秦野市 でテレビアンテナ工事をお考えの方へ
目次
秦野市 でアンテナ工事でお困りの方はお任せ下さい。
当あさひアンテナでは神奈川県秦野市はじめ、神奈川県内での地デジ、BS/CSなど各種アンテナ設置工事について、豊富な経験と実績がございます。秦野市にお住まいで、地デジその他アンテナの新規設置、また修理や交換などをお考えの方は、まずはご相談だけでも当あさひアンテナへ、お電話やメールでお気軽にお問い合わせください。
神奈川県秦野市は、県の中心部からやや西よりに位置する市です。面積は103.76平方キロメートルで、神奈川県内にある19市のうち、広さでは5番目にあたります。2020年(令和2年)7月1日時点での推計人口は164,425人で、うち男性が84,225人、女性が80,200人になります。また市内にはおよそ72,610世帯が暮らしています。秦野市は北側が丹沢山にあたり、市域のおよそ半分が山林にあたる市です。また四方を山に囲まれた盆地が市の中心的な市街地になっています。
東京都隅田区にある東京スカイツリーから秦野市までは、およそ60キロから71キロ強の距離になります。スカイツリーからの電波は、NHKと広域民放が南東の一部に届くのみです。そのため秦野市内では主に秦野中継局など、周辺の中継局からの地デジ電波を受信することになります。また現場の環境により、地デジ受信に関してさまざまな条件や制約が生じるケースもございます。
当あさひアンテナでは、神奈川県秦野市全域での地デジその他、各種アンテナ設置工事に対応しております。弊社には秦野市はじめ県内全域での作業経験が豊富で、地域ごとの地デジ電波の特性を把握し、現場に合わせた最適なアンテナ設置工事をご提案できる腕のいい専門の職人が揃っております。秦野市にて地デジ、CS/BSなど各種アンテナ設置や修理、交換などの各種工事をお求めのお客様は、確実な地デジ受信と、丈夫で長持ちするアンテナの設置をお約束する、当あさひアンテナのフリーダイヤル(0120-540-527)か、ホームページからのお問い合わせフォーム(https//asahi-antenna.jp/contact)へとご連絡ください。
「2020年現在の新型コロナウィルス流行に関しまして」
このたびの新型コロナウイルス発生に際しまして、弊社では現場に出向く職人はもちろん、全従業員にマスクと除菌スプレーを配布し、作業車や作業着などの除菌を頻繁かつ丁寧に行う他、従業員各人によるこまめなうがい、手洗いなども徹底しております。また会社としても従業員には業務よりも体調管理を優先し、わずかでも体調に異変がある場合は、安全が確認できるまで休むよう指導しております。
すべては社員の身を守ると同時に、万全を期してお客様をお守りするための、最大限の配慮でございます。現場でのお客様への対応についても、万が一のリスクを避けるため、失礼ながら基本的にマスクを装着したままでご対応させていただいております。申し訳ありませんが、なにとぞご了承ください。
秦野市 の方でアンテナ工事に関するよくある質問
- Q
秦野市に適した地デジアンテナの機種は何ですか?
- A
現在、ご家庭で用いられる主要な地デジアンテナ機種は、八木式アンテナとデザインアンテナです。
八木式アンテナはよく屋根の上に見られる魚の骨に似た地デジアンテナです。日本のテレビ放送黎明期から使われている昔ながらのアンテナで、素材や耐久力は当時から進化し続けていますが、基本設計は当時と同じままです。それほど設計の完成度が高く、現在でも高い受信能力を誇る機種です。ただ八木式アンテナは風雨などの影響を受けやすく、歳月につれて確実に老朽化が進む弱点もございます。現在の八木式アンテナの寿命は平均10年程度ですが、この寿命は設置場所の環境でも大きく変化します。
デザインアンテナは家屋の外壁などに設置する平面で軽量薄型の地デジアンテナです。家屋の外観を損なわない、自然環境の影響を受けにくく経年劣化を軽減できる、修理やメンテナンスも簡単などの利点があり、現在では人気ナンバーワンの地デジアンテナです。また現在のデザインアンテナは基本モデルが20素子相当であり、八木式アンテナと比べても受信性能にほとんど差はごさいません。ただデザインアンテナは八木式アンテナより設置位置が低い分、受信感度もやや低くなる傾向がございます。アンテナ本体価格や設置工事費も八木式アンテナに比べてやや割高になります。
秦野市は東京スカイツリーからおよそ60キロから71キロとやや遠距離であり、しかも四方をほぼ山に囲まれている形になるため、スカイツリーからの地デジ電波は、NHKと広域民放が、市の南東部、山地の囲みが外れて、やや東側に突き出ている形になっている地域でしか受信できません。
ただ秦野市内や近辺にはNHK、広域民放と、神奈川県の地方局であるテレビ神奈川(tvk)を送信する秦野中継局や秦野菩提中継局、平塚中継局が存在するため、市の北部である山地を除いた全域で、各テレビ局の地デジ電波が受信可能です。
秦野市内でも中央の盆地であれば、地デジアンテナは、八木式アンテナ、デザインアンテナのどちらでも大きな違いが出ることはございません。ただ山地やその付近ではより高所に設置できる八木式アンテナのほうが有利となることも考えられます。
他にも現場の条件によって、アンテナ機種や設置位置などに制約が生じることもあるため、アンテナ設置工事の際には現地の電波調査を実施した上で、より適切なアンテナ機種や設置位置を選択する必要がございます。
当あさひアンテナでは、八木式アンテナ、デザインアンテナとも、国産DXアンテナ社製の最新モデルをご用意し、八木式アンテナは軽量で耐水性と対風速性が高く、長寿命が望める機種を用い、アンテナ本体価格を含む基本工事価格15000円からで設置をお引き受けしております。デザインアンテナは20素子相当、業界最小クラスの厚さ4.9cm、大きさ9cm×22cmの超薄型モデルをご用意し、アンテナ本体価格を含む基本工事価格20000円からで設置をお引き受けいたします。さらにこれら標準機種で受信が安定しない場合は、別途に高性能アンテナもございますので、どのような現場にも対応できます。
また弊社では地デジアンテナの設置に際し、高性能の電波測定器による現場調査を実施しており、適切なアンテナの種類や設置位置など、可能な限りお客様のご要望に応じた方法をご提案いたします。もしご希望の条件でどうしても受信に問題が出る場合は、弊社の豊富な工事経験に基づき、できるだけご要望に近い代案をご提示いたします。
秦野市で地デジアンテナの新規設置や交換をお考えの方は、アンテナ機種のご希望やご相談も含め、当あさひアンテナのフリーダイヤル(0120-540-527)へと、どうぞお気軽にお問い合わせください。
- Q
自宅で購入した地デジアンテナの設置のみをお願いできますか?
- A
当あさひアンテナでは、地デジアンテナ設置その他、あらゆる工事においてお客様のご要望を最優先にする施工を心がけております。もちろんお客様が他店でご購入された各種アンテナの設置にもご対応いたします。
令和元年9月から10月は、台風や豪雨が相次いで日本各地を襲い、大きな爪あとを残しました。秦野市の皆様にも、突然の地デジアンテナ故障によって早急な修理、交換が必要になり、業者の手配や想定外の出費でお悩みになった方も多いと存じます。
ただ残念ながらアンテナ工事業者にもこのような事態に乗じ、公式サイトや事前の説明では格安を謳いながら、アンテナ本体を別料金に設定し、安価で品質の低い地デジアンテナに高値をつける、またお客様に無断で不必要な機材や追加工事を加算するといった手口で、不当な高額料金を請求する悪質な業者も存在します。お客様におかれましても、設置工費は安価に見えても、使用するアンテナ機種、型番や、工事ごとの料金体系などが不明瞭な業者にはご注意いただきたく思います。
当あさひアンテナでは、まずお客様に信頼していただけるよう、弊社サイトにて基本設置工事費、各オプション工事ごとの料金体系をすべて明示し、ご提供する地デジおよびBS/CS110度アンテナの機種や型番も明記しております。もちろんお客様へのご相談なく、独断で追加機材や工事を加算することも決してございません。
弊社の地デジアンテナは前述の通り、八木式アンテナ、デザインアンテナとも、国産一流メーカーのDXアンテナ社製、高性能最新モデルをご用意し、アンテナ本体価格を含む標準工事費でご提供しております。アンテナ本体込みの標準工事費は、八木式アンテナで15000円、デザインアンテナは20000円からになっております。またCS/BS110度アンテナも、同社製2K4K8K対応型の最新モデルを用い、アンテナ本体価格込み標準設置費15000円からでお引き受けしております。
弊社では常に業界最安値に挑んでおりますが、もし他業者でより安い見積もりが出た場合は、その見積書をメールなどでご提示ください。まったく同じ工事内容で、さらに安くお見積もりいたします。もちろん値下げしてもアンテナ本体や部材の品質を落とすことは決してございません。弊社が国産高性能アンテナを、設置工事費込みの業界最安値でご提供できる秘密は、大量仕入れを前提にメーカーと直接交渉しての部材コスト削減。他業種と提携しての広告費削減。完全自社施工による中間マージン削減。弊社と直接契約した専門の職人が効率的に担当区域を動くことによる人件費削減などで総合的なコストカットに努める、業者だからこそ可能な企業努力にございます。
特に秦野市は四方をほぼ山地に囲まれているという地形もあり、地デジアンテナ設置については、高性能の電波測定器を用いて現場の電波状態を確認し、その状態に適合する性能を持つアンテナ機種を選択する必要がございます。
お客様が個人でご購入された地デジアンテナでは、弊社の同タイプ国産アンテナより品質や性能が低くなり、十分な地デジ受信性能を得られないことも考えられます。またたとえアンテナ本体価格は安価でも、本体価格と設置費用の総額が、弊社のアンテナ価格込み設置工事費より割高になることも十分ありえます。
弊社ではアンテナ設置のご相談および、ご自宅を訪問しての地デジ電波調査、アンテナ設置工事費のお見積もりまですべて無料で行っております。秦野市にて新しい地デジアンテナの設置や交換をお考えのお客様は、ご自身でアンテナを購入される前に、まずは弊社のフリーダイヤル(0120-540-527)へ、設置なさりたいアンテナ機種や、費用の目安など、ご納得いただけるまで、どのようなことでもご相談いただければ幸いです。
- Q
秦野市で地デジアンテナが故障したときはすぐ修理してもらえますか?
- A
その点はどうかご安心ください。弊社では他業者が設置したどのようなテレビアンテナでも、弊社フリーダイヤル(0120-540-527)にご一報いただければ、最短即日で職人が現場に出向き、修理対応させていただきます。
特に弊社が設置したアンテナの場合は、業界最長クラスとなる、施工日から10年間のアフターフォロー体制をご用意しております。これは弊社がアンテナ設置技術に高い自信をもつ証でもあります。もし保障期間中、弊社が施工した各種アンテナにトラブルが発生したときは、すぐ弊社のフリーダイヤルにご一報ください。弊社職人が即座に現場へと駆けつけ、補償範囲内のトラブルであれば完全無料で復旧するようご対応させていただきます。
弊社ではアンテナ設置工事が完了した際、工事を担当した職人が自筆でサインを入れた保証書をお客様にお渡ししております。もしトラブルなどでお客様が対応をお求めの際は、基本的にこの保証書をご用意していただきます。ただ、なにぶん10年間の長期保証となるため、お客様が保証書を紛失された場合を想定して、弊社でも施工から10年間は、あらゆる工事の現場写真や保証書などを社内でデータベース化して保存しております。
アンテナ修理をご依頼の際、弊社の保証書が見つからない場合は、お電話でその旨をお伝えください。そしてお手数ですが、お客様のお名前やお電話番号、当時の工事内容や施工時期などを、お分かりの範囲内でお教えください。弊社側のデータベースで確認でき次第、あらゆる保証について、保証書をご提示いただいた場合とまったく同じ対応をさせていただきます。
余談ですが、風雨や雷、雪、雹、隕石、また外部からの落下物など、自然災害によりアンテナが損壊した場合は、火災保険の「風災保証」によって修理費が補償されるケースがございます。補償される内容は保険会社との約款によって異なりますが、当あさひアンテナでは、アンテナ修理だけではなく、修理費用に火災保険を適用なさりたいお客様のご相談にも対応しております。
弊社にアンテナ修理をお求めになる際、火災保険のご相談もいただければ、保険会社に提出する修理報告書、見積書、施工前後の写真など、補償請求書類をすべて弊社でご用意いたします。また保険会社との交渉も、弊社の専門スタッフが全力でサポートいたします。秦野市にて突然のアンテナトラブルによってお困りの際は、アンテナ本体の修理から保険会社への対応まで完全にお引き受けする、当あさひアンテナにすべてお任せください。
秦野市 にお住まいで画面にE201、E202、E203の文字が出ている方
テレビ画面に"E201、E202、E203"と表示され番組が視聴できない
アンテナトラブルの形式として、突然、ご自宅のテレビで地デジのテレビ番組がまったく映らなくなり、画面に「e201」「e202」「e203」などの記号が表示されることがございます。これはテレビやアンテナにトラブルが発生し、テレビが自己診断機能を働かせてエラーコードで原因を示している状態です。最近のテレビはコードと同時にトラブルの原因を文章で表示するものもありますが、電波受信に関するトラブルの場合は、主に前述の三種類のコードが表示されます。なおエラーコードの種類は、トラブルの原因によって他にも数々のものがございます。
「e201」は、テレビ本体に届く電波のレベルが低下しているというエラーコードです。これは主にBS、CS放送で、豪雨や大雪など、悪天候の場合に表示されることが多くなります。BS、CS放送は衛星放送のため、悪天候では、波の乱反射によって電波状態が悪化するという弱点がございます。BSでは悪天候の際に電波を切り替え、画質、音質を落とすことで受信できるようにした「降雨対応放送」に切り替わる場合もあります。悪天候による受信不良は、天候の回復と同時に自然と復旧いたします。地デジ放送では、このコードが表示されることは少ないのですが、周辺の電波状態の悪化やアンテナ機器のトラブルなどにより、ときに表示されることもございます。
「e202」は、テレビ本体ににまったく電波が届いていないというエラーコードです。原因は大風や地震などによるアンテナ角度のずれや倒れるといったトラブル。またアンテナ本体、アンテナ線、ブースター(増幅器)、分配器など、どこかに故障が発生したことも考えられます。また単純にテレビとアンテナ線との接触不良という場合もありますので、このコードが表示されたときは、まずテレビやレコーダーなどの機器と、アンテナ線との接続部分をチェックしてください。
「e203」は、該当する放送局が放送休止しているというエラーコードです。基本的に放送局が、メンテナンスやトラブルなどによって放送を休止していることから発生する不具合です。このコードが表示されたときは、その他のチャンネルを確認して、正しく映っているなら放送局側に原因があると判断できます。ただアンテナ関係の故障でも、このコードが表示される場合がありますのでご注意ください。
これらのエラーコードが表示されたときは、ブロックノイズの際と同じく、まずテレビのリセットや、テレビとアンテナ線の接続部を確認するなどしてください。それでも回復しない場合は、アンテナ関係にトラブルが起こっていると考えられます。
その場合も、やはり当あさひアンテナのフリーダイヤル(0120-540-527)にご相談ください。まずお電話口にて、コードの種類やご自宅のアンテナ環境などとお伺いして、ご自宅で可能な対策をご説明いたします。もしお電話で問題が解決しないときは、ご用命いただければ、弊社の職人が最短即日でご自宅へ出向き、現場調査で原因を特定いたします。
当あさひアンテナでは、どのようなご相談であっても、出張費、見積もり費、キャンセル費はすべて無料で対応させていただきます。またトラブルの原因を特定した後は、弊社の職人からお客様に、修理に必要な工事のご説明と見積もり価格を提示いたします。その内容にお客様が納得され、正式にご契約なされた時点ではじめて工事にかからせていただきます。それまでは決して無断で工事を進めることはなく、料金も一切発生いたしません。
さらにアンテナ工事後の保証など、アフターフォローの体制も万全のものを用意してございます。テレビ映りに不具合が発生して、エラーコードからアンテナトラブルだと思われる場合は、まずは当あさひアンテナのフリーダイヤルへとお気軽にお電話ください。
秦野市 についてもっと知りたい
これからお引越しを考えている方
秦野市 てどんなところ??
神奈川県秦野市は、県の中央部からやや西側、県内の中西部に位置する市です。行政区域としては湘南の一部になりますが、海に面していない内陸部の市で、北側に丹沢山を望み、その麓に位置しています。市域の北部はほとんどが山地で、市面積の半分近くが山林にあたります。南部に広がる秦野盆地が市の中心である市街地になります。市の中心部の東西にも丹沢山地に連なる山々が延びており、南方には渋沢丘陵が東西に走っている、四方を山に囲まれた典型的な盆地になっています。
市域内には大山や行者岳、塔ノ岳、新大日、烏尾山、二ノ塔、三ノ塔、鍋割山、櫟山、弘法山、権現山、岳ノ台などの山々が存在し、北部の丹沢産から市の中心部にかけて酒匂川水系の四十八瀬川や、金目川水系の金目川、水無川、葛葉川などが流れており、他には同じく金目川水系の室川、大根川、善波川や、相模川水系の藤熊川、中津川などの河川があります。
現在の秦野市の市域には、平安時代末期から鎌倉時代に平将門を討伐した藤原秀郷の子孫、佐伯経範が1030年(長元3年)頃に移り住み、波多野氏(はたのし)を名乗りました。後に波多野氏から多くの支流が出て、現在の秦野市内、足柄上郡松田町と山北町、南足柄市、小田原市の一部などに勢力を広げます。また市域内には一族の居館である波多野城が存在しました。
その後、波多野市は鎌倉幕府の御家人となり、後にその末裔が丹波(現在の京都府亀岡市とその周辺)を支配し、織田信長の配下である明智光秀と激しい戦いを繰り広げた末、滅亡した戦国大名、波多野氏になります。
1889年(明治22年)には町村制の施行により、現在の市域に秦野市の前身となる7町村が発足します。そして1955年(昭和30年)の1月1日に中郡秦野町、南秦野町、東秦野村、北秦野村の2町2村が合併して市制を施行し、秦野市となります。その後、同年4月15日に真田を除いた中郡大根村を編入。7月28日には中郡西秦野村と足柄上郡上秦野村が合併。町制施行により中郡西秦野町となります。
そして1963年(昭和38年)に中郡西秦野町が秦野市に編入され、現在の市域に至っています。
なお現在の市名の読みは「はだのし」です。明治時代に成立した「秦野」の名を持つ町村のうち、上秦野村のみが「はたの」で、その他の秦野町、南秦野町、東秦野村、西秦野村、北秦野村はすべて「はだの」と読みました。古くは1625年(寛永2年)の「東鑑(あづまかがみ)」や1803年(享和3年)の「香雲寺文書」などの文書では「波多野」に「ハダノ」という振り仮名がつけられてています。
このように秦野の読みは昔から「はだの」と呼ばれていました。ただ平安時代中期の「和名抄」には「波多野郷」とあり、万葉仮名では清濁を区別することから「はたの」と読んだとも考えらます。一方、波多野郷は秦氏に由来するとして「はだの」説もあります。
現在では地名から来る「秦野」を関した会社や団体などは、多くが「はだの」と読みますが、中には「はたの」読みの場合もあります。
中世以降、秦野地方ではタバコ(煙草)栽培が盛んで、秦野盆地は「相陽煙草」の産地として全国的に知られ、地域の経済を支えていました。ただ昭和初期にタバコ産業の工業化がはじまって以降、地域の煙草栽培は衰退し、1984年(昭和59年)に終了しています。
現在、市内での農業は、落花生や丹沢茶、カーネーションなどが特産品です。市内では塩茹で落花生が好んで食べられており、一種のご当地グルメになっています。また第二次大戦後、市の中心部に企業の工場を誘致したことから、現在でも多くの工場や事業所が位置し、工業都市という側面もあります。
市内には丹沢山地が存在することから、登山やハイキングの名所にもなっています。他にもよく将棋の名人戦、竜王戦が行われる「旅館陣屋」がある温泉郷の鶴巻温泉や、秦野温泉などの温泉も存在します。
市内の名所には、名水百選のひとつにも指定されている、護摩屋敷の水、竜神の泉、弘法の清水、今泉名水桜公園など市内各地の秦野盆地湧水群。古墳時代後期から終末期の古墳群で、市立の都市公園(歴史公園)「桜土手古墳公園」として整備され、公開されている桜土手古墳群。関東三大稲荷のひとつである白笹稲荷神社。秦野市と中井町にまたがる堰止湖で釣りの名所でもある震生湖などがあります。
市内の祭礼、イベントには、白笹稲荷初午や弘法山桜まつり。鶴巻温泉まつり。丹沢山開きの春に行われる秦野丹沢まつり。秦野市商工まつり。太鼓囃子や花火大会などが行われる曾屋神社の例大祭。秦野たばこ祭などがあります。
特に秦野たばこ祭は、かつては市内の葉たばこ耕作者の慰労のために開催された祭りで、現在ではタバコそのものの奨励ではなく、市の発展に貢献した先人の努力と情熱を伝え、称えるための祭りとして、毎年9月末に行われています。
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秦野市 の場所
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神奈川県秦野市は、県の中西部、中央部からやや西よりに位置する市です。県の行政区域としては湘南地域に含まれますが、海には面していません。市の北側、北西よりを足柄上郡山北町に、北側の多くを愛甲郡清川村に、北東よりを厚木市に、東側を伊勢原市に、南東部を平塚市に、南側の中央を足柄上郡中井町に、南西よりを同郡大井町に、西側を松田町に接しています。
秦野市は丹沢山の麓にあたり、四方を山地に囲まれた盆地が市の中心になっています。市域の約半分が山林であり、自然と湧水が豊かな地域です。市内には温泉地などもあり、横浜方面などへのアクセスも便利で暮らしやすい市といえます。
秦野市の市章は、逆三角形の中央に水滴か蝋燭の火のような模様を入れたものです。この紋章は、秦野市の「ハダノ」を、伝統の誇りと発展向上のイメージを力感ある形で、飛躍発展性と市民の精神的結合の旗印として翼型にデザイン化し、市の発展を象徴したものです。
秦野市の木はサザンカ(山茶花)とコブシ(辛夷、拳)、市の花はナデシコ(撫子)とアジサイ(紫陽花)、市の鳥はウグイス(鶯)です。
サザンカはツバキ科ツバキ属の常緑小高木です。楕円形で厚い葉をもち、野生種は晩秋から冬にかけて5枚の花弁をもち、部分的に淡い紅色を交えた白い花を咲かせます。サザンカの名前は山茶花の読み「サンサカ」「サンザカ」が訛り、文字が入れ替わって定着したものといわれています。サザンカは江戸時代の初期より園芸品種が栽培されており、現在では色は紅色や桃色、白など、形も八重咲きや一重咲き、千重咲き、獅子咲きなど、さまざまな花を咲かせる品種が存在し、ツバキより対陰性が強いことから、庭園や生け垣などに用いられます。サザンカは俳諧では「ひめつばき」と呼ばれ、また歌謡曲でも、大川栄作さんの「さざんかの宿」や、藤田まことさんの実娘である藤田絵美子さんが歌い、劇中で殺しのテーマにもアレンジされている「必殺仕事人Ⅴ」「必殺橋掛人」主題歌「さよならさざんか」など、多くの歌謡曲のモチーフにもなっています
コブシはモクレン科モクレン属の落葉広葉樹の高木です。2月から3月にかけての早春に他の花より早く白い花を梢の一面に咲かせ、馥郁たる香りを漂わせ「田打ち桜」の別名があります。花は6枚の花弁を持ち、花言葉は「友情、歓迎」です。蕾や樹皮は風邪薬や鼻炎の薬として用いられます。和名「コブシ」の由来は、開花の様子が子供の握り拳のように見える。つぼみの形を拳に見立てた。でこぼこした果実(集合果)の形を子供の握り拳に見立てたなど諸説あり、和名がそのまま英名、学名になっています。漢名は「日本辛夷」で、花のつぼみを乾燥させた生薬名が「辛夷」であることから、日本ではコブシにこの字を当てます。中国では「辛夷」は、ハクモクレン(白木蓮)またはモクレン(木蓮)を指し、コブシを指すのは誤りとされます。
ナデシコは、ナデシコ科ナデシコ属のカワラナデシコ(河原撫子)の別名です。またナデシコ属の植物の総称でもあります。夏から秋にかけ、5枚の花弁の先端が、糸のように細く分かれた花を数個咲かせます。花の色は主に淡い紅色ですが、白いものや両方が入り混じったものもあります。カワラナデシコは河原に生え、可憐な花を「撫子(なでしこ)」と呼ぶことに由来します。
ナデシコは秋の七草のひとつでもあり、各種の総称としてのナデシコは、日本や西洋などで園芸品種としてさまざまな種が生み出されています。またカワラナデシコの別名であるヤマトナデシコ(大和撫子)は、古来より日本的な女性の別称としても用いられ、楽曲や作品などのタイトルにもよく用いられています。近年では女子高生たちのキャンプを描き、アニメ化もされた人気漫画「ゆるキャン」の主人公の一人「各務原なでしこ」でもよく知られています。
アジサイはアジサイ科アジサイ属の落葉低木の一種で、広義にはアジサイ属植物の一部の総称です。狭義では一品種の和名で、他との区別のためにホンアジサイ(本紫陽花)と呼ばれることもあります。6月から7月にかけて咲き、梅雨の時期の花として知られるアジサイは、原種は日本に自生するガクアジサイ(額紫陽花)で、白、青、紫また赤色の萼(がく)が発達した装飾花をもちます。ガクアジサイでは中心の花のまわりを縁取るように装飾花が並んで、園芸では「額咲き」と呼ばれます。ガクアジサイから変化し、花序(花の並び)が球形ですべて装飾花とにったアジサイは「手まり咲き」と呼ばれています。
アジサイは主に紫色ながら、花の色がよく変わることでも知られます。これは土壌の酸性度によるもので、一般に酸性ならば青、アルカリ性ならば赤になるといわれます。リトマス試験紙とは逆になることを覚えていくといいでしょう。またアジサイは開花から日が過ぎることでも徐々に花色が変化します、最初は花が含む葉緑素によって薄い黄緑色を帯びており、それが分解されると共にアントシアニンや補助色素が生合成され、赤や青の色がついてゆきます。そこからさらに日を重ねると有機酸が蓄積され、青い花も赤味を帯びてきます。これは花の老化であり、土壌とは関係なく発生します。
ウグイスは、スズメ目ウグイス科ウグイス属の鳥です。オオルリ(大瑠璃)、コマドリ(駒鳥)と並ぶ日本三鳴鳥のひとつでもあるウグイスは、体長はスズメ(雀)と同じ程度で、背中がいわゆる「鶯色」と呼ばれるオリーブがかった褐色、腹面は白色の鳥です。春になると聞かれる「ホーホケキョ」という特徴的な鳴き声から「春告鳥」としても知られ、日本では古来より親しまれている鳥です。
秦野市に市の公式キャラクターは存在しませんが、秦野市観光業界のイメージキャラクターに「丹沢はだの三兄弟」がいます。秦野観光のメインとなる表丹沢登山から生まれたキャラクターで、長男の丹沢のぼる、次男の丹沢すすむ、妹の丹沢あゆみの三人です。
青を基調にしたのぼる君は、幼い頃から表丹沢を庭のように駆けまわっており、現在では他の山々にも範囲を広げています。また登山のスピードが速く、三兄弟で一番の身軽かつ、意外と力持ちです。山頂の景色を眺めるのと写真撮影が好きで、表丹沢の山頂から何が見えるか詳しいといいます。また彼が表丹沢に登るときは、必ず山頂から富士山が見えるといわれます。
緑を基調にしたのぼる君は、登山は兄ほど早くはないものの、ゆっくり確実にマイペースで登ります。やや厳しい道でも「努力と根性」で登り切りますが、決して無理はしません。登山の達成感が大好きで、アウトドア派の反面、ブログもやっています。鍛錬のためさまざまなルートから表丹沢に登っているので、兄や妹より表丹沢の登山道には詳しいそうですが。兄と妹が観たことのある「ダイヤモンド富士」はまだ観たことがありません。
赤を基調にしたあゆみちゃんは「表丹沢は楽しく歩こう」をモットーに、表丹沢の四季を楽しみながら歩くため、兄たちよりも山の動植物に詳しいそうです。彼女が表丹沢を歩くとさまざまな動物が集まってくるという噂あります。スケッチと街を囲むように田園風景の広がる秦野盆地が好きで、家庭菜園で野菜を栽培しています。特に落花生の栽培に凝っていて、自家製のゆで落花生は絶品という評判です。
また、のぼる君の愛犬には、ゴールデンレトリバーのオス「丹沢ダッシュ」がいます。
ダッシュはクマ(熊)にも立ち向かう勇敢さの一方、サル(猿)は苦手らしく逃げてまわります。川遊びが好きでたびたび脱走して、ひとり(一匹?)で川遊びを楽しんだり、あゆみちゃんの家庭菜園の番犬をしたりもしているようです。
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秦野市 の鉄道路線
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小田急電鉄
小田原線
・鶴巻温泉駅
・東海大学前駅
・秦野駅
・渋沢駅
秦野市のバス
神奈川中央交通西(秦野営業所(高砂車庫)、伊勢原営業所)
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秦野市 の主要道路
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高速道路・有料道路
・東名高速道路(秦野中井IC、秦野バスストップ)
・厚木秦野道路(未開通)(秦野中井IC、渋沢IC、秦野西IC)
・新東名高速道路(未開通)
一般国道
・国道246号
・国道255号
主要地方道
・神奈川県道62号平塚秦野線
・神奈川県道70号秦野清川線
・神奈川県道71号秦野二宮線
一般県道
・神奈川県道612号上粕屋南金目線
・神奈川県道613号曽屋鶴巻線
・神奈川県道614号南矢名東海大学前停車場線
・神奈川県道701号大山秦野線
・神奈川県道704号秦野停車場線
・神奈川県道705号堀山下秦野停車場線
・神奈川県道706号丹沢公園松原町線
・神奈川県道707号渋沢停車場線
・神奈川県道708号秦野大井線
・神奈川県道710号神縄神山線
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秦野市 出身の芸能人
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神奈川県秦野市出身の著名人には、ハリウッド映画「バベル」など国内外の映画を中心に活躍し、さまざまな賞も受賞している女優の菊地凛子さん。かつて数々のトレンディドラマに出演し、近年では映画「空母いぶき」などで演技に円熟味を増している俳優、歌手の吉田栄作さん。スーパー戦隊シリーズ「超力戦隊オーレンジャー」三田裕司/オーブルーの声や、時代劇の斬られ役として名高い福本清三さん初の主演映画「太秦ライムライト」の川島明彦プロデューサーなどを演じた俳優の合田雅吏さん。生まれは相模原市で、80年代にアイドル歌手、タレントとして活躍した女優の岩井小百合さん。女性モデル、タレントとしてテレビ番組やイベントなどで活躍する久保寺瑞紀さん。生まれは東京都立川市で、ラジオパーソナリティ、ナレーター、声優などを務める伊藤ゆきさん。テレビドラマ「あいくるしい」などに出演した女優の後藤果萌さん。映画「乱歩地獄」など多くの作品に出演した元女優の岡元夕紀子さん。NHK大河ドラマ「平清盛」や平成仮面ライダーシリーズ「仮面ライダーウィザード」などに出演した子役の庄司龍成さん。NHKの大河ドラマ「真田丸」や朝の連続テレビ小説「まんぷく」などに出演している女優の岸井ゆきのさん。フリーアナウンサー、タレントとして活動する近江七恵さん。大正時代に渡米してハリウッドで俳優として活躍し、帰国後には無声映画時代の監督として30本の作品を残したトーマス・栗原さんなどがいます。
音楽関係では、生まれは平塚市で、音楽ユニット「ZARD」ボーカリストとして「素直に言えなくて」など多くの名曲を歌い、シンガーソングライターとしても活躍した坂井泉水さん。ミュージシャンでロックバンド「LUNA SEA」「X JAPAN」にてギタリスト、ヴァイオリニストを務めたSUGIZOさん。同じく「LUNA SEA」のギタリストであるINORANさん、ベーシストを務めたJさん。ドラマーでタレント活動も行う真矢さん。ロックバンド「SIAM SHADE」のドラマーでソロ活動も行う淳士さん。作曲家、作詞家として多くのアーティストの曲を手がけている小形誠さん。「御神火月夜」などの曲を歌う演歌歌手の服部浩子さん。歌手、シンガーソングライター、タレントとして活動する立石純子さん。「約束」などのアルバムがあるシンガーソングライターのAya.さん。さまざまな楽団の指揮や音楽監督を務めた指揮者の山田和樹さん。シンセサイザー奏者の愛森泉さん。生まれは横浜市でロックバンド「doa」リーダーを務めるミュージシャン、ベーシスト、作曲家、編曲家の徳永暁人さんなどが秦野市の出身です。
スポーツ界の秦野市出身者には、野球界では、福岡ソフトバンクホークス所属の若手である日暮矢麻人選手。読売ジャイアンツで捕手、一塁手などを務めた元選手の原俊介さん。女子野球選手で2020年現在、現役ながらチームには所属せず、シンガーソングライターとしても活動している加藤優選手。サッカー界では、水戸ホーリーホックに所属する河野諒祐選手。大分トリニータに所属し、ムードメーカーでもある三平和司選手。格闘技ではブラジリアン柔術の黒帯で肢関節技を得意とする総合格闘家の今成正和選手。空手家でプロ格闘家としても活躍する関忠則師範。元プロボクサーで現在は日本プロボクシング協会理事、事務局長の新田渉世さん。またプロゴルファーで調子がいいとボヤキが出るという久保谷健一選手などがいます。
文化人などその他分野では、「人生山あり谷口」「彼女は宇宙一」などの作品がある漫画家の谷口菜津子さん。NHK大阪放送局アナウンサーで、鉄道好きとしても知られる近田雄一さん。「パートナー」などの作品がある小説家の正木陶子さん。大正から昭和の歌人、国文学者である谷鼎さん。「富士を歌ふ」などの著作がある明治から昭和にかけての歌人、前田夕暮さん。日本たばこ産業社長(JT)元社長の小泉光臣さんなどが秦野市出身です。
歴史上の人物では、江戸時代に二宮尊徳から学んだ報徳運動家で農業指導者、篤農家の安居院義道(庄七)と浅田有信(勇次郎)、同じく江戸末期から明治まで活動した草山貞胤。明治から昭和にかけて活動した農業指導者の関野作次郎などが現在の秦野市にあたる地の出身です。
秦野市 町域別対応エリア
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ア行
- 今泉(イマイズミ)、今泉台1(イマイズミダイ1)、今泉台2(イマイズミダイ2)、今泉台3(イマイズミダイ3)、今川町(イマガワチョウ)、入船町(イリフネチョウ)、尾尻(オジリ)、落合(オチアイ)
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カ行
- 春日町(カスガチョウ)、上今川町(カミイマガワチョウ)、上大槻(カミオオヅキ)、河原町(カワラマチ)、北矢名(キタヤナ)、寿町(コトブキチョウ)、小蓑毛(コミノゲ)
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サ行
- 幸町(サイワイチョウ)、栄町(サカエチョウ)、桜町1(サクラチョウ1)、桜町2(サクラチョウ2)、三屋(サンヤ)、渋沢(シブサワ)、渋沢上1(シブサワカミ1)、渋沢上2(シブサワカミ2)、渋沢1(シブサワ1)、渋沢2(シブサワ2)、渋沢3(シブサワ3)、清水町(シミズチョウ)、下大槻(シモオオヅキ)、下落合(シモオチアイ)、菖蒲(ショウブ)、新町(シンチョウ)、水神町(スイジンチョウ)、末広町(スエヒロチョウ)、鈴張町(スズハリチョウ)、曽屋(ソヤ)、曽屋1(ソヤ1)、曽屋2(ソヤ2)
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タ行
- 大秦町(タイシンチョウ)、立野台1(タテノダイ1)、立野台2(タテノダイ2)、立野台3(タテノダイ3)、丹沢寺山(タンザワテラヤマ)、千村(チムラ)、千村1(チムラ1)、千村2(チムラ2)、千村3(チムラ3)、千村4(チムラ4)、千村5(チムラ5)、鶴巻(ツルマキ)、鶴巻北1(ツルマキキタ1)、鶴巻北2(ツルマキキタ2)、鶴巻北3(ツルマキキタ3)、鶴巻南1(ツルマキミナミ1)、鶴巻南2(ツルマキミナミ2)、鶴巻南3(ツルマキミナミ3)、鶴巻南4(ツルマキミナミ4)、鶴巻南5(ツルマキミナミ5)、寺山(テラヤマ)、戸川(トカワ)、栃窪(トチクボ)
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ナ行
- 名古木(ナガヌキ)、並木町(ナミキチョウ)、西大竹(ニシオオダケ)、西田原(ニシタワラ)、沼代新町(ヌマシロシンチョウ)
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ハ行
- 萩が丘(ハギガオカ)、八沢(ハッサワ)、羽根(ハネ)、東田原(ヒガシタワラ)、ひばりケ丘(ヒバリガオカ)、平沢(ヒラサワ)、富士見町(フジミチョウ)、文京町(ブンキョウチョウ)、堀川(ホリカワ)、堀西(ホリニシ)、堀山下(ホリヤマシタ)、本町1(ホンチョウ1)、本町2(ホンチョウ2)、本町3(ホンチョウ3)、菩提(ボダイ)
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マ行
- 曲松1(マガリマツ1)、曲松2(マガリマツ2)、松原町(マツバラチョウ)、三廻部(ミクルベ)、緑町(ミドリチョウ)、南が丘1(ミナミガオカ1)、南が丘2(ミナミガオカ2)、南が丘3(ミナミガオカ3)、南が丘4(ミナミガオカ4)、南が丘5(ミナミガオカ5)、南矢名(ミナミヤナ)、南矢名1(ミナミヤナ1)、南矢名2(ミナミヤナ2)、南矢名3(ミナミヤナ3)、南矢名4(ミナミヤナ4)、南矢名5(ミナミヤナ5)、蓑毛(ミノゲ)、室町(ムロマチ)、元町(モトマチ)
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ヤ行
- 柳川(ヤナガワ)、柳町1(ヤナギチョウ1)、柳町2(ヤナギチョウ2)、弥生町(ヤヨイチョウ)、横野(ヨコノ)
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ワ行
- 若松町(ワカマツチョウ)