。町の北側を大里郡寄居町に、東側を比企郡嵐山町に、南側を比企郡ときがわ町に、西側を秩父郡東秩父村に接しています。
古くから江戸から川越と秩父をつなぐ要衝の地であり、商業の盛んな地であった小川町は、「武蔵の小京都」の別名通り、清流が豊かな環境や地質が京都に似ているという特性もあり、現在でも和紙や絹、日本酒など、さまざまな伝統産業が盛んな地です。また町内から池袋までは急行や快速で一時間程度であるため、町内には住宅団地や高層マンションなどの建設も増えており、都心のベッドタウンという面ももっています。
小川町の町章は、町名「小川」を元に、円形の水引を思わせるデザインになっています。これは小川町が和紙の産地であることにちなんで「小」の字を巻紙風に意匠化して、将来における町勢の力強い飛躍と発展を末広がりの形で表現し、三本の線による「川」で住民の和合と円満、そして清流を象徴しています。
小川町の木は、ニレ科ケヤキ属の落葉高木で、街路樹などでもよく見られる欅(ケヤキ)です。4月から5月にかけて淡い黄緑の小さな花が咲き、高さ20メートルから25メートル、ときには40メートルを超えるほど背が高く、ホウキを逆さにしたような雄大な木の形や紅葉の美しさでも知られ、ツキ(槻)の別名も持つ樹木です。その芽生えや紅葉の美しさは人々を和ませ、伸び行く町にふさわしい木であることから町の木に選ばれました。
小川町の花は、キンポウゲ科の多年草であるフクジュソウ(福寿草)です。黄色い可憐な花を咲かせるフクジュソウは、春を告げる花の代表であり、元日草(がんじつそう)や朔日草(ついたちそう)という別名もあります。和名の「福寿草」にも新春を祝う意味がこめられています。また江戸時代より多数の園芸品種も作られており、品種によっては緋色や緑色の花をつけるものもあります。花言葉は「永久の幸福」「思い出」「幸福を招く」「祝福」です。根には強心作用、利尿作用があり薬として用いられることもありますが、副作用としての毒性も強いため、専門家以外の使用は危険です。縁起のいい名前から福を呼ぶ花として親しまれ、平和な町にふさわしい花であることから、町の花に選ばれました。
小川町の鳥は、スズメ目メジロ科メジロ属のメジロ(目白)です。目のまわりにある白い輪が名前の由来になっているメジロは、身体はスズメ(雀)より小さく、緑がかった背と暗褐色の羽を持つ鳥です。日本ではウグイス(鶯)と共に春の鳥として親しまれ、また多くのメジロがお互い押し合うように、ぴったり密着して枝に並ぶ習性があることから、慣用句「目白押し」の語源にもなっています。人々に親しまれ、豊かな町民の心を象徴するにふさわしいことから、町の鳥に選ばれました。
小川町のPRキャラクターには「星夢(すたむ)ちゃん」がいます。星夢ちゃんは、七夕の笹につける短冊に顔と手足がついた姿をしていて、頭の部分には星と笹の葉の飾りがついているキャラクターです。町の伝統的なお祭りである小川町七夕祭りをPRして盛り上げるため、町の商工会青年部が中心となって小川町七夕まつりイメージキャラクターを公募し、2006年(平成18年)にデビューしました。
星夢ちゃんは、みんなの夢を叶えるため「天の川」から舞い降りてきた短冊のマスコットです。人々が日頃より想い描いている「夢」や「希望」が、いつの日か叶うよう「星に願いを……」こめるという意味から命名されました。
星夢ちゃんは七夕まつりだけでなく、小川町や埼玉県を元気にするため、埼玉県内のゆるキャラユニット「ゆる玉応援団」にも加入して、各地のイベントや、さまざまなグッズになるなどして今日も活躍しています。
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小川町 の鉄道路線
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東日本旅客鉄道(JR東日本)
八高線
・小川町駅
・竹沢駅
東武鉄道
東上本線(東武東上線)
・小川町駅
・東武竹沢駅
比企郡小川町のバス路線
路線バス
・川越観光バス(森林公園営業所)
・イーグルバス(ときがわ営業所)
・国際十王バス(熊谷営業所)
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小川町 の主要道路
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高速道路
・関越自動車道嵐山小川IC
一般国道
・国道254号
・道の駅おがわまち
・国道254号(小川バイパス)
県道
主要地方道
・埼玉県道11号熊谷小川秩父線
・埼玉県道30号飯能寄居線
一般県道
・埼玉県道184号本田小川線
・埼玉県道189号小川町停車場線
・埼玉県道273号西平小川線
・埼玉県道274号赤浜小川線
・埼玉県道296号菅谷寄居線
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小川町 出身の芸能人
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埼玉県比企郡小川町出身の著名人には、プロマジジャンで、マジックバーの展開やマジシャン派遣、新人育成などを行う「GARNET GROUP(ガーネットグループ)」代表でもあるSINさん。お笑いコンビ「コント山口君と竹田君」の山口弘和さん。ドラマ「サラリーマン金太郎」シリーズなどに出演した女優でファッションモデルの曲山英里さん。林家木久扇師匠の門下で落語協会に所属し、小川町の観光大使でもある、現在は二ツ目の林家けい木さん。元テレビ朝日アナウンサーでシャンソン歌手の野崎由美子さん。「イケイケ課長」などの作品がある漫画家の安藤しげきさんなどがいます。
また古くから産業の盛んな小川町には起業家精神が根付いていて、全国に店舗を持つ衣料品チェーンストアで、しばしばアニメやゲームとのコラボも行う「しまむら」の創業者、島村恒俊さん。関東地方に多数の店舗を持つスーパーマーケット「ヤオコー」の元となった有限会社「八百幸商店」を創業した川野清三さん。川野さんの義娘で「ヤオコー」の実質的な創業者であり、さまざまな工夫や努力によって起業を成功させたことから、1983年(昭和58年)のNHK朝の連続テレビ小説にちなんで「小川の『おしん』」とも呼ばれる川野トモさん。「ヤオコー」現会長で、日本スーパーマーケット協会会長でもある川野幸夫さんなどが町の出身者です。
小川町 町域別対応エリア
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ア行
- 青山(アオヤマ)、飯田(イイダ)、伊勢根(イセネ)、大塚(オオツカ)、小川(オガワ)
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カ行
- 角山(カクヤマ)、笠原(カサハラ)、上古寺(カミフルテラ)、上横田(カミヨコタ)、木部(キベ)、木呂子(キロコ)、高谷(コウヤ)、腰越(コシゴエ)
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サ行
- 下里(シモザト)、下古寺(シモフルテラ)、下横田(シモヨコタ)、勝呂(スグロ)
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タ行
- 鷹巣(タカノス)、高見(タカミ)
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ナ行
- 中爪(ナカツメ)、奈良梨(ナラナシ)、西古里(ニシフルサト)、能増(ノウマス)
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ハ行
- 原川(ハラガワ)、東小川1(ヒガシオガワ1)、東小川2(ヒガシオガワ2)、東小川3(ヒガシオガワ3)、東小川4(ヒガシオガワ4)、東小川5(ヒガシオガワ5)、東小川6(ヒガシオガワ6)、ひばり台1(ヒバリダイ1)、ひばり台2(ヒバリダイ2)、ひばり台3(ヒバリダイ3)
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マ行
- 増尾(マスオ)、みどりが丘1(ミドリガオカ1)、みどりが丘2(ミドリガオカ2)、みどりが丘3(ミドリガオカ3)、みどりが丘4(ミドリガオカ4)、みどりが丘5(ミドリガオカ5)
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ヤ行
- 靭負(ユキエ)