兵庫県 でテレビアンテナ工事をお考えの方へ
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兵庫県の地勢と人口
兵庫県は日本列島および本州の中央近く、やや西寄りに位置する県です。総面積は8,400.94平方キロメートルで、日本の47都道府県の中では12番目の広さを持ち、日本列島全体のおよそ2.22パーセントを占めています。2022年(令和4年)2月1日時点で県の総人口は5,421,275人。うち男性が2,576,436人。女性が2,844,839人です。また県内にはおよそ2,411,335世帯が暮らしています。日本国内における兵庫県の人口は都道府県別では第7位で、人口密度では第8位となります。
兵庫県は、今日の日本列島の地域区分では近畿地方に含まれ、同地方の府県では最大の面積を持つ県になります。県域は南北に長く、北側は日本海、南側は瀬戸内海と、南北2ヶ所の海に接しています。なお本州で2つの海に接する都府県は、東西の両端にあたる青森県、山口県を除けば兵庫県のみです。また本州四国連絡道路で県の本州部分と四国をつなぐ瀬戸内海の淡路島をはじめ、沿岸の島嶼部なども県域に含まれます。県域の東側、北寄りを京都府、南寄りを大阪府、西側の北寄りを鳥取県、南寄りを岡山県に接しています。さらに瀬戸内海をへだてて和歌山県および四国の香川県、徳島県にも面しています。
県域の大半は令制国(旧国)における摂津国の西部、丹波国の南西部、そして但馬国、播磨国、淡路国の全域にあたります。さらに岡山県からの二度の越境編入があったため、ごくわずかながら美作国の東部、備前国の南東部も含まれています。
律令国でいえば兵庫県は、北海道の11国に次ぐ7国にまたがり、地方では五畿八道の畿内、山陰道、山陽道、南海道の4地方に分かれており、県域は古来の行政区分、地方区分をほぼ無視する形で成立しています。
2022年現在、兵庫県内には29の市と12の町が存在します。町の読み方はすべて「ちょう」になります。また県内の村は1962年(昭和37年)に消滅しています。今日の行政区画としては、県が地域ごとに設置する総合出先機関、7つの「県民局」と3つの「県民センター」の管轄である10地域に分けられます。両者の違いは、管内に政令市や中核市が含まれ、県から多くの業務が移譲されている地域は、よりスリムな組織である県民センターになっています。
「神戸地域」は神戸県民センターの管内であり、県本州の南西部にあたる神戸市の東灘区、灘区、兵庫区、長田区、須磨区、垂水区、北区、中央区、西区の1市9区を含む地域です。県内においては、県を代表する神戸湾(瀬戸内海)沿いの港町、神戸と後背の山地を含む地域であり、県の首都にあたります。また管内の推計人口(2022年2月1日時点)は1,513,611人になります。
「阪神南地域」は、阪神南県民センターの管内であり、県本州部で大阪府に接する南東の端でも、南寄りの瀬戸内海沿い、神戸市との間の、尼崎市、西宮市、芦屋市の3市になります。尼崎市、西宮市は中核市であり文化的にも大阪府に近く、西宮市は阪神甲子園球場の存在で知られています。また芦屋市は施行時特例市であり、関西では高級住宅地として知られています。管内の推計人口は1,034,556人です。
「阪神北地域」は阪神北県民局の管内で、県本州部で大阪府に接する南東部の北寄り、内陸部になります。伊丹市、宝塚市、川西市、三田市、川辺郡猪名川町の4市1町が含まれる地域です。やはり大阪府との関係性が深く、伊丹市の伊丹空港、宝塚市の宝塚歌劇団などの存在で全国的にも知られています。管内の推計人口は710,959人になります。
「東播磨地域」は東播磨県民局の管内で、県の本州南部、海沿いのほぼ中央部、やや東寄りにあたる一帯です、明石市、加古川市、高砂市、加古郡稲美町と播磨町の3市2町が含まれる地域です。明石市が中核市、加古川市が施行時特例市であり、明石市は酒造や明石のタコ(蛸)を中心とした漁業、また地元では「玉子焼」と呼ばれる、たこ焼きに似て卵の量が多い明石焼などで知られています。管内の推計人口は713,749人になります。
「北播磨地域」は北播磨県民局の管内で、県本州の中央部、内陸部でやや南東寄りの一帯です。西脇市、三木市、小野市、加西市、加東市、多可郡多可町の5市1町が含まれる地域です。推計人口は259,781人です。
「中播磨地域」は中播磨県民センターの管内で、県の本州、南部の中央より西寄りの瀬戸内海沿いから内陸部に延びる一帯です。姫路市と神崎郡神河町、市川町、福崎町の1市3町が含まれる地域です。臨海部から内陸部にかけて広がり、中核市および国際会議観光都市に指定され、姫路城で知られる姫路市と、内陸部にあたる3町で構成され、推計人口は566,867人になります。
「西播磨地域」は西播磨県民局の管内であり、県の西部、ほぼ南半分にあたる瀬戸内海沿いの一帯です。相生市、たつの市、赤穂市、宍粟市、揖保郡太子町、赤穂郡上郡町、佐用郡佐用町の4市と3町が含まれており、元禄赤穂事件、いわゆる「忠臣蔵」ゆかりの地で、現在でも製塩や漁業で知られる赤穂市をはじめ、海や山林などの自然に恵まれた地域です。推計人口は242,305人になります。
「丹波地域」は丹波県民局の管内で、県本州部の東端中央部で京都府に接する一帯です。丹波篠山市、丹波市の2市が含まれ、隣接する京都府福知山市などと共に旧丹波国の一部にあたり、京都文化の影響が大きい地域でもあります。推計人口は99,446人です。
「但馬地域」は但馬県民局の管内で、県の北部一帯にあたって日本海に面しており、豊岡市、養父市、朝来市、美方郡香美町と新温泉町の3市2町が含まれます。推計人口は154,460人です。
「淡路地域」は淡路県民局の管内で淡路島にあたり、洲本市、南あわじ市、淡路市の3市が含まれ、推計人口は125,541人です。
県内でも本州南部、神戸、阪神南、東播磨、中播磨、西播磨の瀬戸内海沿岸は、阪神工業地帯、播磨臨海工業地帯などが位置する日本でも有数の重化学工業の集積地となっており、近畿圏では最多の工場が立地しています。
また県南東部の神戸市と大阪府の間、いわゆる阪神間は大阪府のベッドタウンという側面もあり、国内の大都市人口では7位にあたる神戸市と阪神地域とで県の人口のおよそ6割を占め、この地域には複数の幹線道路や鉄道路線が走っています。
また県中央部には中国山地が東西に横たわっており、交通の難所になっています。県の中部から北部にかけては農林水産業が主な産業となっており、過疎地や豪雪地帯なども存在します。このような過密と過疎を平均した兵庫県の産業活動指数は全国平均となることから、兵庫県は「日本の縮図」と呼ばれることもあります。
兵庫県 の方でアンテナ工事に関するよくある質問
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兵庫県の気候
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兵庫県は本州の北端から南端まで広がり、本州部の中央には山地が位置する他、淡路島をはじめとする島嶼部など、さまざまな地域が含まれるため、気候も地域ごとに大きく変わってきます。主に県内の北部は日本海側気候、南部は瀬戸内海式気候であり、北部の町村の豪雪地帯に指定されています。
夏場は県内全般で高温となり、北部や内陸部を中心として、フェーン現象による猛暑日が発生することもあります。南部では神戸市から阪神間の沿岸部を中心に熱帯夜になることが多くなります。冬場は瀬戸内海の沿岸部は温暖ですが、その他の内陸部、北部では冬日が多く他地域と比べても寒冷となります。
神戸市においては瀬戸内海の沿岸部と、六甲山から北側の内陸部では大きな気温差があります。淡路島は全島が瀬戸内海式気候に属していますが、諭鶴羽山地より南では南海型太平洋側気候の特徴もやや混じってきます。また淡路島は多くの台風が通過するため、台風銀座とも呼ばれています。
また北部、日本海側気候の地域では、北西からの季節風の影響により、降水日数ならびに降雪量が多くなります。日本海寒帯気団収束帯の影響を受けた場合、半日から数日程度の積雪が急増し、平野部でも50センチから1メートル程度の積雪になることもあります。北播磨地域や周辺の内陸部でも、日本海側から活発な雪雲が南下した際には、20センチ前後の積雪にとなることもあります。
南部、瀬戸内海の沿岸部でも播磨地域の南部を中心として小雨や小雪、みぞれが降ることもありますが、冬場の積雪は多くても1、2回程度で、積雪量も5センチから10センチ程度です。瀬戸内海沿岸部の東寄り、神戸から阪神間における積雪は非常に少なくなります。
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兵庫県の歴史
- A
今日の兵庫県は、前述のように旧国の行政区分、地域区分をほぼ無視する形で県域が成り立っています。そのため県内でも地域によってさまざまな歴史があります。兵庫県全体では、県内に日本で第1位の数となる18,351ヵ所の古墳、第2位となる28,882ヵ所の遺跡が存在し、上古より拓けていた地が多いと考えられています。
奈良時代には、僧侶、行基が現代の尼崎市神崎町に河尻泊、神戸市兵庫区に大輪田泊、明石市大久保町に魚住泊、姫路市的形町、のちの飾磨津にあたる韓泊、たつの市御津町室津に室生泊の「摂播五泊」と呼ばれる港を開いたといわれます。この話は平安時代前期、914年(延喜14年)の公卿で学者、三善清行による政治的意見書「意見封事」に記されています。また飛鳥時代から平安時代にかけては、県域の各地に多くの寺が建立されています。
平安時代末期には、平氏の棟梁、平清盛が大輪田泊に人工島、経が島を築いて港の整備、拡張を行います。経ヶ島は1173年(承安3年)に竣工し、日宋貿易の拠点となります。また清盛は1169年(仁安4年、嘉応元年)、今日の神戸市兵庫区内に邸宅、雪見御所(雪之御所、雪御所)を築き、平氏の拠点にもしています。
さらに1179年(治承3年)に清盛は、治承三年の政変により後白河法皇を幽閉、翌1180年(治承4年)には幼い安徳天皇を即位させ、政治の実権を握ります。同年には現在の兵庫区から中央区にかけて福原京を造営。安徳天皇らの行幸によって遷都を強行します。
しかしこのような平氏の横暴に対し、後白河法皇の第3皇子、以仁王の挙兵を機に、伊豆(現在の静岡県伊豆市)の流人であった源頼朝や、信濃国(現在の長野県など)の木曾義仲(源義仲)など、日本各地で反平氏勢力が挙兵し、治承・寿永の乱(源平合戦)が勃発します。
清盛は源氏に対抗すべく、ふたたび平安京へと遷都を行いますが、1181年(治承5年)、熱病により死去。平氏の棟梁の座は、清盛の三男、平宗盛が継ぎます。しかし宗盛は相次ぐ反乱や後白河法皇の策謀に対応できず、1183年(寿永2年)、現在の富山県と石川県の県境で行われた倶利伽羅峠の戦いにて木曽義仲の軍勢に敗れ、兵力の大半を喪失。平氏一門は安徳天皇と三種の神器を奉じて、平安京から九州大宰府(現在の福岡県太宰府市)まで落ち延びます。
その後、京を制圧した義仲は後白河法皇と対立。法皇は関東を制圧した鎌倉(現在の神奈川県鎌倉市)の源頼朝を頼ります。義仲軍は現在の岡山県倉敷市で行われた水島の戦いにて平氏に敗れたことから、脱落者などが続出して軍勢が激減。1184年(寿永3年)、現在の京都府宇治市の一帯にて、頼朝が派遣した源範頼、義経の軍と義仲軍が激突した宇治川の戦いにて、義仲は討ち果たされます。
一方、この源氏の内紛に乗じて平氏は勢力を盛り返し、福原を奪還します。しかし1184年3月20日(寿永3年/治承8年2月7日)、源範頼、義経の軍勢が福原を攻め、現在の神戸市兵庫区、中央区、須磨区の一帯で行われた一ノ谷の戦いにて、平氏は大敗を喫します。
この戦いでは、峻険な絶壁を背後におく一の谷の陣営で善戦していた平氏に対し、峻険な山道を越え、絶壁の上に辿り着いた源義経の騎馬武者隊が、馬で断崖絶壁を駆け下りて平氏の背後を衝き、大混乱を巻き起こして勝敗を決した「逆落とし」が知られています。この逆落としは、実際に義経たちが駆け下りた場所とも、そこまでのルートともいわれる「鵯越(ひよどりごえ)」の別名でも知られますが、実際には一の谷の背後にあたる鉄拐山から逆落としを行った説が主流であり、また逆落とし自体を創作とするなど諸説あります。
この戦いで平氏は有力な一族や武将を失って敗走し、1185年(元暦2年/寿永4年)に現在の香川県高松市で行われた屋島の戦いを経て、山口県下関市における壇ノ浦の戦いにて滅亡します。
平氏滅亡後、源頼朝が開いた鎌倉幕府の末期には、播磨の守護大名である赤松則村(円心)が倒幕を企てた後醍醐天皇に味方しています。
南北朝時代の1336年(延元元年/建武3年)には、現在の神戸市兵庫区、中央区にて行われた湊川の戦いにて、南朝、後醍醐天皇方の名将、楠木正成が戦死します。また1344年(興国5年/康永3年)には足利尊氏が、現在も兵庫区に存在する福海寺を開創しています。
また1346年(興国7年/貞和2年)には、赤松則村の次男、赤松貞範が姫山城(のちの姫路城)を築城しています。当所の姫山城は館か砦のような小規模なものでしたが、戦国時代後期には、赤松氏の一門として西播磨地域で勢力を誇った小寺氏の家臣、黒田重隆、職隆の父子が本格的な城郭に改修し、これを姫路城のはじまりとする説もあります。
その後、織田信長が中国攻めにおいて毛利氏と対立し、毛利氏についた小寺氏は没落しますが、姫山城の城代であった職隆の子、黒田孝高(官兵衛)は、よしみを通じていた羽柴秀吉に仕え、秀吉の軍師として知られることになります。官兵衛は秀吉に本拠地として姫山城を献上し、秀吉は城郭を石垣で囲い、天守を建造する大改修を行って姫路城に改名。さらに城の南部に大規模な城下町を形成し、姫路を播磨国の中心地として整備します。
1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いの後には、池田輝政が徳川家康から播磨52万石を与えられ、豊臣恩顧の大名が多い西国へ備えるべく姫路城の大改修を行います。さらに輝政の死後、因幡鳥取へ転封となった池田氏に代わり、本多忠政が15万石の大名として姫路城に入城。城の西側に流れる妹背川を舟運河川に改修して船場川と名付け、西の丸を整備するなどして今日の姫路城がほぼ完成します。
時代はやや戻りますが、県域全体の歴史としては、1466年(寛正7年/文正元年)に、但馬に本拠をおく守護大名、山名持豊(宗全)が室町幕府管領、細川氏と争う応仁の乱を引き起こし、戦国時代の幕開けとなります。
織田信長が畿内に進出した安土桃山時代には、その配下である明智光秀の丹波攻略に、丹波の戦国大名である波多野氏、また今日の丹波市で勢力を誇り「丹波の赤鬼」「悪右衛門」と呼ばれた武将、荻野(赤井)直正が頑強に抵抗、特に直正は病気で没するまでの3年間、明智軍の猛攻に耐え抜きました。しかし直正の死後である1579年(天正7年)には、波多野氏、赤井氏とも、明智光秀に滅ぼされます。
余談ですが同じ旧丹波国でも京都府に位置する福知山市では、光秀は善政を敷いた名君として現在でも慕われているのに対し、丹波市では戦乱をもたらした侵略者として、光秀に対して批判的な見方が強くなっています。
また1578年(天正6年)には、前述の信長の中国攻めにおいて、信長に服属していた、現在の伊丹市の有岡城(伊丹城)城主、荒木村重が信長に反旗を翻し、説得に向かった黒田官兵衛を監禁、およそ一年に渡って信長に抵抗しますが、1579年に落城しています。
一方、現在の三木市では1578年、やはり信長の中国攻めとして、毛利方についた播磨の戦国大名、別所長治が籠城する三木城に対し、羽柴秀吉が三木合戦を開始。およそ2年にわたる合戦は「三木の干殺し」と呼ばれる凄絶な兵糧攻めの末、1580年(天正8年)に落城。別所氏は滅亡します。
江戸時代には、かつての平清盛の拠点であった兵庫津が、全国でも有数の規模を誇る港町として栄えています。また1701年(元禄14年)には、今日の赤穂市、相生市、赤穂郡上郡町にあたる赤穂藩主、浅野長矩が江戸城にて高家旗本、吉良義央を斬りつけ、長矩は即日切腹、浅野家は改易されます。そして翌1702年(元禄15年)元赤穂藩士である赤穂浪士が吉良邸に討ち入り、義央を討ち取るまでの元禄赤穂事件が起こっており、現代では人形浄瑠璃、歌舞伎の「忠臣蔵」として知られています。
幕末、1864年(元治元年)には、江戸幕府の軍艦奉行であった勝海舟により、現在の神戸市中央区に、幕府の神戸海軍操練所と、坂本龍馬が塾長を務めた、諸藩志士のための神戸海軍塾が開設されていますが、勝の更迭などにより一年ほどで閉鎖されています。
1858年(安政5年)には、日米修好通商条約および安政五カ国条約により、兵庫港(兵庫津)の開港が定められます。しかし当時、繁栄していた港町の混乱を避けるため、1868年1月1日(慶応3年12月7日)に、実際には兵庫津より東、海軍操練所が存在した神戸村のあたりを兵庫港(神戸港)として開港しています。同時に兵庫港の管理運営などのため兵庫県が設置され、1868年7月12日(慶応4年5月23日)には、初代知事に伊藤博文が任命されます。
1874年(明治7年)には、神戸と大阪間に鉄道(現在の東海道本線)が開通し、神戸外国人居留地にガス灯が灯るなど、神戸港の周辺は、文明開化の先進地として飛躍的に発展してゆきます。1876年(明治9年)には播磨の飾磨県、但馬と丹波の豊岡県、淡路の名東県を併合して、ほぼ今日の県域になります。この当時の人口、約135万人は、同時期の東京府と大阪府を超えるものでした。
また明治以降の兵庫津と神戸港は「兵神(へいしん)」と呼ばれる対等の存在でしたが、神戸港の発展により、1879年(明治12年)に兵庫津は自治体として神戸区に、1892年(明治25年)には湾港として神戸港に吸収されています。
その後、明治末期から昭和初期にかけては、大阪市と神戸市の間に広まった近代的な文化、芸術、生活様式である阪神間モダニズムが隆盛を極め、1914年(大正3年)には、宝塚少女歌劇団(現在の宝塚歌劇団)が初公演を行う。1924年(大正13年)には阪神甲子園球場が竣工するなど、主に神戸や阪神は関西でも文化、経済などの中心地のひとつとして発展します。
1995年(平成7年)の阪神・淡路大震災(兵庫県南部地震)では神戸市や阪神地域、淡路島を中心に多大な被害を受けますが、年を追うごとに復興が進み、現在でも兵庫県は、近畿の中心地域のひとつとして政治、経済、文化などさまざまな側面で活動を続けています。
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兵庫県の現在
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今日の兵庫県の県名は、兵庫津が位置した神戸市兵庫区の兵庫城に役所が置かれたことに由来します。この「兵庫」という名前は、飛鳥時代、天智天皇の治世に兵の武器庫を意味する「つわものぐら(兵庫)」が位置したことに由来しています。
ちなみに柳生新陰流の流祖とされる柳生宗厳(石舟斎)の孫である江戸時代初期の剣術家で、尾張徳川家に仕え、藩の御流儀としての新陰流を確立した新陰流第三世、柳生利厳は通称を兵助、兵庫助といいます。また南條範夫さんの時代小説を原作とする近衛十四郎さん主演のテレビ時代劇で、ドラマ版オリジナルの人物、品川隆二さん演じる焼津の半次とのコンビで人気を博した作品に「素浪人・月影兵庫」があります。これらの「兵庫」という名前は兵庫県と直接の関係はありませんが、由来は同じものと思われます。
現在の兵庫県は、神戸市が近畿地方でも中心的な大都市のひとつであり、現在でも国際的な貿易港でもあります。また県内に神戸空港、伊丹空港などの空港を擁する他、大阪府泉佐野市に位置する関西国際空港へのアクセスも整備されています。神戸駅には新幹線が通る他、多くの鉄道網、道路網も存在し、東京都をはじめ他府県や周辺地域へのアクセスも便利になっています。
文化に関しては、前述のように古くから異なる地域の集合体であるため、地域ごとに多彩な側面をもっています。モダンな港町、国際都市である一方、史跡も豊富で庶民的な面もあり、中華街でも知られる神戸市をはじめ、大阪府に隣接して庶民的な雰囲気をもつ尼崎市や、阪神甲子園球場がある西宮市。宝塚歌劇団や漫画の神様と呼ばれる漫画家、手塚治虫さんの出身地で知られる宝塚市。タコなどの海産物で名高い明石市や、姫路城が位置する姫路市、忠臣蔵ゆかりの地である赤穂市。京都文化の影響が強い丹波市や丹波篠山市。また日本海側では香住カニ(ベニズワイガニ)の名産地である美方郡香住町や、温泉地である美方郡新温泉町など、県内でも地域独特の文化や特色を挙げてゆけば枚挙に暇がありません。
県内の方言も、南部では近畿方言、いわゆる関西弁、北部では中国方言の但馬弁に大きく分かれる他、播磨地域では中国方言の影響を受けた播州弁、阪神地域では大阪弁に近い摂津弁、播州弁と摂津弁の中間で神戸市を中心に使われる神戸弁、京言葉に近い丹波弁、阿波弁などと関係する淡路島の淡路弁など、地域によって細かな違いがあります。
このような県内でも多様性のある文化から、兵庫県は、かつて存在した多民族国家、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国に例えて「ヒョーゴスラビア」と呼ばれることもあり、県側でも2018年(平成30年)より「U5H=United 5koku of HYOGO(兵庫五国連邦)」というプロモーションを行っています。
兵庫県旗および県章は「兵」の字をデザイン化したもので、県旗はセルリアンブルーに、白抜きで県章である4本の横線の波形に、中央の2本が短い縦線2本でつながった形を描いています。この県旗、県章は1964年(昭和39年)に制定されたもので、南北を海に接した県の姿を象徴しています。
兵庫県の県花はノジギク(野路菊)、県樹はクスノキ(樟、楠)、県鳥はコウノトリ(鸛、鵠の鳥)です。
ノジギクは、キク科キク属の多年生植物でノギク(野菊)の一種です。日本の植物学の父と呼ばれる牧野富太郎さんが発見、命名したノジギクは日本在来種で、兵庫県より西の本州、四国、九州の瀬戸内海、太平洋沿岸近くの山野などに自生しています。コキク(小菊)の原種のひとつで、草丈は50センチ程度で枝分かれをして群落を形成し、10月下旬から11月にかけて直径3センチから5センチの、白色の舌状花と黄色の筒状花をもつ花(頭状花序)を咲かせます。ノジギクはNHKが郷土の花を募った際に兵庫県の花として選ばれ、1954年(昭和29年)に県花として制定されました。
クスノキはクスノキ科ニッケイ属の常緑高木で、クス、ナンジャモンジャなどの別名もあります。こんもりした樹形になり、幹の直径が10メートル以上の巨木になることも珍しくありません。白く淡い黄緑色の小さな花が5月から6月に咲き、10月から11月頃には、青緑から黒紫の小さな丸い果実がつきます。クスノキの木材などを蒸留することで、防虫剤や医薬品に用いられる樟脳が得られます。俗にいう「カンフル剤」も樟脳のことで、かつて強心剤に使われたことに由来します。そのため木全体にも樟脳の芳香があります。このにおいから「臭し(くすし)」や「薬(樟脳)の木」がクスノキの語源という説もあります。クスノキは強健で雄大な樹勢が県のイメージに合致することから1966年(昭和41年)に制定され、県の天然記念物に指定されている樹も存在します。
コウノトリは鳥綱コウノトリ目コウノトリ科コウノトリ属に分類される鳥類で、広義にはコウノトリ亜科に属する鳥類の総称になります。全長は110センチから115センチ、翼長58センチから67センチ程度で、体重3キロから5キロ程度です。全身の羽色は白く、風切羽や大雨覆は黒、尾羽はすべて白くなっています。嘴は黒で、基部は赤くなっています。また他の大半の鳥類とは異なり、爪は鉤爪ではなく少し尖った平爪(扁爪)になっています。
日本ではコウノトリは古くは広域に分布し、明治時代以前はタンチョウ(丹頂)と混同され、瑞兆として絵画のモチーフなどになっていました。明治から昭和には乱獲や自然環境の悪化などで生息数が減少し、1956年(昭和31年)には特別天然記念物に指定されています。またヨーロッパには「赤ん坊はコウノトリが運んでくる」「コウノトリが住み着いた家には幸せが訪れる」などの言い伝えがありますが、ヨーロッパにはコウノトリは生息せず、縁主であるシュバシコウ(朱嘴鸛)のことだと考えられます。
コウノトリは1965年(昭和40年)、県鳥に制定されています。県内の但馬地区では江戸時代、出石藩の藩主が霊鳥として保護していたことから、現在でもコウノトリの保護や増殖、環境整備に取り組んでおり、2005年(平成17年)には試験放鳥に成功しています。
兵庫県のマスコットキャラクターには「はばタン」がいます。はばタンは2006年(平成18年)に行われた、のじぎく兵庫国体・のじぎく兵庫大会の大会マスコットとして、公募により集まった3,069点の作品から2003年(平成15年)1月27日に、神戸市在住のデザイナー、JUNBOwさんによるデザインが採用されたものです。その後、キャラクター名(愛称)の公募も行われ、応募総数24,143件(12,044種類)の命名案から、赤穂市在住の小学5年生の案が採用され「命名式」が行われました。
はばタンは兵庫県内で子供たちを中心に人気を博したことから、大会終了後の2007年(平成19年)4月より、兵庫県の県政PRマスコットに選ばれ、他にも「ひょうご観光大使」「ひょうご農(みのり)大使」などを務めて兵庫県をアピールしています。
はばタンは、阪神淡路大震災からの復興の意味を込めて羽ばたくフェニックス(不死鳥)をモチーフにしており、誕生日も震災から8年後の2003年1月17日である、黄色い身体に丸っこい顔を持つ鳥の姿をしたキャラクターです。根っからの元気者で、チャレンジ精神も旺盛。どんなところへも顔を出して人懐っこい笑顔を振りまく、スポーツ万能な男の子です。
兵庫県 にお住まいで画面にE201、E202、E203の文字が出ている方
テレビ画面に"E201、E202、E203"と表示され番組が視聴できない
アンテナトラブルの形式として、突然、ご自宅のテレビで地デジのテレビ番組がまったく映らなくなり、画面に「e201」「e202」「e203」などの記号が表示されることがございます。これはテレビやアンテナにトラブルが発生し、テレビが自己診断機能を働かせてエラーコードで原因を示している状態です。最近のテレビはコードと同時にトラブルの原因を文章で表示するものもありますが、電波受信に関するトラブルの場合は、主に前述の三種類のコードが表示されます。なおエラーコードの種類は、トラブルの原因によって他にも数々のものがございます。
「e201」は、テレビ本体に届く電波のレベルが低下しているというエラーコードです。これは主にBS、CS放送で、豪雨や大雪など、悪天候の場合に表示されることが多くなります。BS、CS放送は衛星放送のため、悪天候では、波の乱反射によって電波状態が悪化するという弱点がございます。BSでは悪天候の際に電波を切り替え、画質、音質を落とすことで受信できるようにした「降雨対応放送」に切り替わる場合もあります。悪天候による受信不良は、天候の回復と同時に自然と復旧いたします。地デジ放送では、このコードが表示されることは少ないのですが、周辺の電波状態の悪化やアンテナ機器のトラブルなどにより、ときに表示されることもございます。
「e202」は、テレビ本体ににまったく電波が届いていないというエラーコードです。原因は大風や地震などによるアンテナ角度のずれや倒れるといったトラブル。またアンテナ本体、アンテナ線、ブースター(増幅器)、分配器など、どこかに故障が発生したことも考えられます。また単純にテレビとアンテナ線との接触不良という場合もありますので、このコードが表示されたときは、まずテレビやレコーダーなどの機器と、アンテナ線との接続部分をチェックしてください。
「e203」は、該当する放送局が放送休止しているというエラーコードです。基本的に放送局が、メンテナンスやトラブルなどによって放送を休止していることから発生する不具合です。このコードが表示されたときは、その他のチャンネルを確認して、正しく映っているなら放送局側に原因があると判断できます。ただアンテナ関係の故障でも、このコードが表示される場合がありますのでご注意ください。
これらのエラーコードが表示されたときは、ブロックノイズの際と同じく、まずテレビのリセットや、テレビとアンテナ線の接続部を確認するなどしてください。それでも回復しない場合は、アンテナ関係にトラブルが起こっていると考えられます。
その場合も、やはり当あさひアンテナのフリーダイヤル(0120-540-527)にご相談ください。まずお電話口にて、コードの種類やご自宅のアンテナ環境などとお伺いして、ご自宅で可能な対策をご説明いたします。もしお電話で問題が解決しないときは、ご用命いただければ、弊社の職人が最短即日でご自宅へ出向き、現場調査で原因を特定いたします。
当あさひアンテナでは、どのようなご相談であっても、出張費、見積もり費、キャンセル費はすべて無料で対応させていただきます。またトラブルの原因を特定した後は、弊社の職人からお客様に、修理に必要な工事のご説明と見積もり価格を提示いたします。その内容にお客様が納得され、正式にご契約なされた時点ではじめて工事にかからせていただきます。それまでは決して無断で工事を進めることはなく、料金も一切発生いたしません。
さらにアンテナ工事後の保証など、アフターフォローの体制も万全のものを用意してございます。テレビ映りに不具合が発生して、エラーコードからアンテナトラブルだと思われる場合は、まずは当あさひアンテナのフリーダイヤル(0120-540-527)へとお気軽にお電話ください。